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パリ旅行9日目の続きです。

ペール・ラシェーズ墓地を後にした私は、メトロに乗ってコンコルド駅で降り、チュイルリー公園内にあるオランジュリー美術館へと向かいました。
ここは近くにあるルーヴルやオルセーの影に隠れて目立ちませんが、モネの大作「睡蓮」があることで有名です。

まず、地階でセザンヌ、モディリアニ、ユトリロなどを堪能しました。
中でも、個人的にも好きなモディリアニ、ユトリロはルーヴルやオルセーにはほとんど見当たらなかっただけに、ここで10前後の作品を観られたことは貴重でした。
DSC01691.JPGそして、いよいよ「睡蓮」のある部屋へと向かいました。
壁四方一面が絵に覆われています。
しかも、その部屋は二つもあります。
作品は、もう、凄いという言葉を遥かに通り越した感動でした。
閉館間際で、人も少なかったこともあり、この傑作を心ゆくまで楽しむことができました。
一応、写真を紹介しますが、カメラではとてもその広がりを写しきれません。

DSC01693.JPG
ルーヴルやオルセーで多くの素晴らしい作品を目にしましたが、今回の旅で一番印象に残った美術作品はコレかもしれません。
近くで観ると、なおさら凄さがよく分かりましたので、部分的に撮った写真を紹介いたします。
これだけではなかなかニュアンスが伝わりませんが・・・。


オランジュリー美術館から出たのが閉館時間の19時。
しかし、パリは日が長く、20時過ぎでないと暗くなりません。
天気が良かったこともあり、まだまだ日の差す中、私は凱旋門へと向かいました。
目的は、ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品『リスボン特急』のラストシーンの舞台を訪ねることです。

『リスボン特急』のラストシーン。
リチャード・クレンナ演じるシモンは凱旋門近くの「SPLENDID HOTEL」というホテルに泊まっています。
シモンは早朝、そこから姿を現したところでアラン・ドロン演じるコールマン刑事に撃たれてしまうわけですが、今回その舞台となった場所を訪ねてみたのです。
DSC01737.JPG
そのシーンの映像から推察するに、舞台となった「SPLENDID HOTEL」は凱旋門正面から向かって右側後方にあるように思われました。
半ば適当に凱旋門下の地下鉄駅シャルル・ド・ゴール・エトワールの出口から「Av.Carnot」という通りに出てみたのですが、運良く映画の映像のような凱旋門の右後ろ側に出ることができました。


そして、映画の舞台となった「SPLENDID HOTEL」を見つけることができたのです。
DSC01745.JPG
名前が「HOTEL SPLENDID ETOILE」と変わっていますが、間違いなくここが『リスボン特急』の舞台となったホテルです。
シモンが姿を現す出口こそ場所が変わっていますが、ホテルの外装はほとんど変わりがありません。
『リスボン特急』の映像をお持ちの方は是非ともそれとこれらの画像をお比べ下さい。

DSC01734.JPG
ちょうど、シモンがコールマンに撃たれる場所です。
コールマン刑事はこの画像の左の方から現れ、「シモン、動くな!」と声を掛けるわけです。
シモンはこのホテルの角の辺りに倒れます。



DSC01741.JPGちょうどこの画像の赤いテントが見える辺りに、カトリーヌ・ドヌーヴ演じるカティが車で乗り付けます。
手前左の壁がシモンが倒れる場所です。
画像には見えませんが、映画では右側にコールマンの乗る車が停めてあります。
ここからコールマン刑事は車で凱旋門の後ろを逆時計回りで通り、シャンゼリゼ大通りに出て、凱旋門をバックに車で去ってゆく・・・というわけです。

ここまで映画の舞台がそのまま残っているのを確認できたのはちょっと感動モノでした。
自己満足と言ってしまえばそれまでですが・・・。

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パリ旅行9日目。

この日も休演日ということもあり、いろいろと行きたいところが目白押しでした。
それにしても、この日は天気が良く、ビックリするほど暑かった。

DSC01672.JPGまずはペール・ラシェーズ墓地です。
パリ東の20区にあるパリ市内では最大の墓地となります。
それだけに、ショパン、エディット・ピアフ、バルザック、オスカー・ワイルド、プルースト、マリア・カラス、ジム・モリソンなど多くの著名人が眠っている墓地として有名です。
今回の私の目的は、イヴ・モンタン、シモーヌ・シニョレ夫妻のお墓に詣でることでした。
いうまでもなく、モンタンは『仁義』、シニョレは『影の軍隊』と、メルヴィル作品にも出演しています。
ガイドブックによりますと、二人は同じお墓に入っているとのことです。

