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フリッツ・ラング監督の『ハウス・バイ・ザ・リヴァー』を国内盤DVD(紀伊国屋書店)で観た感想です。

0bfc1444.jpegHOUSE BY THE RIVER』(1950年)
監督:フリッツ・ラング
脚本:メル・ディネリ
撮影:エドワード・クロンジャガー
音楽:ジョージ・アンセイル
出演:ルイス・ヘイワード、ジェーン・ワイアット、リー・ボウマン、ドロシー・パトリック、アン・シューメイカー、ジョディ・ギルバート  

 
初見。
DVD付属の解説ブックレットによれば、フリッツ・ラング監督は弱小撮影所での映画製作を余儀なくされ、発表当時もこの映画は当たらなかったらしい。
そのためか、世界的にも長らく知られていなかった作品とのこと。
当たらなかったのは低予算による地味なキャスティングも原因かもしれないが、これはなかなか見ごたえのあるサスペンスである。

f74590b0.jpeg19世紀末のニューイングランドが舞台となった作品で、タイトル通り、主人公の家の側を流れる“”が主人公と言ってもよいような存在感を示している。(これがまたなんともデカイ河なのだ)
とりわけ映画冒頭の“事件”に至るまでの演出が素晴らしい。
何か起こるぞ、何か起こるぞと思わせる、少々くどいくらいの演出がヒッチコックを思わせる。
というか、この作品に限らずフリッツ・ラングに影響されたのはむしろヒッチコックの方か。

映画中盤で、主人公のスティーヴンがボートを漕いで河で布袋を探すシーンもなかなか印象的であり、途中に挟まる法廷シーンもくど過ぎないのがいい。
全体的にフリッツ・ラング監督の演出が行き届いた作品だという印象で、内容も面白いので(DVDは高いが)観て絶対に損のない作品だと思う。

キャストも、主人公の作家スティーヴンを演じたルイス・ヘイワードの意地悪いキャラクターが面白い。
どことなくあのオーソン・ウェルズを思わせるアクの強い風貌が印象に残る。
その妻を演じたジェーン・ワイアットもしっかりした演技で、良かったと思う。
脇役もなかなか味のある存在感の俳優が揃った映画である。

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ロベール・ブレッソン監督の『田舎司祭の日記』をレンタルビデオで観た感想です。

177d82b3.jpegLE JOURNAL D'UN CURE DE CAMPAGNE』(50年)
監督・脚本:ロベール・ブレッソン
原作:ジョルジュ・ベルナノス
撮影:レオンス=アンリ・ビュレル
音楽:ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト
出演:クロード・レデュ、ジャン・リヴィエール、ニコル・ラドラミル、マリ=モニーク・マイケル・バルペトレ  

 
初見。
ロベール・ブレッソン監督の長編第3作で、一般的にこの作品でブレッソン・スタイルが確立したと言われているようです。
実際、この作品は、これ以前の2作よりも更に虚飾を排し、一層ストイックで簡潔な描写になっているような感があります。
長編処女作の罪の天使たち(43)と2作目のブローニュの森の貴婦人たち(45)については以前紹介した関連記事を参照。

この作品を初めて観た感想は…いやーしんどかった。
何がって眠くて眠くてしょうがなかった…。
司祭のナレーションで作品は進行しますが、呟くようなその声が心地良くって…。

では、面白くなくてつまらない作品だったかというと決してそうでなかったのです。
むしろ、観ている間中、映像に惹きつけられっぱなしでした。
眠気を催したのは、体調やら何やら映画以外の要因もありますので…。

確かに内容は他のブレッソン作品に輪をかけて重苦しく、陰鬱な雰囲気です。
主人公が孤独でネクラなのもいつも通り。
その意味でもいかにもブレッソンらしい作品といえます。

image65.jpg個人的には、主人公の司祭のキャラクターはあまり同情できないし、他に出てくる人物たちもいい人たちばかりではないんですが、観ていて大変惹きつけられる作品でした。
映画が終わるのが惜しいと感じたくらいです。
簡潔な映像の力なんですかね…なんとも不思議な作品です。

