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Criterion盤DVD仁義』の特典映像に収録されている『Excerpts from Morceaux de bravoure』と題されたジャン=ピエール・メルヴィル監督のインタビュー映像を翻訳して何回かに分けて紹介します。
これは、フランスのテレビ局に残された映像らしく、放送日が1973年5月7日と、メルヴィル監督の最晩年の姿が記録された貴重なものです。(監督はこの年の8月2日に他界)

インタビュアーの名前は不詳ですが、映像の冒頭に“Directed by : Jean-Paul Sassy”とクレジットがありますので、もしかしたら、この人かもしれません。
ちなみに、Jean-Paul Sassyは、あの『死刑台のエレベーター』のスクリプターも務めており、50年代はアンドレ・カイヤット監督の『裁きは終わりぬ』などで助監督、60年代以降は主にTV映画の監督を務めている人のようです。 

ここでは、『仁義』の知られざる製作秘話が語られます。


image116.gif質問: ジャン=ピエール・メルヴィルさん、アメリカ映画に対するあなたの情熱を知らぬ者はいません。
あなたに影響を与えたアメリカ映画、ポリス・スリラーはありますか?
また、あなたに影響を与えたそれらの映画の古典的なシーンはありますでしょうか?

メルヴィル(以下M): 私に影響を与えたと言う以前に、私を最も魅了した2本のアメリカのポリス・スリラーがあるんだ。
24年前のとても古い映画だが、『アスファルト・ジャングル』と、もう少し新しいものでは1959年の映画『拳銃の報酬』の2本だよ。
(訳注:『アスファルト・ジャングル』1950年の映画で監督はジョン・ヒューストン、『拳銃の報酬』の監督はロバート・ワイズ)
「古典的なシーン」について言えば、最初に挙げた『アスファルト・ジャングル』での、宝石店強盗シーンがそうだね。

私は1951年にこの映画を観た。
しかしながら、1950年の夏、午前3時にヴァンドーム広場を散歩していた時、私は映画でブシュロン宝石店からの強奪シーンを描くことができないだろうかと考えていたんだ。
その当時、 モーブッサン宝石店は、まだヴァンドーム広場で営業を始めてなかったのでね。
(訳注:『仁義』ではヴァンドーム広場のモーブッサン宝石店が襲われる)

私はラ・ペ通りをぐるりと回り、ダニエル・カサノヴァ通りに出た。
そしてカサノヴァ通りのロビーの入り口の全ての呼び鈴を押したのさ。
7番目か8番目の建物で、ドアは開いた。
私は1つの中庭を横切り、そして次の中庭を渡った。
私はいくつかの階段を見つけ、それらを登った。
上まで登ると、屋根に通じている天窓と、壁に向かって掛けられている梯子を見つけた。
私は梯子を天窓のある小さい屋根裏の下に置くと、その梯子を上り、天窓を開けて、ブシュロン宝石店の屋根に這い出たんだ。
だから、映画でブシュロン宝石店の強奪シーンを描こうとするなら、この中庭を通らせようと思ったのさ。
おそらく通常なら、バスルームを通ろうとするだろう -  パリの大部分の建物の設計に従えばね。

友人と一緒に出かけた、この夜の探検旅行の後、実際、私は家に帰ってから『仁義』の宝石店強盗の全体のシーンの脚本を書いた。
それは夏だった…1950年8月のことだ。
ところが、1950年の終わり、あるいは1951年早くに、『アスファルト・ジャングル』という、宝石店が強盗に襲われる映画が公開された。
当然、私はすでに書き始めていた脚本を脇に置いて、そして、『アスファルト・ジャングル』が人々の記憶から消え去るまで、何年もの間それに触れないことに決めたんだ。

ところが、その2年か3年後に『男の争い』が公開された。(訳注:1955年の映画で、監督はジュールス・ダッシン)
宝石店でのもう一つの強盗事件を描いた映画だ。
このことが、『仁義』を1970年へと追いやったんだ。
撮るまでに20年かかったんだよ。
20年の間、私はこの2つの映画のために宝石店強盗を撮らなかったんだ。
このことからも、優れたアメリカのポリス・スリラーを観ることが、私にとって、いかに大きな影響を与えたかが分かるだろうね…なにせ自分の撮りたい映画を撮ることを阻止したんだからな。


この項続く。
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Criterion盤DVD仁義』の特典映像に収録されている助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳を長々と紹介してきましたが、このインタビューの紹介も今回で最終回となります。
英語字幕を参考にしたとはいえ、映像にして30分に及ぶインタビューを訳出することは私にとってはかなりの難事業で、実際のところは誤訳もさぞや多いことだろうと思われますが、ご明察、ご了解の上、お読みいただけたらと思います。

