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Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


メルヴィル・システム』(続)

image105.gifメルヴィルが物事を彼独自の世界へと変えた方法についてですが、彼が俳優を指導したというのは正しい表現ではありません。
むしろ、彼が俳優たちを鼓舞したと言う方がより正確でしょう。

彼が俳優を教えることなどありませんでしたが、俳優がメルヴィル的俳優になるのと同様、彼には方法があったのです。
過去にメルヴィルと仕事をしていたドロンのような俳優たちは、例え、何をしていても、天性のメルヴィル的俳優でした。

メルヴィルが俳優を選択する時、役の軽重にかかわらず、彼には鋭い本能がありました。
彼はまったく俳優たちを演出しませんでしたが、予め、彼のシステムに合う役柄を演じられるような俳優たちを選んでいたことも事実でした。

例えば、彼はエキストラの俳優に突然、重要な役をふるという不思議な才覚がありました。
我々スタッフがエキストラの一人としてしか見ていなかった俳優を、です。
彼はエキストラの俳優に、突然「ムッシュー・ ○○」と声をかけたものです。
彼はすべてのエキストラを知っていました。
当時のエキストラは、プロでしたから、我々も、彼らをファースト・ネームと姓名によって知っていました。
我々はあらゆる映画で彼らを見て、相応のシーンのために彼らを招いていたのです。
メルヴィルは彼らのことを実によく知っていました。
何人かの俳優を好み、彼らを名前で呼んでは、時には役を与えることもあったのです。

自分は大した俳優ではないと思っていたり、また、ミュージック・ホール上がりの落ちぶれた俳優だと諦めていたエキストラの俳優たちが、突然、予想もしていなかった重要な役をふられ、衣装まで用意されたのです。
重要な役柄を演じ、自らの活躍する場を得た彼らは変貌しました。
メルヴィルは、何も言わずに彼らを一変させたのです。

image104.gifそして、やはり彼のアイデアでしたが、『仁義』では、優れたオーケストラ指揮者であったアンドレ・エキヤンがギャング役を演じています。(訳注:リコ役)
彼はいかにもその役らしく見え、自らの俳優としてのぎこちなさを上手く利用していたので、大変印象的です。
これには本当に驚かされました。

監督の偉大さの要因とはなんでしょうか?
説明することは難しいですが、簡単に言って、我々が持ちえないアイデアを持っていることです。
それは、人々を不意打ちのように驚かせるのです。
映画監督の助手を務めたり、いつの日か自ら映画を制作する希望を持っている人たちは、人々の行動を観察するという、ある種の修行段階にいるわけですが、その人たちにとって理想的な状況とは、驚きを与える監督と巡り合うことです。

この項続く。

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Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


メルヴィル・システム

image102.gifメルヴィルにはあるシステムがありました。
それは、とても奇妙なことですが - 彼は何も言う必要がなくとも、俳優がメルヴィル的俳優に、セットがメルヴィル的セットになったのです。
私はこれについてどう説明すべきか分かりません。

彼には独自の世界を再創造できる非常に強いスタイルがあり、周囲の物事が、メルヴィル的見地に従って、再構築されたのです。
少々哲学的、あるいは抽象的で、妙なことを言うように思われるでしょうが、本当にそうであったのです。

彼は監督するにあたって、あらゆる詳細を練り上げていたわけではありません。
例えば、私は見習いとして、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーと仕事をしましたが、彼は『愛の地獄』を完成することができませんでした。
シャブロルが、後にそれを引き継いで撮影しましたが(訳注:94年に完成)、そこには、クルーゾーによってすべてが計画、立面図、スケッチによって、取り決められ、準備、作成されていたのでした。

しかし、メルヴィルの場合、そのようなことはありませんでした。
が、彼には撮るべきシーンのアイデアがありました。
彼はそのアイデアを説明し、我々はそのための準備をしましたが、彼はひと目見て、即座にすべてを変えてしまう、素晴らしい直感を持っていました。
疑いなく、私が出会った映画監督の中でも最も偉大な監督です。
彼は俳優の動く空間の組織化、いわば、その空間の使い方に真の直感力があったのです。
それは実に見事で、彼は自分がしていることを完全に把握していました。

正直なところ、私には、どちらかと言うと陳腐で、さして良くないと思えた脚本が、彼によって、素晴らしいシーンへと変わってゆく手法に最も感心させられました。
私にとって、『仁義』は監督の完全な演出力によって支えられた、真の映画です。

『仁義』は、ストーリーそのもの以外にもしっかり観るならば、カメラ・アングル、照明、セット、俳優の動きなど、ひたすら監督の演出力によってのみ成り立っている映画なのです。
ただストーリーを追うだけなら、私も脚本を読んだ時に少し感じたように、「ここからどんな映画ができるでしょうか?」
けれども私は、脚本の単純な、また、ありきたりとも思える部分が、メルヴィル的宇宙に属する何か特別なものへと見事なまでに変化してゆく手腕に、毎日驚かされました。


