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フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(27年)を紀伊国屋書店のクリティカル・エディションのDVDにて鑑賞。
この作品を観たのは今回が初めてですが、DVDの画質はかなり良いと思います。
私は普段、SF作品はほとんど観ませんが、この作品にはずっと興味ありました。
というのも、私はこの映画のロボットの実物に対面したことがあるからです。
パリのシネマテーク・フランセーズの映画博物館にこの映画で使われたロボットが展示されており、昨年そこを訪れた際、実物に対面したのでした。
その時点でこの映画は観ていませんでしたが、基礎知識程度はあったので、それなりの感慨はあったのですが、実際にこの映画を観てから対面すると、おそらくはもっと感激したことでしょうね。
シネマテークの博物館では、備え付けのビデオでこの映画のロボットの登場シーンが繰り返し流れていたのですが、そこで見た、ロボットの動き出すシーンのインパクト(不気味さ?)は忘れられません。
残念ながら、館内は写真撮影ができませんでしたので、写真を紹介することはできませんが、シネマテークの外観だけでも紹介します。
そこで、肝心の映画を観ての感想ですが、一言で言えば、「物凄い傑作だとは感じたが、観終わってどっと疲れた」という感じでしょうか。
観ていて疲れてしまったのは、俳優の演技があまりに大仰であることが大きな理由でしょう。
これがドイツ表現主義というのかどうか知りませんが、出演者たちの舞台俳優のような派手なメイク、正邪の違いがハッキリと色分けされたキャラクター、まるで合唱でも歌い出しそうな群集たちの活き活きとした動きなど、まるでワーグナーのオペラを観ているような感覚にとらわれました。
マリア役のブリギッテ・ヘルム、息子フレーダー・フレーダーセン役のグスタフ・フレーリヒによる若い男女のシーンは、どことなく『タンホイザー』の一場面を思い出しましたし、ジョー・フレーダーセンとロートヴァングの二人の絡みは、ミーメ、アルベリヒなどの『ニーベルングの指環』の登場人物たちの絡みを髣髴とさせるものがありました。
とりわけルドルフ・クライン=ロッゲ演じるロートヴァングのキャラクターが強烈でしたが、主演の男女二人のキャラクターは、少々キレイ事に過ぎる感じがして、(ルックスも含め)正直、魅力はあまり感じません。
映画に、思想的なスローガンの影をチラチラ感じてしまうと(映画的にもどれだけ重要性があるのか分かりませんが)、個人的にどことなく退いてしまうので、そのせいで登場人物にあまり共感できなかったというのもあるかもしれませんが。
それでも、この作品が映像作品として観る者を惹きつけてやまない強烈な魅力があるのも確かで、大変な傑作であることには疑いがありません。
機械の動きなど、この時代としては驚異的なものでしょうし、後半の群集の動きの凄まじさには全く驚かされました。
1920年代のドイツ映画ということで、群集たちの動きにその後のドイツ国家の行く末を思い、感慨深いものがなくもないのですが…。
修復されたこのDVDでも、作品の4分の1はプリントが失われたために収録されておらず、その部分のストーリーは字幕で補われていますが、最近どうやら新たにプリントが見つかったとの情報もあり、この素晴らしいDVDを持ってしても、作品を評価するにはまだ早いのかもしれません。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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