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image10.jpg先日、ジャン=ポール・ベルモンド主演の映画『相続人』を当ブログにて取り上げましたが、監督を務めたフィリップ・ラブロについての略歴の情報をFauxさんがHPのBBSにお寄せ下さいました。
日本では彼の前歴やその後の消息はあまり知られていませんので、大変貴重な情報だと思われます。
Fauxさんご本人の了承を得ましたので、ここにその略歴を転載、紹介させていただきます。
(画像はクライテリオン盤DVD『影の軍隊』特典映像にてインタビューに答えるフィリップ・ラブロ)


フィリップ・ラブロ略歴:
1936年8月27日、南仏モントバンに生れる。
1939年、第二次大戦中、家族と大きな四階建ての屋敷に引越す。そこにドイツ兵と亡命途中のユダヤ人が同居。ドイツ兵はユダヤ人の存在を黙認していた。
1948年、子供たちの教育のため、父親は家族を伴ってパリに移住。
1951年、高級紙「ル・フィガロ」によるジャーナリスト・コンクールで優勝。
1953年、論文『アメリカ映画概観 Aspects du cinema americain』。
1954年1月、ジャンソン=ド=ヌイイ高校在学中、米国でジャーナリズムを学ぼうと決意。ヴァージニア州レキシントンのワシントン&リー大学に入学。
1957年、フランスに帰国し、ラジオ局「ヨーロッパ・ナンバー1」のリポーターとなる。
1958年、女性誌『マリ=フランス』の記者となる。
1959年、大衆紙「フランス・ソワール」の記者となる(72年まで)。
1960年、ガリマール書店から、アル・カポーン(カポネ)伝『おとなしくないアメリカ人 Un Americain peu tranquille』を刊行。アルジェリアで従軍記者となる。
1964年、アンリ・ド・チュレンヌ(21年生まれ。映画『フォート・サガン』の脚本家)と共に、ORTF(仏国営放送)2チャンネルの番組「キャメラ・トロワ」の共同制作者となり、4年間この仕事を続ける。
1965年、週刊新聞「ジュルナル・デュ・ディマンシュ」の記者となる(72年まで)。
1966年、TV短編映画『2人のD:マリー・デュボワ、フランソワーズ・ドルレアック Les Deux D.: Marie Dubois, Francoise Dorleac』を監督。
 フィルム・ノワールをパロった、ゴダールの映画『メイド・イン・USA』(66)の最後に本人役で出演。
1967年、二年間の従軍記者体験を踏まえた初の政治サスペンス小説『Des Feux mal eteints』(96年にセルジュ・モアティ監督により擬似ドキュメンタリーの手法で映画化。主演はジャック・ドレー監督、アラン・ドロン脚本・主演の『ある犯罪 Un Crime』のマニュエル・ブラン)。
1969年、女性製作者マグ・ボダール製作のサスペンス映画『何が起きてもおかしくない Tout peut arriver』を監督。主演はジャン=クロード・ブイヨン。ブイヨンは『メイド・インUSA』のロバート・オルドリッチ刑事役。ファブリス・ルキーニの映画デビュー作。
1970年、エド・マクベイン(イヴァン・ハンター)原作(『10プラス1』ハヤカワ・ミステリ文庫)、ジャン=ルイ・トランティニャン主演の映画『刑事キャレラ/10+1の追撃』を監督。ジョン・ヒューストン、ハワード・ホークス、メルヴィルの影響を受けている。
 ジョニー・アリデーの歌詞を執筆。
1973年、ジャン=ポール・ベルモンド主演の映画『相続人』を監督。
1974年、自らの小説『偶然と暴力』に基づき、イヴ・モンタン、キャサリン・ロス主演の映画『潮騒』を監督。
1976年、ジャン=ポール・ベルモンド主演の映画『危険を買う男』を監督。共演ブリュノ・クレメール。
 ジェイン・バーキンのアルバム『ロリータ・ゴー・ホーム』でセルジュ・ゲンズブールの曲に歌詞を付ける。
1981年、スターの女性歌手の死をめぐる小説第二作『夜の船 Des Bateaux dans la nuit』刊行。