ただ、司祭役のクロード・レデュは、ビデオパッケージ等で見て予想していた感じよりもずっと良かった。
眼に表情があり、役柄の繊細さをよく表現していたと思います。

今回、レンタルビデオ(VHS)で観ましたが、画質的にはかなり厳しかったことは事実です。
国内盤DVDも出ていますが、ジュネス企画なので画質が期待できません。
紀伊国屋書店あたりから再発してくれないですかね…。
できることなら、良い画質で味わってみたい作品です。


ところで、ジャン=ピエール・メルヴィルは、この作品のブレッソン・スタイルは自身の監督作『海の沈黙』(47年)に影響されたと考えていたようです。
少々長くなりますが、ルイ・ノゲイラ著『サムライ』から関連部分を引用してみましょう。

“時々、こんな記事を読むことがある(『サムライ』〔一九六七年〕と『影の軍隊』の公開後に書かれたいくつかの批評が念頭にある)。「メルヴィルはブレッソン化している」というものだ。悪いが、常にメルヴィル化してきたのはブレッソンのほうだ!……彼の『罪の天使たち』〔一九四三年〕や『ブーローニュの森の貴婦人たち』』〔一九四五年〕をもう一度見てみたまえ、そうすればその二作はまだブレッソン・スタイルではないのがわかるだろう。それに対して、『田舎司祭の日記』〔一九五〇年〕を見直せば、あれはメルヴィル・スタイルだと気づくはずさ!『田舎司祭の日記』は『海の沈黙』なんだよ!同じカットもいくつかあるぞ!たとえば、クロード・レデュ〔司祭役〕が駅のホームで電車を待っているカットは、私の映画のハワード・ヴェルノンのカットと同じだ……。それからナレーション、ストーリーを語る男の声はどうだ?……そもそもロベール・ブレッソンはアンドレ・バザンに対して弁解しなかった。かつてバザンがブレッソンに私から影響を受けなかったかどうか尋ねた時のことだ。そんなこともすべて、それ以来忘れられてしまったがね……。”
(引用―『サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著 井上真希訳 晶文社刊 より)

簡単に要約すると…ブレッソン・スタイルと人は言うが、もともと俺の『海の沈黙』からパクったものじゃないか?なにより本人が認めているだろ!?俺の方が影響されているなんてとんでもない!…という感じでしょうか。
メルヴィル監督、それなりの名声を得ていたであろう存命中でも随分悔しい思いをしていたようです…。

ジャン・ルノワール監督の『浜辺の女』を国内盤DVD(IVC)で観た感想です。

d70be1b3.jpegTHE WOMAN ON THE BEACH』(46年)
監督:ジャン・ルノワール
脚本:ジャン・ルノワール、フランク・デイヴィス
撮影:ハリー・ワイルド
音楽:ハンス・アイスラー
出演:ジョーン・ベネット、ロバート・ライアン、チャールズ・ビックフォード

初見。
ジャン・ルノワール監督がアメリカ時代に撮った作品の一つで、フィルム・ノワール的色彩の濃い作品。
内容は暗く、人間の情念や妄執を描いた作品なので、一般的なルノワールらしいイメージの薄い作品と言えるかもしれません。
登場人物たちの心理も複雑かつ怪奇なので、その点でも評価が分かれそうですが、ストーリーは決して分かりにくくはなく、キャストの素晴らしさもあって、個人的にはかなり楽しめた作品でした。

ストーリー的には破綻しているように感じられる点もあり、ジャン・ルノワールが本当にこの映画を撮りたかったのか、また気に入っていたのか、非常に気にかかるところですが、結果的に、こういった“らしくない”作品を撮ったルノワール監督の幅広さ、奥深さを感じさせられる作品となっているのではないでしょうか。

e8b99839.jpegキャスティングでも、ジョーン・ベネットロバート・ライアンの共演という、ノワール・ファンには見逃せない作品でもありますが、この作品で一番印象的なのは失明のために画家の道を断念せざるを得なくなったトッドを演じたチャールズ・ビックフォードではないでしょうか。
本当に失明しているのかどうか怪しいトッドの存在感の不気味さが気に入りました。