ベルナール・ストラは、『仁義』だけでしかメルヴィル監督とかかわりがありませんが、このインタビューを読みますと、メルヴィルという人を実に客観的に理解しているという印象があります。
メルヴィル監督の人となり、映画への取り組み方などがある程度はご想像いただけるのではないでしょうか。


師の教え

image115.gif私は、映画を制作する希望や夢を持っていたあの時期に、メルヴィルから学んだことは次のようなことだと思っています - つまり、大切な事は撮影の場に集中するということです。

アイデアは、当然ですが、さまざまな時に浮かぶものです。
そのアイデアを展開させ、映画のことを総体的に考えることもできるわけですが、事が本当に起こるのは、セットの中でのある一瞬なのです。
メルヴィルから学んだことは、映画撮影とは、決して既定の事実に沿ったものではないということです。

ある1日の映画撮影においては- 各撮影のために、エネルギーと創造力を生み出さねばなりません。
あるシーンの細部を仕上げ、次の段階へと移る前に、そこには常に撮影のためにできる何かがあるのです。
新しいアイデアを捻出するのに遅すぎるということはありません。
当然、周囲の人々は「もっと早くそのことを考えなかったんですか?」というような不満を言うでしょう。
けれどもそれは重要ではありません。

長い時間を共に働いている現場のスタッフに対してきつく当たるべきではありませんが、何より重要なことは、新しいことを常に試みようとすることなのです。
それが映画を決して型通りとはしないのです。

メルヴィルはその点が見事でした。
彼にはアイデア- それも真のアイデア- がありました。
彼は、ただ映画を撮っただけではなく、この業界をも揺り動かしたのです。


この項終わり。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。
今回はコーレイ役を演じたアラン・ドロンと、ジャンセン役を演じたイヴ・モンタンに関する内容が主です。


2人の優秀な弟子

image113.gifドロンは伝説的な俳優、スターでした。
彼には独特のリズムがあり、驚かされました。
彼は何時に自分の撮影があるかを尋ねると、その時間に撮影所に車で乗り付けてセットに現れ、撮影をし、去っていったものです。
その行動は非常に独特であり、全然仲の良い友人の群れという感じではないのです。
その行動には幾分緊張感がありましたが、騒ぎを起こすようなことはしませんでした。

ましてや、メルヴィルの撮影現場で誰かが大声を上げたりするようなことは起こりません。
メルヴィル自身、人をどなるようなことはしませんでしたが、時に不当に、そして少々理不尽なほど、ただひたすら厳しい要求を出したので、現場のスタッフの間には自然と緊張感がありました。
そして、人は、緊張している時に限って、緊張していなかったら起こらなかったであろう愚かな失敗をするものなのです。

image114.gifイヴ・モンタンは非常に穏やかな人でした。
大変節度をわきまえ、 他人に威圧感を与えるような行動はしませんでした。
彼はメルヴィルと仕事をすることを喜び、誇りに思っていました。
ええ、メルヴィルの宇宙に入ることを誇りに思っていたのです。
モンタンは『仁義』でとても良い演技をしています。
彼にとってピッタリの役で、彼はその役を演じることに喜びを感じていました。
演技で特に苦しむこともなく、メルヴィルに悩まされることもありませんでした。
彼はユーモアをもって、メルヴィルと付き合ったのです。

メルヴィルは変わった人で、撮影中よく腹を立てるわりに、我々二人きりになった時、「Kiddo、なんで私を止めてくれなかったんだ?」と私に言ったものです。
私はまだ若造でしたが、 メルヴィルは私よりずっと年長でした。
私は助監督であり、彼は偉大な監督でした。
彼について知っておかなければならなかったことは - 彼には大いにユーモアのセンスがあったので、自身の馬鹿さ加減に気づいた時には、すぐさま正気に戻ることが可能な人間だったということです。
本当に複雑な人でした。


次回がこのインタビューの翻訳の最終回となります。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


苦悩した俳優

image112.gifジャン・マリア・ヴォロンテの場合、ことはさらに厄介でした。
彼はまったくメルヴィルを好きになれず、また、その感情はお互い様だったのです。

『仁義』でのヴォロンテは実に素晴らしい演技です。
彼は、素晴らしい俳優であり、すごい男なのです。
けれども彼はメルヴィルから影響されることに抵抗しました。
言うまでもなく、メルヴィルに抵抗などしたら、最悪の事態を招きますが、ヴォロンテは確信犯的にトラブルを起こしました。
手に負えなくなったヴォロンテは、確か1日か2日の間、撮影に穴を開けたと思います。