ここの墓地もモンマルトルと同様に中に入りますと簡単な地図があり、著名人のお墓がどこにあるか分かるようになっています。
しかし、あまりに広く、また、道も斜めに通っているところが多く、二人の墓を見つけ出すのは簡単ではありませんでした。
メルヴィルのお墓のあるパンタン墓地と比べますと、参拝者の数も多いのですが、ここはなぜか虫の数が多く、しかもなだらかな坂のようになっており、その石畳は歩くだけで骨が折れます。
しかも、お二人の墓は入口からかなり遠くの方にありました。
DSC01670.JPG
探し始めて20分後ぐらいでしょうか。
ようやく見つけ出すことができました。
さすがにお二人の人気を反映してか、お墓の上の供え物も華やかな印象です。(ちなみに、真ん中あたりにあるオレンジ色のバラは私が供えたものですが)
このお墓の前では誰もが足を止めていました。

この夫婦はモンタンの浮気やらいろいろあったらしいのですし、また、シニョレが亡くなった後、モンタンは若い女性と再婚していますが、結局こうして一緒に眠っているのを見て、私も心なしか安心いたしました。

ところで、有名人の多く眠っている墓地ですから、他にもできれば廻りたかったのですが、石畳の上はなかなか歩くのが大変であり、また、この後、オランジュリー美術館に行く予定もあったものですから、失礼しました。
この後、他に詣でたお墓は作家のマルセル・プルーストだけでした。

パリ旅行8日目。

そういえば書き忘れておりましたが、このブログの画像はクリックすると大きな画像で見られますので、どうぞお楽しみ下さい。

DSC01620.JPG日曜ということもあってか、この日は日程中で唯一の昼公演。(午後2時半から)
この日は正午からオペラ座内で、関係者揃っての写真撮影がありました。
これはその合間に撮影したもので、普段はなかなか見ることのできない、シャガールによるオペラ座の天井画です。


日曜のパリはほとんどのショップがお休みであり、しかも芝居が終わるのは6時ぐらいになるので、この日はどこへも出られない・・・はずだったのですが、それではなんとなく勿体無いので、夜ホテルに戻ってから食事がてらちょっと出歩くことにしてみました。

ちょっとのつもりが結局ノートルダム寺院までズカズカと。
そこから左岸へと渡り、夜のカンチェ・ラタン~サン・ジェルマン・デ・プレ周辺を散策しました。

DSC01654.JPGビックリしたのは右岸の日曜の夜の静けさに比べ、こちらは大変活気があったこと。
レストラン、カフェなども人でいっぱいです。

また、この周辺にはいくつもの映画館があります。
日曜の夜10時でも、映画館の前はこのような活気です。


DSC01652.JPGこの近くに小さなCD、DVDショップがありましたので覗いてみました。
CDはともかく、DVDの品揃えはなかなか充実していました。
しかも安い!
メルヴィル作品も僅かながらあり、『いぬ』『モラン神父』とメルヴィルに関するドキュメンタリーが付いた3枚組のDVDが19・80ユーロでしたので、迷わず購入しました。
Amazonなどでも見かけない、貴重品だと思います。
また、日本映画も僅かながらあり、溝口健二監督の『西鶴一代女』が9・90ユーロだったので購入しました。
もちろんPAL盤ですが、画質はいずれも極めて良好です。

結局、この日は、ホテルに戻ったのが23時。
食事の時間を除けば3時間以上も夜のパリをブラブラしていたことになります。

パリ旅行7日目の続き。

メルヴィルのお墓参りに行ったことは前回書きました。
しかし、この日は仕事が休みということもあり、その後、思い切ってメルヴィルの撮影所のあったジェンネル通りへも再訪したのです。
それといいますのも、(前回も書きましたが)後で地図を見て、ジェンネル通りを北側だけ見て、南側は見ていなかったと考えたからです。
その確認をしなければ、なんとも落ち着きませんでしたので(笑)。

