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拙HPに『海の沈黙』のあらすじを書くため、先日久々にこの作品をビデオで観返したのですが、改めてこれは実に感慨深い映画だと感じました。
もちろん、ヴェルコールによる原作自体が優れた作品だということは忘れてはなりませんが、監督の演出、俳優の演技、カメラワーク、音楽の使い方の巧みさなど、どの点を取っても、一流の映画作品だと思います。
このような優れた映画が、誰の下にも付いたことのない素人同然の監督、無名の俳優、初の長編映画の撮影となった撮影監督(アンリ・ドカの長編映画デビュー作!)という、条件としてはとても恵まれているとは言えない中で撮られたというのは、今更ながら、驚くべきことではないでしょうか。
原作者のヴェルコールは映画化に反対でしたが、これらの悪条件を顧みれば、それも当然のことであったろうと思います。
先に挙げた悪条件の数々は、製作者でもあったメルヴィルが、予算不足から止む無く取らざるを得なかった措置なわけですが、結果として、手法的には、まさに後のヌーヴェル・ヴァーグに先んじた作品となったのです。
この映画は現段階では国内未公開作品ですが、過去に一度だけWOWOWにて放送されました。
私はWOWOWに加入したことはないので、当然、放映時は観ていませんが、さるお方のご好意で、そのビデオをコピーさせていただいたものを観ています。(感謝の一言!)
先年、英Masters of CinemaからもDVDが発売されており、さすがにDVDの画質はそれよりずっと優れていますが、日本語字幕で観られるコピー盤の方が、内容がダイレクトに伝わるので、観る回数が多いです。
映画は、ある男の元へ、別の男がカバンをさり気なく届けるシーンから始まります。
おそらくはどちらもレジスタンス活動家なのでしょう、ゲシュタポの目に付かぬよう、お互いに他人のふりをしながら、地下活動に重要な書類を届け、受け取る、という構図です。
カバンを受け取った男が中を見ると、分厚い新聞紙の束の下に『海の沈黙』の原作本が入れられている、というシーンから映画は始まるのです。
短いシーンながら、占領時代の重苦しい緊張感が見事に表現された、実に印象的なオープニングであり、レジスタンス活動家たちにとっての『海の沈黙』の原作本の意味を如実に示しているかのようです。
ファンの贔屓目かもしれませんが、もし、『海の沈黙』がもっと早い段階で日本で公開されていたならば、ジャン=ピエール・メルヴィルという監督の名声はさらに大きなものになっていたのではないでしょうか。
『海の沈黙』が、あのロベール・ブレッソンにも影響を与えたという事実は、ルイ・ノゲイラ著『サムライ』でも少し触れられていますが、この作品を観る限り、もし、これが日本で公開されていたら、このような意外とも思える事実も、むしろ、ごく当然のこととして捉えられていたのではないかと私には感じられます。
後年、フィルム・ノワールという犯罪映画の分野で確固たる地位と名声を築くことになるメルヴィルですが、監督としてのスタートで、このような文芸作品の見事な映画化を成し遂げていたことは多くの映画ファンに知られて欲しい事実です。
それだけに、この9月、映画祭『フランス映画の秘宝』において、『海の沈黙』が“日本初公開”されるのは、遅過ぎた感はありますが、画期的な出来事であると言えるでしょう。
HPの『海の沈黙』紹介のページ
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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