この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの続きです。


宵っぱり

そうです、メルヴィルは撮影が嫌いでした。
メルヴィルは夜型人間、宵っぱりだったので、撮影は、彼にとって悪夢でした。

彼が映画を撮影していなかった時は、自宅のすべての窓とシャッターを閉じて、周りに新聞がばらまかれている状態で、パジャマ姿でベッドの上でゴロゴロして過ごしていました。
夜が訪れるや否や、彼は着飾って、外出したものです。
彼は宵っぱりでしたから、ただ撮影のために起床しなければならなかったり、日中に外出しなければならないことは耐え難いことだったのです。

スタジオ撮影では、まだ耐えられましたが、屋外撮影であったり、あるいは午前9時からの撮影であったりした場合には、本当につらかったのです。
彼はそれをとにかく嫌がりました。

image103.gifそのうえ、映画撮影のロジスティクスに メルヴィルは興味を持ちませんでした。
欲していたのは撮影後の作業、特に編集が好きでした。
撮影後、何ヶ月にも渡って、編集作業に没頭していたのです。
彼は自宅に編集室を持ち、昼夜問わず一日中、編集室に入り浸っていました。
彼にとって、そここそが自身の映像を、落ち着いた環境の中、制作できる場所だったのです。
けれども実際の映画撮影をすることにはまったく興味を持ちせませんでした。
それは苦痛以外の何物でもなかったのです。
彼は人間的に魅力的な人物でしたが、撮影のせいで、よく彼は不機嫌になっていました。

彼は、撮りたいイメージの明確な目標を持った監督でしたが、物事が彼の望んだような形で完全に現実化されることはありませんでした。
それらは、決して彼が想像したような形で実現されることはなかったのです。
彼は、周囲のスタッフの反応の悪さから、自己の意図を十分に理解されていないと常に感じていました。
私が本当にかかわったと言えるのは、彼への反応の悪さだけでした。

この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの続きです。


アメリカの友人

image100.gifメルヴィルはアメリカ人になりたがっていました。
彼はアメリカに対して大きな憧れを抱いていたのです。
それは奇妙なほどです。

メルヴィルのポリス・スリラーは非常にフランス的ですが、それは、フランス的ではない、ある神話の枠内のものでもありました。
それはアメリカ映画の、とりわけアメリカのフィルム・ノワールの神話によって、大きな影響を受けたものでした。
彼はアメリカに対し大いなる愛情を抱き、それが彼を駆り立てていたのです。

彼は巨大なアメリカ車に乗っていました。
そして、彼の大好きなものの1つであったパリ環状道路が当時建設中でした。
彼が好きであったものの1つが、深夜に、私を環状道路のドライブに連れ出すことだったのです。
彼は1人でいることを好まず、私を乗せて、大音量で音楽を流しながら、巨大なアメリカ車でドライブしたのです。
ステレオはその当時の最新型のもので、8トラックのテープ、と呼ばれていたと思います。
突然、彼はどこか他の場所にいるような気持ちになって言うのです、
「kiddo 、キレイだろ? 美しいと思わないか?」
その広い高速道路は、彼にとって、まるでアメリカの、ロサンゼルスの高速道路のように感じられたのでしょう。
彼はそのことに感動していました。

私は彼がナイーブな人間だったとまでは言いませんが、彼のアメリカに対する愛には、良い意味で、どこか純真なものがありました。

この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの続きです。


ワンテイク

通常、映画監督は自分がどんなカットを撮りたいかを助監督に説明し、それを引継いだ助監督が全ての準備を整えます。
それから助監督は、監督の控え室に行って声をかけるのです。
「監督、撮影の準備が整っています」
監督は現場に現れ、リハーサルをし、撮影をしたりしなかったりするわけです。

メルヴィルの場合、その点は非常に明確に準備されました。
間際になって彼を呼びに行くと、彼は問います。
「準備はできたか?」
「はい、監督。 準備は万端です」
確かに我々は、彼を呼びに行く前に、上手くいかないところを何度もリハーサルして確認し、準備を万端にしていました。

そこにメルヴィルが現れ、リハーサルをし、あるいは、彼の慣習として、通常ワンテイクで撮影をしました。
彼は予備のテイクを見ようとはしませんでした。
というのも、最初のテイクが通常良い出来だったからです。
また、彼はリハーサルが好きではなく、控え室に戻ったものです。