やはり前回同様、地下鉄6号線のナシオナル駅で降り、地図を確認しました。
ところが、駅の南側にジェンネル通りが伸びていると考えていたにもかかわらず、南側の通りは全く別の名称でした。
やはり、前回来た通りこそがジェンネル通りであったのです。
DSC01589.JPG
あれからクライテリオン盤『仁義』の特典映像で、何度も確認したのですが、やはり、この画像の右側の白いビルあたりにジェンネルスタジオがあったことは間違いないものと思います。(特典映像に、通りの向こう側に線路の見える、同じような構図の映像があります。また、1本西側にあるジャンヌ・ダルク通りも確認しましたし、ジェンネル通りから東に伸びている通りも確認しました)

一応、私なりの確信が得られたので、今回はこれで納得したいと考えています。
読んで下さった皆様には、私の迷走にお付き合い下さり、相すみませんでした。

さすがにこの日は疲れ果て、ホテルに帰った後、数時間も寝てしまいました。

パリ旅行7日目。
この日は仕事は休演日。

休みということもあり、以前から計画していたメルヴィルの墓参りに行ってきました。
メルヴィルのお墓のある場所ですが、パリ市外にあるパンタン墓地というところです。
パンタン墓地はパリ近郊でも最大規模の大きさを誇る墓地で、地下鉄7号線でパリの北東にあるオベルヴィリエ・パンタン・キャトル・シュマンという長い名前の駅で降りたところにあります。
パリ中心部から地下鉄で30分弱といったところでしょうか。

駅で降りて、徒歩で墓地まで向かいましたが、なかなかそれらしい場所が見つからないので、ちょっと不安になりました。
ここも、先日行った13区もそうですが、雑多な人種のるつぼといった様相で、正直言って、あまり“ガラ”の良い場所とは言えません。

しばらく歩いて、方向を間違えたかな、引き返そうかなと思ったところで墓地に行き当たりました。
入り口付近に花屋が点在しておりましたので、献花用の花を買い、墓地へと入りましたが、先日のモンマルトル墓地とは異なり、誰の墓がどこにあるかを指し示すような地図は全くありません。
しょうがないので、入り口にいた関係者に「ジャン=ピエール・メルヴィルのお墓を訊ねに来たのですが?」とカタコトの英語で聞くと、電話で場所を聞いてくれました。
30a066d9.jpeg広大な墓地ですが、幸いメルヴィルのお墓のあるブロックは入り口に近い場所とのことでした。
それにしてもひっそりとした墓地で、私の他にはほとんど人気がありませんでした。

さっそくそのブロック(8番)に向かい、探しましたが、さすがにすぐには見つかりません。
そのブロックだけでも縦横それぞれ50メートルほどはあり、その中から見つけ出すのは簡単ではありません。
関係者がくれた場所の地図に「Division:8,Ligne:11.Tombe:11」と書いてありましたので、それくらいの場所を探したのですが、見つかりません。
しょうがないので、そのブロックをしらみつぶしに探し出すことにしました。
最初はちょっとワクワクしながら探していたのですが、いくら探しても見つからないので、徐々に不安になってきました。
お墓にもいろいろあり、すぐに名前の判別できるものもあれば、ほとんど判別できないものもあります。
もしかしたら、判別できないお墓になっているのではないか・・・?という不安が徐々に募ってきたのです。

そんな時でした。
DSC01572.JPGJEAN-PIERRE MELVILLEという名前が目に入ったのは。
見ると、GRUMBACHという名前がいくつか目に入ります。
いうまでもなく、GRUMBACHとはメルヴィルの本名であり、ここはメルヴィルの先祖からの家系のお墓だったのです。
私はメルヴィルのお墓がモンマルトルやモンパルナスといったパリ中心部の有名な墓地ではなく、郊外の無名な墓地にあることが正直言いましてちょっと残念だったのですが、これで謎が解けました。
お墓はこの墓地の中ではキレイな方で、安心しました。
DSC01574.JPG
黄色の花は私が献花したものですが、他にも近い頃、白い花を置かれた方がいるようです。
面白いことに、よく見ると、生まれた年の1917の7の部分が5に一旦彫った後が見受けられます。
単なる間違いなのか、ホントは1915年生まれだったのか・・・。


