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前回に続く

よく知られていることだが、聖子さんのデビューの年(80年)、その楽曲はシングル、アルバム共にほとんどが作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎というコンビで作られていた。

しかし、翌年の4枚目のシングル『チェリーブラッサム』(81年1月21日発売)から作曲に財津和夫が参入し、81年5月21日発売の3枚目のアルバム『Silhouette 〜シルエット〜』では収録曲の半数ずつを小田と財津が分け合うことになる。

また、『Silhouette 〜シルエット〜』収録曲の『白い貝のブローチ』の作詞を松本隆が担当したことがきっかけとなり、6枚目のシングル『白いパラソル』(81年7月21日発売)からは松本隆がほとんどの作詞を担当するようになる。

つまり、作家陣の大幅な入替えという意味でも、聖子さんにとってアルバム『風立ちぬ』は大きな転機となったのである。

大滝詠一の起用は松本隆人脈であることは間違いない。
二人は言うまでもなく伝説的バンドはっぴいえんどの元メンバーであり、大滝の『A LONG VACATION』の作詞もほとんどが松本隆によるものだった。

それだけでなく、このアルバムB面の『黄昏はオレンジ・ライム』の作曲と4曲の編曲を担当したのは同じくはっぴいえんどの元メンバーである鈴木茂、『雨のリゾート』の作曲には翌年『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』で大滝と組むことになる杉真理、先行シングル『白いパラソル』を初め3曲の作曲を提供したチューリップの財津和夫と、一アイドルのアルバムとは思えないほど日本ポップス界の精鋭陣(今となっては重鎮だ)が揃ったのである。

もちろん、作家陣にビッグネームを揃えたから素晴らしい作品が出来上がるとは限らない。
特にアルバムの半数を占める大滝の楽曲が聖子さんに合わない可能性もあるし、聖子さんが歌いこなせず、失敗に終わる可能性もある。
すでに定評あった三浦=小田作品でこれまで通りのアルバムを作っていた方が、制作する側からしたら安全だったはずだ。
当時、聖子さんの人気が落ちていたわけでもなく、特に方向転換が必要な時期だったわけでもない。

にもかかわらず、このようなリスキーなアルバムをあえて作ったというのは、聖子さんの能力、可能性に心から惚れこみ、その可能性を最大限に発揮したアルバムを作ろうというスタッフの気概以外の何ものでもなかったろう。

失敗のリスクを恐れず、この路線に舵を切った若松宗雄プロデューサーを始めとするスタッフの英断に心から拍手を送りたい気分である。(一方で三浦=小田作品を歌う聖子さんをもう少し聴いていたかったというファン心理も少なからずある。見果てぬ夢だが・・・。)

1981年10月7日、まずアルバムの発売前にタイトル曲『風立ちぬ』が先行シングルとして発売された。



私は発売前からラジオで聴いていたのだが、正直言って、それまでの聖子さんの楽曲とは全く違う、異様な曲に感じられた。
前述のように、すでに『A LONG VACATION』を聴き、大滝の楽曲に免疫の出来ていた私ですらそう感じたのだから、世の聖子ファンにはかなりの困惑があったのではないかと想像する。
実のところ、私自身この曲を本当に好きになったのはここ数年である
それまで30年に渡ってずっと好きになれなかった、いや、なりきれなかった・・・。
以後続く

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