ヒロインのジョーン・ベネットは、この時代によく出演していたフリッツ・ラング作品ほどの輝きや“らしさ”は感じられませんでしたが、この作品でも適役であることは間違いありません。
ロバート・ライアンもさすがの存在感で、とりわけジョーン・ベネットに惚れてしまった後、フィアンセに対する態度の変化の演技が絶妙に上手かったです。

唐突とも思えるラストは、評価が分かれそうですが、個人的には納得しました。

アレクサンダー・マッケンドリック監督の『成功の甘き香り』を国内盤DVDで観た感想です。

image61.jpgSWEET SMELL OF SUCCESS』(57年)
監督:アレクサンダー・マッケンドリック
原作:アーネスト・レーマン
脚本:クリフォード・オデッツ、アーネスト・レーマン
撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ
音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:トニー・カーティス、バート・ランカスター、スーザン・ハリソン、マーティン・ミルナー、バーバラ・ニコルス
 
再見。
フィルム・ノワールの古典の一つに数えられる傑作ですが、内容はギャングものではなく、マスコミ業界の内幕を鋭く抉った“社会派ノワール”とも評される作品であり、ここには殺しや拳銃は登場しません。

主人公は新聞の権威あるコラムニスト(バート・ランカスター)と、それにくっついて仕事を得ているプレス・エージェント(トニー・カーティス)の二人。
コラムニストの妹はクラブで働くギタリストと結婚寸前であり、ランカスターとカーティスは様々な手段を使ってこの二人を別れさせようとします。
ある意味、殺しよりもタチの悪い人間の姿がこれでもかと描かれています。

その内容が受けなかったのか、公開当時この映画は当たらず、監督のアレクサンダー・マッケンドリックは自身の監督としてのキャリアをほとんど失ってしまったといいます。
実際、撮影現場では監督とランカスターの意見の対立が幾度となく見られたとか。

私も初めて観た時はその内容にかなり面食らいましたが、今回観直してみて、なんとも抗し難い魅力を感じました。
確かに観る人によって好みは分かれそうですが、内容は実に見ごたえがあります。

キャストも、狡猾で神経質なコラムニストを演じたバート・ランカスターは見事な演技。
プレス・エージェント役のトニー・カーティスも実に素晴らしい。
その人物になりきっているかのようなハマリ役であり、演技もランカスターに劣らぬ見事なものです。

37718148.jpegそして、所々に登場する、ロケ撮影によるニューヨークの街の描写がこの映画の圧倒的な魅力。
オープニングのNYの夜景をバックにエルマー・バーンスタインによるビッグ・バンド・ジャズが流れるところからして素晴らしい。
ベスト・NY・ムービー”と評されるのも納得です。
想像しますに、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『マンハッタンの二人の男』(58年)はこの作品に大きな影響を受けたのではないでしょうか。

実際、メルヴィル監督は、ルイ・ノゲイラ著『サムライ』において俳優のダニエル・コーシー(メルヴィルの『この手紙を読むときは』『賭博師ボブ』に出演したがキャリアを築けなかった)について問われた際、この作品にも言及しています。
“彼なら(引用注:コーシーのこと)、たとえばアレクサンダー・マッケンドリックの『成功の甘き香り』〔一九五七年〕のトニー・カーティスに匹敵し得る役なんかも演じられたろうにな。”(引用―『サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著 井上真希訳 晶文社刊 より)

886324d0.jpegナイトクラブのシーンでは、チコ・ハミルトンのグループの音楽をフューチャーしており、実際にハミルトンらも出演しています。
ウェスト・コースト・ジャズ(西海岸のジャズ)で当時名を馳せていたチコ・ハミルトンのグループをNYを舞台にした映画に出演させている点も面白いところでしょう。
フルートやチェロを使ったそのユニークなサウンドが、映画に違和感なく溶け込んでいます。

グループのギタリスト、スティーヴはランカスターの娘のフィアンセという設定であり、これを演じるのは俳優のマーティン・ミルナーなので、バンドのシーンでギターをちゃんと弾けているように見えないのがちょっと残念ですが。

