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このところ、クライテリオン盤DVD『仁義』の特典ディスクを久々に観直していました。
いやはや、実に面白いですね。
特に、これまでキチンと観ていたとは言い難かった助監督ベルナール・ストラ、メルヴィル本『サムライ』でおなじみのルイ・ノゲイラのインタビュー(それぞれ30分ほど)を今回気を入れて観直してみたのですが、どちらも大変面白かったです。
今回は、その中からメルヴィルとジャン・マリア・ヴォロンテの関係について書いてみたいと思います。
メルヴィルと俳優の対立はよくあることだったらしく、中でも『影の軍隊』におけるリノ・ヴァンチュラとの対立は有名です。
現に『仁義』のマテイ警視役はヴァンチュラを想定して脚本が書かれていましたが、ヴァンチュラは出演せず、代わりにブールヴィルが出演しました。
また、ヴォージェル役はジャン=ポール・ベルモンドを想定して書かれた役ですが、69年にあの『ボルサリーノ』があり、アラン・ドロンとベルモンドの共演という企画を先に“持っていかれた”形となり、『仁義』ではこのビッグな共演も実現せず、ベルモンドの代わりにジャン・マリア・ヴォロンテが出演しました。
そして、ヴォロンテとメルヴィルはこの映画の撮影時に激しく対立したのです。
この作品で助監督を務めたベルナール・ストラのインタビューによれば、“ムカついた”ヴォロンテがセットから1~2日去って戻ってこないこともあったらしく、ヴォロンテと決して上手くいっていたとは言い難かったドロンがヴォロンテを説得してなんとか撮影が続行されたこともあったとか。
メルヴィルとヴォロンテが反りが合わなかった理由ですが、それぞれの政治信条の相違も大きな原因だったようです。(ヴォロンテは過激な左派で、メルヴィルは右派でした)
しかし、『仁義』にはこれまた有名な左派であったイヴ・モンタンが出演していますが、こちらはメルヴィルと極めて友好な関係であったらしく、ヴォロンテがまだ“若かった”ことも大きかったのでしょう。
撮影場所でノゲイラは、メルヴィルとヴォロンテの間で文字通り右往左往してたとのことです。
ノゲイラがどちらかと仲良くするとどちらかが気を悪くするという状況だったらしく、二人ともほとんど子供の喧嘩状態です・・・(苦笑)。
先ほど、ドロンとヴォロンテの関係もあまり上手くいっていなかったと書きましたが、ノゲイラのインタビューによれば、ヴォロンテがミレーユ・ダルクの元彼だったので、そのせいで当時ダルクと同棲していたドロンのことを嫌っていたのではないかと、当時ノゲイラはメルヴィルから聞いたとのことですが、本当のところは分かりません。
ヴォロンテはドロンやモンタンらと自分の扱いの違いを不満に思っていたらしく、いわゆる“スター”に対する嫉妬もあったのかもしれません。
ところで、『仁義』撮影から約20年後、ジュネーヴでヴォロンテと再会したノゲイラはヴォロンテの口から意外な言葉を耳にします。
「メルヴィルは偉大な映画監督だった。当時私には理解できなかったが、彼は正しかった。撮影の時は彼の権威を受け入れがたかったんだ。」
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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