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多くのメルヴィル作品の撮影監督を務めたフランスの名キャメラマン、アンリ・ドカ(Henri Decae 1915-1987)とメルヴィルの関係について、何回かに分けて書いてみたいと思います。
(以前はアンリ・ドカエと表記したこともありましたが、ドカに統一しようと思っています)
まず、ドカが撮影監督を務めたメルヴィル作品ですが、年代順に『海の沈黙』、『恐るべき子供たち』、『賭博師ボブ』、『モラン神父』、『フェルショー家の長男』、『サムライ』、『仁義』の7作品になります。
メルヴィルの監督した長編作品は全13作品ですから、その約半数を務めたことになります。
この中で一般的に多く知られている作品としては『恐るべき子供たち』、『サムライ』、『仁義』といったところになるでしょう。
ところで、私はこれまでドカの顔写真を見たことがほとんどありませんでした。
ここに紹介する写真は、クライテリオン盤DVD『仁義』の特典ディスクに収録されたルイ・ノゲイラのインタビューに出てくるドカの写真です。(クリックすると大きくなります)
今回調べてみて驚きましたが、ドカはメルヴィルよりも2歳年上です。(いつ頃の写真でしょうか・・・本や雑誌で他のドカの写真をご覧になった方はいらっしゃいますか?)
言うまでもなく、ドカはメルヴィル作品のみならず、といいますかむしろそれ以上に他の監督の作品で大きな成功を収め、フランスを代表するキャメラマンの一人となりました。
主だったフィルモグラフィーです。
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=539
50~60年代の活躍ぶりがなんといっても目を引きますが、中でも有名なのは、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』、『恋人たち』、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』、クロード・シャブロル監督の『いとこ同志』あたりでしょうか。
80年代になるとさすがに仕事の量がぐっと少なくなっていますが、それでも亡くなった年(87年)まで仕事をこなしています。
ドカは特にヌーヴェル・ヴァーグの監督たちによく起用されましたが、これはメルヴィルの『恐るべき子供たち』でのドカの撮影が彼らに高く評価されたためだと言われています。
シャブロルが『いとこ同志』の撮影において、『恐るべき子供たち』と同様の撮影方法をドカに求めたという話は有名です。
面白いのは『太陽がいっぱい』でメルヴィルよりも早くアラン・ドロンと一緒に仕事をしていることです。
ルネ・クレマン監督に高く評価されたドカは、『生きる歓び』、『危険がいっぱい』でも撮影監督を務め、ドロンとも大変親しくなったといいます。
山田宏一著『山田宏一のフランス映画誌』には、氏が70年代半ばにドカにインタビューした際のエピソードが出てきますが、『サムライ』以前からメルヴィルはドカに「ドロンに会わせてくれ」と頼んでいたということです。
しかし、二人のことをよく知っているドカは、メルヴィルとドロンでは上手くゆくはずがない、と考え、紹介する手はずを整えませんでした。
ところが、ついに『サムライ』でこの3人が一緒に仕事をすることになります。
結果的に素晴らしい作品となったことで、ドカはメルヴィルに「ほら、上手くいったじゃないか。もっと早く会わせてくれればよかったのに。」となじられたとのことですが、ドカとしては、(メルヴィルとドロンが上手くいったのは)何かが狂ったからだ、と考えていたとのことです。
つまり、メルヴィルとドロン、どちらかに何らかの妥協や変化があったから上手くいった、という意味と捉えればよろしいでしょうか。
山田氏の本には、ドカの言葉として『サムライ』以後メルヴィルは商売(ビジネス)のことばかり考えるようになったとあり、このドカの証言が、山田氏言うところの『サムライ』以後メルヴィルは通俗化した、堕落した、との認識にも重なります。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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