ジャック・ベッケル監督の『肉体の冠』を国内盤DVD(ジュネオンエンタテイメント)で観た感想です。

c9162170.jpegCASQUE D'OR』(51年)
監督:ジャック・ベッケル
脚本:ジャック・ベッケル、ジャック・コンパネーズ
撮影:ロベール・ルフェーヴル
音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス
出演:シモーヌ・シニョレ、セルジュ・レジアニ、クロード・ドーファン、レイモン・ビュシェール、ウィリアム・サバティエ、ダニエル・マンダイユ

再見。
19世紀末のパリが舞台の映画。
原題は“黄金の兜”という意味で、主人公の娼婦マリーが、ブロンドの髪を兜型に結っている姿を表しているとのこと。

この映画に関しては、傑作という言葉しか出てきません。
初めから最後まで全く隙のない映画で、特に後半の展開など、息つく暇がないほどです。

image52.jpgシモーヌ・シニョレがとにかく素晴らしい。
彼女というと、個人的に、中年後の太った姿がどうしても強い印象として残ってしまっているのですが、この映画での彼女は実に美しい。
その、女そのものとでもいった佇まいや表情がなんとも魅力的なのです。

それに比べると相手役のセルジュ・レジアニはもう一つ存在感に乏しい感はありますが、シニョレとの相性が想像以上に良いので、そういった物足りなさをほとんど感じさせません。
二人の川原での逢瀬のシーンは、ジャック・ベッケルの師匠であるジャン・ルノワールばりの自然描写の見事さも相まって素晴らしいシーンとなっています。

また、ギャングの親分ルカを演じたクロード・ドーファンがいいです。
前半の貫禄たっぷりな姿が、次第に人間性を露にしてゆくところなど巧いですね。

物語はもちろんシニョレとレジアニの恋愛が大きな柱ですが、一方でレジアニとレイモン役のレイモン・ビュシェール男同士の友情関係ももう一本の大きな柱となっています。
その二人の関係がまたなんともいいんですよね。
現金に手を出すな』や『』もそうですが、男同士の友情をさり気なくも鮮烈に描いてジャック・ベッケルに匹敵するフランスの映画作家はいないのではないでしょうか。
ご承知の通り、私はメルヴィルのファンですが、さすがのメルヴィルもこの域にまでは達していないようにも思います。

ここからネタバレ
印象的なシーンをいくつか。
レジアニが自首して、ビュシェールの代わりに拘置所に入るシーン。
ルカを撃ち殺す時のレジアニの表情。
処刑場へ引っ張ってゆかれるレジアニの姿、それを見つめるシニョレの表情。

ジャン・エルマン監督の『さらば友よ』を国内盤DVD(東北新社)で観た感想です。

e8a7aeff.jpegADIEU L'AMI』(68年)
監督:ジャン・エルマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ、ジャン・エルマン
撮影:ジャン=ジャック・タルベ
音楽:フランソワ・ド・ルーベ
出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ブリジット・フォッセー、オルガ・ジョルジュ=ピコ、ベルナール・フレッソン

再見。
通して観るのは今回で4回目くらいでしょうか。
久々に観ましたが、なんとなく、これまで以上に楽しめました気がします。
何回観ても意味不明のシーンもあるんですが(笑)、やはりこの映画は最高としかいいようがないですねぇ。
とにかく主演の二人がカッコ良過ぎますわ。
映画冒頭でフランソワ・ド・ルーベの素晴らしい音楽をバックに、アラン・ドロンチャールズ・ブロンソンがお互いに行き交うシーンからして、もう堪りません。

0c3b3198.jpegどちらかというとチャールズ・ブロンソンの役の方が、コインをコップに入れるシーンがあったり、刑事の尋問に口を割らなかったりと良い役に書かれている印象が強く、ブロンソンがドロンを喰ってしまったと評されることもある映画ですが、なんのなんのこの映画のドロンのカッコ良さも尋常ではありません。
68年という、最もアラン・ドロンがカッコ良かった時代の映画ですから(個人的な感想ですが)、脂の乗り切った男の色気、眼光の鋭さが随所で印象的です。
それに、二人のファッションも見事で、とりわけドロンが着ていたライトグレーのダブルのチェスターコート、ブロンソンの体にフィットしたスーツスタイルの美しさなど、視覚的にも楽しめます。
もちろん、二人の肉体美も…まあ、これはブロンソンの方が圧勝でしょう。