それにしても、今回の旅行の最大の目的の一つだった、メルヴィルのお墓参りができて、感無量でした。
日本からのファンが来たことを、あの世のメルヴィルが喜んでくれているものと信じたいです。

パリ旅行6日目。
仕事はこの日が初日でした。

DSC01541.JPGこの日は朝から思い立ってルーヴル美術館へと向かいました。
金曜日ということもあり、土日は混雑が予想されましたので、その前に、と思ったわけです。

先日のオルセー美術館よりは並ばずに入れました。
それにしても大きさといい、展示品といい、スゴイとしか言いようのない美術館で、当然のことながら圧倒されまくりでした。
やはり、2階にある「モナ・リザ」と「ミロのヴィーナス」が人気で、黒山の人だかりでしたが、オルセーと違って、絵画はその多くが写真撮影禁止になっているので「モナ・リザ」を撮影することはできません。
一方で、3階の絵画は人も少なく、ゆったり観られて良かったです。
宗教画やルネサンス期、17、18世紀の絵画はこれまでどちらかといえば敬遠気味でしたが、今回たくさんの作品を観ることができて、その良さを多少なりとも実感することができたのは収穫だったかと思います。

ところで、ルーヴルは、メルヴィル作品では『リスボン特急』でシモンら3人の密談シーンに出てまいりますが、撮影したのは実際のルーヴルではなく、セット撮影のフェイクのようです。
近年まで、ルーヴルはロケできないことで有名でした。
例外はゴダールの『はなればなれに』における隠し撮りで、だからというわけではありませんが、ゴダールの作品の中でもとりわけ好きな作品です。

DSC01466.JPGこの日は午後、ウチの奥方用のルイ・ヴィトンを下調べするためにシャンゼリゼの本店へと向かい(^^;)、ホテルに一旦帰って休息、夜、仕事場であるオペラ座へと向かいました。
この日撮った写真ではありませんが、これがオペラ座(オペラ・ガルニエ)です。
正面の入り口付近が工事中なのはちょっと残念ですが。

パリ旅行5日目。

この日はホテル近くのコンコルド広場からセーヌ川を渡り、アンヴァリッドを通り、シャン・ド・マルス公園を通り、エッフェル塔まで徒歩で行きました。(画像の右手に見える橋はアレクサンドル三世橋です)
DSC01479.JPG
とにかく今回の旅は自分でもビックリするくらい歩いています。
エッフェル塔は上までは昇りませんでした。
ここまで来て、さすがに体が冷えていたので、その上行列に並ぼうとは思いませんでした。



そこから地下鉄でモンマルトルへと向かいました。
まずはサクレ・クール聖堂です。
DSC01517.JPG

この場所はメルヴィル作品では、『賭博師ボブ』で登場します。
さすがに間近で見ると壮観でしたが、聖堂の中は更に素晴らしかったです。
残念ながら、聖堂の中は写真撮影がダメなので、ここに紹介できないのがとても残念です。
また、ここからのパリの眺めも素晴らしいです。
ここからしばらく聖堂の近辺を散策しましたが、たまたま入ってみたモンマルトル博物館が、小さいながらもとてもノスタルジックな雰囲気があり、良かったです。

そこから更にモンマルトル墓地へと向かいました。
ここには私の敬愛する映画監督フランソワ・トリュフォーの墓があります。
DSC01534.JPG
他の墓に比べても、かなり地味といいますか、目立ちません。
他に映画関係ではアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の墓もあります。
女優でもあり、『悪魔のような女』を彷彿とさせるような怪死を遂げた妻ベラ・クルーゾーもここに一緒に眠っていて、なんとなく(?)安心しました。
あと、作曲家ベルリオーズも。


この日は珍しく天気が良く、墓参り日和でしたので、メルヴィルの眠るパンタン墓地へも足を伸ばそうかと考えましたが、さすがに体力が限界で(この日は夜舞台稽古がありましたし)、デジカメの充電も切れかかっていましたので、断念しました。

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男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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