1983年、権力者の腐敗を扱う映画『犯罪 La Crime』を監督。クロード・ブラッスール、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン=ルイ・トランティニャン主演。脚本には『地下組織ナーダ』(ハヤカワミステリ)の作家ジャン=パトリック・マンシェットも参加。
 偽名でカルト小説『心はチョコレート、ときどきピクルス』(筑摩書房、ちくまプリマーブックス)を刊行。13歳の少女ステファニの日記の形式。2007年1月にラブロ名義で再刊。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480041357/
1984年、ジェラール・ドパルデュー、ナタリー・バイユ主演の映画『右岸、左岸 Rive droite, rive gauche』を監督。キャロル・ブケも出演。ドパルデューはセーヌ右岸の敏腕弁護士役、バイユは左岸の不当に失職した女性役。
1985年、フランス最大の報道ラジオ局RTLの編成主任となる(2000年まで)。
1986年、米国留学体験を扱った小説『留学生』(新潮社)でアンテラリエ賞受賞。ベストセラーに。ラブロ自身による朗読CD(4枚組)あり。94年にエヴァ・セレニー監督『Foreign Student』として映画化。
1988年、自伝的小説『西部での夏 Un Ete dans l'Ouest』グーテンベルグ賞受賞。
1990年、幼少期の思い出を綴った小説『男の子 Le Petit Garcon』刊行。
1992年、『男の子』の続編小説『十五歳 Quinze ans』刊行。
1994年、夏、呼吸器系を菌に侵され、6週間入院。10日間の蘇生術治療も含む。
1996年、自らの臨死体験を綴ったエッセイ『臨死 ラ・トラヴェルセ』(河出書房新社)がベストセラーに。RTLの副社長となる。
1997年、『臨死』に続くエッセイ『Rendez-vous au Colorado』刊行。
1999年、悩める思春期の少女を描く小説『Manuella』刊行。9月、鬱病となり、2001年5月まで苦しむ。
2001年、TV「フランス3」チャンネルの週1度2名のゲストを招くインタヴュー番組「影と光」の司会となる。
2002年、各界著名人に関する記事を集めた『私はあらゆる種類の人々を知っている Je connais gens de toutes sortes』刊行。
2003年、鬱病体験を赤裸々に綴ったエッセイ『七転び八起き Tomber sept fois, se relever huit』刊行。
2005年、サルコジの親友でもある富豪ヴァンサン・ボロレと共に、TNT(地上デジタル放送)の14チャンネルのひとつ、「Direct 8」を開局。自らの番組「L'Edito de Philippe Labro」のニュース解説もつとめる(YouTubeに投稿あり)。
2006年、小説『フランツとクララ Frantz et Clara』刊行。20歳のヴァイオリニスト、クララは12歳の少年フランツと出会い、運命を変える。彼らは10年後に再会する。 
 

2007年5月5日のアラン・ドロンとフィリップ・ラブロの写真。


Fauxさんからの情報は以上です。
ご覧になって分かるように、フィリップ・ラブロは、10代にしてアメリカ映画の論文を書き、ジャーナリズムを学ぶためにアメリカに留学しています。
帰国後はジャーナリストとして活躍していますが、おそらくこの頃メルヴィルと知り合ったのでしょう。
アメリカ映画好きという共通点のあった二人は、意気投合したのではないかと思われます。
70年代は、よく知られているように、映画監督として活躍しますが、略歴を見ますと、80年代以降は映画監督の仕事はグッと少なくなり、多くの小説を書き、放送関係の仕事につき、生死の境を彷徨うような病とも闘っていたようです。
略歴を見る限り、映画監督の仕事はほとんど辞めてしまったかのように思われるのが残念ではありますが、ともかくも、現在も元気で活躍のようでなによりです。
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フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
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