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パリ旅行7日目。
この日は仕事は休演日。
休みということもあり、以前から計画していたメルヴィルの墓参りに行ってきました。
メルヴィルのお墓のある場所ですが、パリ市外にあるパンタン墓地というところです。
パンタン墓地はパリ近郊でも最大規模の大きさを誇る墓地で、地下鉄7号線でパリの北東にあるオベルヴィリエ・パンタン・キャトル・シュマンという長い名前の駅で降りたところにあります。
パリ中心部から地下鉄で30分弱といったところでしょうか。
駅で降りて、徒歩で墓地まで向かいましたが、なかなかそれらしい場所が見つからないので、ちょっと不安になりました。
ここも、先日行った13区もそうですが、雑多な人種のるつぼといった様相で、正直言って、あまり“ガラ”の良い場所とは言えません。
しばらく歩いて、方向を間違えたかな、引き返そうかなと思ったところで墓地に行き当たりました。
入り口付近に花屋が点在しておりましたので、献花用の花を買い、墓地へと入りましたが、先日のモンマルトル墓地とは異なり、誰の墓がどこにあるかを指し示すような地図は全くありません。
しょうがないので、入り口にいた関係者に「ジャン=ピエール・メルヴィルのお墓を訊ねに来たのですが?」とカタコトの英語で聞くと、電話で場所を聞いてくれました。
広大な墓地ですが、幸いメルヴィルのお墓のあるブロックは入り口に近い場所とのことでした。
それにしてもひっそりとした墓地で、私の他にはほとんど人気がありませんでした。
さっそくそのブロック(8番)に向かい、探しましたが、さすがにすぐには見つかりません。
そのブロックだけでも縦横それぞれ50メートルほどはあり、その中から見つけ出すのは簡単ではありません。
関係者がくれた場所の地図に「Division:8,Ligne:11.Tombe:11」と書いてありましたので、それくらいの場所を探したのですが、見つかりません。
しょうがないので、そのブロックをしらみつぶしに探し出すことにしました。
最初はちょっとワクワクしながら探していたのですが、いくら探しても見つからないので、徐々に不安になってきました。
お墓にもいろいろあり、すぐに名前の判別できるものもあれば、ほとんど判別できないものもあります。
もしかしたら、判別できないお墓になっているのではないか・・・?という不安が徐々に募ってきたのです。
そんな時でした。
JEAN-PIERRE MELVILLEという名前が目に入ったのは。
見ると、GRUMBACHという名前がいくつか目に入ります。
いうまでもなく、GRUMBACHとはメルヴィルの本名であり、ここはメルヴィルの先祖からの家系のお墓だったのです。
私はメルヴィルのお墓がモンマルトルやモンパルナスといったパリ中心部の有名な墓地ではなく、郊外の無名な墓地にあることが正直言いましてちょっと残念だったのですが、これで謎が解けました。
お墓はこの墓地の中ではキレイな方で、安心しました。
黄色の花は私が献花したものですが、他にも近い頃、白い花を置かれた方がいるようです。
面白いことに、よく見ると、生まれた年の1917の7の部分が5に一旦彫った後が見受けられます。
単なる間違いなのか、ホントは1915年生まれだったのか・・・。
それにしても、今回の旅行の最大の目的の一つだった、メルヴィルのお墓参りができて、感無量でした。
日本からのファンが来たことを、あの世のメルヴィルが喜んでくれているものと信じたいです。
この日は仕事は休演日。
休みということもあり、以前から計画していたメルヴィルの墓参りに行ってきました。
メルヴィルのお墓のある場所ですが、パリ市外にあるパンタン墓地というところです。
パンタン墓地はパリ近郊でも最大規模の大きさを誇る墓地で、地下鉄7号線でパリの北東にあるオベルヴィリエ・パンタン・キャトル・シュマンという長い名前の駅で降りたところにあります。
パリ中心部から地下鉄で30分弱といったところでしょうか。
駅で降りて、徒歩で墓地まで向かいましたが、なかなかそれらしい場所が見つからないので、ちょっと不安になりました。
ここも、先日行った13区もそうですが、雑多な人種のるつぼといった様相で、正直言って、あまり“ガラ”の良い場所とは言えません。
しばらく歩いて、方向を間違えたかな、引き返そうかなと思ったところで墓地に行き当たりました。
入り口付近に花屋が点在しておりましたので、献花用の花を買い、墓地へと入りましたが、先日のモンマルトル墓地とは異なり、誰の墓がどこにあるかを指し示すような地図は全くありません。
しょうがないので、入り口にいた関係者に「ジャン=ピエール・メルヴィルのお墓を訊ねに来たのですが?」とカタコトの英語で聞くと、電話で場所を聞いてくれました。
広大な墓地ですが、幸いメルヴィルのお墓のあるブロックは入り口に近い場所とのことでした。
それにしてもひっそりとした墓地で、私の他にはほとんど人気がありませんでした。
さっそくそのブロック(8番)に向かい、探しましたが、さすがにすぐには見つかりません。
そのブロックだけでも縦横それぞれ50メートルほどはあり、その中から見つけ出すのは簡単ではありません。
関係者がくれた場所の地図に「Division:8,Ligne:11.Tombe:11」と書いてありましたので、それくらいの場所を探したのですが、見つかりません。
しょうがないので、そのブロックをしらみつぶしに探し出すことにしました。
最初はちょっとワクワクしながら探していたのですが、いくら探しても見つからないので、徐々に不安になってきました。
お墓にもいろいろあり、すぐに名前の判別できるものもあれば、ほとんど判別できないものもあります。
もしかしたら、判別できないお墓になっているのではないか・・・?という不安が徐々に募ってきたのです。
そんな時でした。
JEAN-PIERRE MELVILLEという名前が目に入ったのは。
見ると、GRUMBACHという名前がいくつか目に入ります。
いうまでもなく、GRUMBACHとはメルヴィルの本名であり、ここはメルヴィルの先祖からの家系のお墓だったのです。
私はメルヴィルのお墓がモンマルトルやモンパルナスといったパリ中心部の有名な墓地ではなく、郊外の無名な墓地にあることが正直言いましてちょっと残念だったのですが、これで謎が解けました。
お墓はこの墓地の中ではキレイな方で、安心しました。
黄色の花は私が献花したものですが、他にも近い頃、白い花を置かれた方がいるようです。
面白いことに、よく見ると、生まれた年の1917の7の部分が5に一旦彫った後が見受けられます。
単なる間違いなのか、ホントは1915年生まれだったのか・・・。
それにしても、今回の旅行の最大の目的の一つだった、メルヴィルのお墓参りができて、感無量でした。
日本からのファンが来たことを、あの世のメルヴィルが喜んでくれているものと信じたいです。
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HN:
マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
リンク、コメント、TB等はご自由にどうぞ。
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