このことで、アラン・ドロンが大変上手く状況を処理したとことを記憶しています。
ドロンは特にヴォロンテと親しかったわけではありませんが、彼がヴォロンテを撮影に連れ戻したのでした。
彼はこう言ってヴォロンテを口説いたのです、「映画の撮影を始めた以上は、それをやり遂げる義務がありますよ。」
ヴォロンテは、仮にそのまま映画を降板したら、拘置所で残りの人生を棒に振る心積もりすらしていました。

image111.gifヴォロンテとメルヴィルは、うまくいきませんでした。

二人は非常に異なった人間だったのです。
ヴォロンテは厳しく身動きの取れない状態に陥りました。
そのことで彼はとても悩んでいたと思います。

そういうことが好きではなかった彼は、この種のゲームを続けることを望んでいませんでした。
彼は何をして良いのか分からなかったのかもしれません。
ただ、それで彼が良い演技をしなかったわけではないのです。
時には抵抗することが良い場合もあります。
各々が、時には逆説的な方法で、自分なりのやる気や原動力を持っている限りにおいては…。


次回は、コーレイ役のアラン・ドロン、ジャンセン役のイヴ・モンタンについてです。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


ブールヴィルの変貌』(続)

image110.gif最後に- これはメルヴィルの直観力の見事な冴えでしたが- ブールヴィルはノルマンディーなまりの影響で、すべての音節を長引かせる癖がありましたので、メルヴィルは彼に言葉を飲み込むように求めました。
例えば、je vais と言う代わりに、j 'vais と言って、音節を縮小するのです。

これはブールヴィルにとって難事でした。
彼はそのような話し方に全然慣れていなかったのです。
けれども、彼は非常に誠実で、良心的な男でした。
彼はモンタン同様、ミュージック・ホール出身でしたので、演技はもちろん、新しいことを学ぶことには慣れていたのです。
ブールヴィルは自分のすべてのセリフをそうやって覚えました。
彼にとって、大変なことだったと思われます。

演技にあたって、先ほど一例をあげたような音節の縮小のことや、それがセリフに頻発することを考えたら、警視を演じることを考える余裕などないはずです。
俳優は、意識を集中することに慣れたすべての物事を、頭の中から押し出すものです。(訳注:この部分のニュアンスがうまく訳出できません)
メルヴィル的俳優になることは、大きな制約を伴うのです。
ブレッソン的俳優のように、ある信仰上の態度や自らの表現方法、ある機械的な特質とまではいかないまでもね。

ブールヴィルは初めはメルヴィル的俳優ではありませんでしたが、彼はメルヴィル的俳優になりました。
メルヴィルはブールヴィルに対し、大いに尊敬の念を抱きました。
が、ブールヴィルは非常に疲れていました。
というのも、彼は当時、すでに病に犯されていたのです。
彼はセットを去る余裕すらありませんでしたが、常に非常に誠実な態度で撮影に臨みました。
結果、メルヴィルはブールヴィルに対して大変敬意を抱くようになったのです。

image109.gifブールヴィルがただ一度だけふざけたのは彼の出演シーンの最後の撮影日でした。
我々はモンタンとドロンが死ぬシーンを撮っていました。
そして、ブールヴィルが去ってゆく場面 - 次のような監査局長とのラスト・シーンです。
「すべての人間?」
「そう、すべての人間だ、マテイ君。」
移動撮影で、我々は非常にドラマティックなこのシーンを何度か繰り返していました。

ブールヴィルは、3カ月の映画撮影の間、メルヴィルに対して、何か特別なことで話しかけたり、訊ねたりしませんでしたが、その撮影の最後、メルヴィルに近づいて訊ねました。
「ムッシュー・メルヴィル、私のために、もうワンテイクよろしいですか?」(ブールヴィルの口調で)
メルヴィルは非常に驚き、言いました、「もちろんです、ムッシュー・ブールヴィル。 (スタッフに向かい)移動台を押して!」

それは、ブールヴィルが去ってゆく素晴らしいカットのことで、監査局長を演じていた老俳優(訳注:ポール・アミオ)との次のような会話です。
「すべての人間が罪人ですか?」
「そう、すべての人間だ。」

それに対して、ブールヴィルは言いました、
「すべて、ではありません、監査局長。なぜなら、-『La Tactique du Gendarme』」(とブールヴィルの口調で歌を歌いだす)』(訳注:この歌は歌手ブールヴィルの持ち歌で、「憲兵の駆け引き」の意)
もともと笑うことが好きなメルヴィルを含め、その場は笑いに包まれました。
それは ブールヴィルが撮影でただ一度自らに許した悪戯だったのです。


次回は、ヴォージェル役のジャン・マリア・ヴォロンテについてです。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