4c013c06.jpeg他のキャストでは、刑事役のベルナール・フレッソンも実に良く、人間味のあるキャラクターが明確に出ていましたし、ブロンソンを尋問するシーンは、警察のセットの良さもあって今回この作品を観直して気に入りました。
もちろん、空港のシーンでの“イエー!”は最高。

また、ブリジット・フォッセーオルガ・ジョルジュ=ピコという重要な役を演じた二人、そして、ブロンソンの愛人役も含め、女優陣も魅力的です。
60年代らしいデザインが印象的な地下室の廊下のセット女性たちのファッションも。

そして、映画史に残るラストシーン
ドロン、ブロンソン、それを見つめるフレッソンの表情、舞い上がるタバコの煙まで正に伝説。

私は旧国内盤(東北新社)で観ていますが、画質的には大きな問題はありません。
昨年ユニバーサルからも新国内盤が発売されましたが、そちらは未見です。

ジャン=リュック・ゴダール監督の『ゴダールのマリア』を国内盤DVD(紀伊国屋書店)で観た感想です。

image40.jpgマリーの本
LE LIVRE DE MARIE』(84年)
監督・脚本:アンヌ=マリー・ミエヴィル
撮影:ジャン=ベルナール・ムヌー、カロリーヌ・シャンプティエ、ジャック・フィルマン、イヴァン・ニクラス
楽曲:ショパン、マーラー
出演:ブルーノ・クレメール(父親)、オロール・クレマン(母親)、レベッカ・ハントン(マリー)

d7905ea3.jpegゴダールのマリア
JE VOUS SALUE, MARIE』(84年)
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ジャン=ベルナール・ムヌー、ジャック・フィルマン
楽曲:バッハ、ドヴォルザーク
演:ミリエム・ルーセル(マリー)、ティエリー・ロード(ジョゼフ)、フィリップ・ラコスト(ガブリエル)、ジュリエット・ビノシュ(ジュリエット)

『ゴダールのマリア』という映画作品は、その序篇ともいえる『マリーの本』(アンヌ=マリー・ミエヴィル監督。28分)と『ゴダールのマリア』(ジャン=リュック・ゴダール監督。80分)の2本合わせて一作品という捉え方のようです。
『マリーの本』の監督アンヌ=マリー・ミエヴィルは、この時代の(現在も?)ゴダールの公私共にパートナーだとのこと。

処女懐胎をテーマとした『マリア』は当時それなりに話題になり、物議を醸した作品のようです。
映画のトーンはこの2作品共に近く、陰気臭いところなどそっくりです。
ストーリー的な面白さを追ってもしょうがないのはいつものゴダール作品の通り。
80年代以降のゴダール作品ではましな方だとはいえ、一言で言うとあまり面白くありません。
空気も重苦しく、この作品を観終わった後は爽快なハリウッド映画を観たくなります(笑)。
cb6488e8.jpegしかし、映像美としてそれなりに見ごたえはあるのは事実。
とりわけ、マリー役を演じたミリエム・ルーセルが魅力的でした。

クラシック音楽の使い方がどちらも上手く、『マリーの本』ではマーラーの第9交響曲(第4楽章)が、『ゴダールのマリア』ではバッハの諸作(マタイ受難曲の終曲など)やドヴォルザークのチェロ協奏曲(たぶん)が効果的に使われています。

『マリーの本』で母親役を演じているオロール・クレマンは、やけに見覚えのある顔だなと思って観ていましたが、調べてみましたら、『エル・スール』や『パリ、テキサス』に出ている女優でした。
『マリア』には若き日のジュリエット・ビノシュがチョイ役で出演しています。

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プロフィール
HN:
マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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