彼は、珍しい方法で撮影をし、毎日が驚きの連続でした。
が、それは道理に適っており、我々が予想したような方向へはいかずとも、失望させられることはありませんでした。

ただ実は、彼は監督するにあたって ― 面白いことに ― 台本を持ってこなかったので、我々は前日やその朝に台本を再読せねばなりませんでした。
我々は彼がどう対応するか、撮影できるのか、不思議に思ったものです。

image101.gif撮影するシーンは特別な何かがあるようには思えません。
一番印象深い例として、ブールヴィルとジャン・マリア・ボロンテの列車のシーンを挙げますが、脚本を読むだけなら、特別変わったものは何もありません。
普通の監督にとっては、特別なシーンとはならず、単に短い場面を撮ることでしょう。
けれどもメルヴィルは常に次のようなセンスを持っていました ― 私はその言い方が好きでした ― 「Kiddo 、広がりをもたせよう」 (訳注:Kiddoとはベルナール・ストラの愛称と思われる)

「広がりをもたせる」とは、ごく些細な部分、脚本の中の3行ほどの部分を、何か重要なものへと膨らませることを意味しました。
事実、映画冒頭の列車のシーンに素晴らしいサスペンスがあり、見事な出来栄えとなっています。
最も単純な状況の中から、彼は物語を展開させるのです。

この項続く。

for18410-01.jpgCriterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビュー(英語字幕)を翻訳して紹介したいと思います。
このインタビューは2003年に収録されたもので、30分にも及ぶものですが、メルヴィルの人となり、監督としての裏話など、興味深いエピソードが満載です。(インタビュアーの質問に答える形式ではなく、自ら思い出話をするという形式)
このインタビュー映像は、BFI盤DVD『仁義』にも全く同じものが収録されています。

なお、ベルナール・ストラBernard Stora)は1942年マルセイユ生まれの脚本家、監督(監督業はTVがほとんど)。
70年代までは助監督として、『シシリアン』(69)『フレンチ・コネクションⅡ』(75)などに関わっており、2001年には、TV映画『フェルショー家の長男』(ジャン=ポール・ベルモンドサミー・ナセリ出演)を監督しています。
脚本家としては、『なまいきシャルロット』(85。クロード・ミレール監督)の脚本でも知られています。


最初の印象

image98.gif私は初めて彼に会った時のことを覚えています。
彼は『影の軍隊』のダビング中で、ちょうどそれを終えたところでした。
確か69年11月であったと記憶しています。

メルヴィルは、他のフランスの映画監督のように生音を好んで、音のダビングを嫌う監督たちとは異なり、撮影後に音のダビングをすることを好んでいました。
彼は映画のセリフを変えたり、手直しして、物語の筋道を変えることを好み、そういうやり方を得意としていたのです。

私は彼がダビングをしている現場を見学した時のことを覚えています。
真っ暗の中、灯りがつき、そこでメルヴィルを見たのが最初です。
彼は大変存在感のある人物で、どこかごう慢な雰囲気を人に与えました。
彼は非常に魅力的な人物で、一面優しい人柄ですが、同じくらいごう慢さも持ち合わせていたのです。
その時、ド・ゴールのように胸を張って立った彼の姿は、いかにもごう慢な印象の方でした。

「あなたはジャン=ピエール・メルヴィルの助監督になりたいのですね?ならば、あそこの3番目の人に聞いてごらんなさい。」
私にとって、その時の状況は必ずしも好ましいものではありませんでしたが、滅多にない仕事のチャンスであり、私は本気でその仕事を望んでいました。
私はすでに著名な映画監督との仕事を経験済みでしたが、メルヴィルは当時すでに、伝説的といえる存在になっていたと思います。

この項続く。

image67.jpg昨年末お伝えしましたジョニー・トー(杜琪峰)監督による『仁義』のリメイク話の続報です。(以前書いた記事
この作品のオリジナルであるジャン=ピエール・メルヴィル監督の『仁義』については、手前味噌ですが、こちらのページを参照下さい。

香港の新聞「蘋果日報」に続報が出ていますが、香港映画にお詳しい他のブログ等の情報によりますと、映画の計画は着々と進行中で、キャストには、既に出演が決まっているオーランド・ブルームの他、チョウ・ユンファリーアム・ニーソンの出演が決まった模様です。

オーランド・ブルームが、メルヴィル監督のオリジナル版『仁義』でアラン・ドロンが演じたコーレイに当たる役柄を演じることは既に決まっているようですが、そのオジリナル版『仁義』においてイヴ・モンタン、ブールヴィル、ジャン=マリア・ヴォロンテ、フランソワ・ペリエらが演じた役柄を誰が演じるかまではまだ分かりません。
それぞれに拮抗した存在感のある俳優が求められると思われますが、それにしても、リーアム・ニーソンというのはなかなか渋いキャスティングで良さげですね。
映画のタイトルは『紅圈』(Red Circle)…オリジナルそのまんまですが、変に代えられるよりは良いかと。

オリジナルの舞台はフランスでしたが、今度は舞台をマカオと香港に移すとのことで、撮影は6月スタートだそうです。
また続報が分かり次第こちらでもお知らせします。
[1] [2] [3] [4] [5]
テンプレ作った人:おみそ
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HN:
マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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