ブールヴィルの変貌

image108.gifブールヴィルはもともと出演予定ではなく、リノ・ヴァンチュラが演じる予定でした。
しかし、メルヴィルは他人と喧嘩するという素晴らしい才能があったため、ヴァンチュラと仲違いしてしまいました。
メルヴィルに「ブールヴィルを起用すべきだ。」と進言したのはプロデューサーのロベール・ドルフマンです。
メルヴィルがこう話したのを覚えています、
「愚かなアイデアだ、 刑事役のブールヴィルなんて! 彼が口を開ける度に、『La Tactique Du Gendarme』や『Les Crayons』 - ブールヴィルが歌っていた歌謡曲 - を歌い始めるのを期待してしまうぞ。」

メルヴィルはブールヴィルをメルヴィル的俳優であるとは捉えていませんでしたが、前にお話したように、メルヴィルは俳優を指導せずとも、俳優を自らの宇宙に引き入れる並外れた才覚を持っていました。
私は彼がどのようにブールヴィルに対処したか覚えています。
メルヴィルはブールヴィルに何か説明したり、議論をしたりしませんでした。
それはメルヴィルのやり方ではないのです。
彼は3つの側面から始めました。

まず、最初にメルヴィルは、有名なパリの仕立屋- どこだったか覚えていませんが -でブールヴィルのためスーツを誂えました。
ブールヴィルは田舎出の素朴な男で、このようなスーツを着ない人でした。
彼はスーツを買う余裕はありながらも、そうしなかったのですが、一方、メルヴィルは非常にお洒落で、生地屋、仕立屋、靴屋、帽子屋などを知っていました。
ブールヴィルは、人生で初めて、自分の体に完璧に合った上等なテーラードスーツを着ました。
彼は鏡を見て言いました、「おい、なんて男前なんだ!」

次に、ブールヴィルは少し禿げかかっていましたので、メルヴィルはブールヴィルのためにかつらを作らせました。
鏡の中の自分の姿を見て、ブールヴィルはそれが自分自身だとほとんど識別できなかったほどです。

それから我々は彼を有名な帽子屋に連れて行き、ソフト帽を試着させました。
ブールヴィルはソフト帽をかぶらない人でした。
ソフト帽は当時すでに流行遅れのスタイルでしたからね。

こうして、ブールヴィルの外見は日毎に変化していき、ブールヴィルは以前の彼ではなくなっていました。
ブールヴィルも、他の人たちと同様、お似合いの服装の着心地が悪いはずもなく、以前とは違う人間、仕事ぶりとなっていったのです。


この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


動物の友

メルヴィルは動物愛好家でした。
彼は動物の友人であり、周囲の人々に対するよりずっと丁重に動物を扱いました。
彼の家は猫だらけでした。
動物を愛していたのです。

image106.gif彼は同じく爬虫類も好きで、舞台監督が埠頭から持ち帰って、ジャンセン(訳注:イヴ・モンタンの役名)の家のクローゼットを満たした小動物も皆好きでした。
あのシーンでは、本物の動物と同様、人形使いによって操られた動物も中に混じっています。

もちろん、人形使いによって操られた動物は、常に本物のように動くわけではありませんが、本物の動物は隠れてしまったり、クローゼットから出てこなかったりしましたので、我々はそれらを押したり、こづいたりしなければなりませんでした。
我々が不幸にも小動物の足をつかんで少々強く引っ張ったりした時など、メルヴィルが声を上げたものです、「君は何ということを! 小さな足を引っ張るとは!」

もちろん、これは単なるエピソードに過ぎませんが、このインタビューで期待されている話はこんなことでしょう。
撮影は大変でした、ばかばかしいほど。
こういったタイプの撮影現場ではよくあることですが。
現場は笑いに包まれまていましたが、狙った効果が得られない時には、逆に緊張感が走りました。
ベッドの上で横になっているモンタンの口元に、よだれをたらしながら小動物が迫っていったりしたからです。

この撮影日がとりわけおかしかったことを覚えていますので、映画を観る度に、間に合わせで撮られたこれらのシーンに対する観客の反応を知って、いつも驚かされます。

巴里の屋根の上に

image107.gif私は、ヴァンドーム広場の建物の屋上に上がったメルヴィルが、そこからの素晴らしい眺めを見るために、椅子を所望したことを忘れることができません。(笑)
それは、屋外にいるにもかかわらず、まるで彼がスタジオ撮影時のようにステットソン帽とレイバンのサングラスを着用し、大変穏やかに撮影をした、ちょっとした見ものでした。
まあ、その時の彼は、撮影時には例のないほど穏やかでした。


このインタビューはまだまだ続きます。
次回からは出演俳優のエピソードとなります。

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HN:
マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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