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ユニバーサル・フランスから発売されている『サムライ』のサントラCDのブックレットには、STEPHANE LEROUGEによるライナー・ノーツが掲載されておりますが、今回は『サムライ』に関する部分のみを翻訳して紹介します。
例によって、訳出に怪しい部分もありますが、ご了承下さい。
表向き、メルヴィルには若いフランソワ・ド・ルーべをビビらせるに充分な評判があった。
というのも、メルヴィルに関わった作曲家たちにとって、彼はある種、鬼のような存在だったからだ。
ステットソンを被ったこの映画監督は、ポール・ミスラキ(訳注:『いぬ』の作曲者)をほとんどノイローゼ状態にしてしまったし、ジョン・ルイスが『ギャング』のために録音したスコアを、暴力的なまでに拒絶してしまっていた。
メルヴィルという大物に対し、ド・ルーべが小さな子供のような振舞いをしたことは、ド・ルーべとロベール・アンリコ(訳注:『冒険者たち』の監督)の間にあった親しい兄弟のような関係の終わりを意味した。
ド・ルーべ曰く「後に彼も認めていますが、メルヴィルが私に接触してきた時、私はまだまだ無名でした。彼からの仕事の依頼が、私の評価を確立したのです。
ある朝、彼から『サムライ』の音楽の依頼の電話をもらった時、私は“喜んで”と答えました。
彼にとっての自由なコマとなったわけです。
メルヴィルは、誰であっても彼に従う人たちに対しては、とても愉快な人でした。
たとえ彼が私の友人たちと仲が悪くてもね。
彼との仕事はとても上手くいきました。
今日、私は同じことを言える自信はありませんが…。」
『サムライ』におけるメルヴィルの仕事の依頼は緊急だった。
ド・ルーべには、スコアを作曲し録音するのに2週間しか時間がなかったのだ。
ベルナール・ジェラール(訳注:『冒険者たち』において、ド・ルーべのオーケストレーションを手伝っていた)は手が塞がっていたが、ミシェル・マーニュの一団からもう1人の裏切り者エリック・ドマルサンを推薦し、彼がオーケストレーションとレコーディング・セッションを引きついだ。
最初から、フランソワ・ド・ルーベは、映画の人工的なまでの美しさに魅了されていた。
その美しさはメルヴィルの明快さの頂点であり、同時にそれは、演じていることをまるで感じさせない、氷のように調和の取れたアラン・ドロンによってもたらされていた。
映画の始めの10分間は全くセリフがなく、それは作曲家にとっての完全なる自由を意味していた。
ド・ルーべ曰く「メルヴィルはごくシンプルな指示しか出しませんでした。音楽は、コステロの心の肖像画のように律動しなければならない。言わば、彼の過去、特に彼の運命によって特徴づけられた人間性のように流れなければならない、とね。
つまり、私は、コステロの運命を表現しなければならなかったのです…。」
よって、この、ミニマリストによる、ごく微細なテーマ音楽は、一つのアルペジオからほとんどが構成され、ジェフ・コステロを追いつめる不可避の出来事の連鎖を表現していたのだ。
また、ハモンドオルガン(エリック・ドマルサンによる提案)によって生み出された音楽が、劇的な効果を挙げていることにも注目しよう。
これは、ヴァレリー(カティ・ロジェ)によって―ローダ・スコットの吹き替え演奏だが―マルテのナイトクラブのオルガンで演奏される。
ヴァレリーは、故意ではないが、コステロの死を促進する破滅的メカニズムの誘因となる。
オープニングタイトルでソロが演奏される(エディ・ルイスによるものだ)オルガンの音色とフレージングは、すでにサムライの死の予兆としても捉えることができよう。
エンド・クレジットにおいて、ド・ルーべは、トランペット―都会の孤独感を表現するのに最も適した楽器だが―で同じテーマを悲痛なまでに繰り返し用いることを避けている。
メルヴィルは後にド・ルーべの音楽に大満足であったと告白した。
しかしながら、それから、メルヴィルはエリック・ドマルサンと共に仕事をしていくことになったのだが。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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