[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このブログでも何度かお知らせしていますが、先日、ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンから『影の軍隊』の新しい国内盤が発売になりました。
一番気に掛かるところは画質が良いのか否かというところだと思うのですが、HPのDVDのページに書きましたように、撮影監督ピエール・ロム監修によって修復されたマスターが使われており、その点に関しては、まずは満足の行くものではないかと思われます。
さて、このブログでは、当DVDのもう一つのの大きな問題として、字幕の問題を何回かに分けて取り上げようと思います。
とはいえ、通常、私は字幕を検証しながら映画を観るという行為はほとんどしません。
英語仏語ともにダメですので、字幕から得る情報に頼り切りなのが実情で、その内容が正しいか否かを検証する余裕など全くと言ってよいほど無いからです。
しかし、今度のDVDを観ていて特に気になったのは、それまで観ていた東北新社盤DVDとの字幕の相違がなにかと目に付くという点でした。
今回のDVDは、東北新社盤とは全く異なる新しい字幕ですので、表現の違いはあってもむしろ当然ですが、それどころか、字幕一つによって、映画の内容、ストーリー、観る側の解釈まで変わってきかねない問題を含んでいる部分があると感じたのです。
そう思われる、いくつかのポイントについて、東北新社盤DVDの字幕と照らし合わせながら検証してみたいと思います。
とはいえ、この映画はフランス映画ですから、本来であれば、フランス語の音声が聞き取れればごく単純な問題なのですが、不幸にも当方にはその能力がありませんので、このような紛らわしい方法を取らざるを得ないことをお詫びいたします。
また、二つの字幕で意味合いが異なっていると思われる点については、時にはクライテリオン盤の英語字幕や、「キネマ旬報 1970 NO.520」に掲載された、三木宮彦氏による『影の軍隊』のシナリオ、または本『サムライ』(ルイ・ノゲイラ著 井上真希訳 晶文社刊)も交え、検証してみたいと思います。
もちろん、一瞬で観客に言葉の意味を伝えなくてはならない字幕と、一字一句記載してあるシナリオとは言語表現がある程度は異なって当然ですが、それだけに、シナリオには、字幕には表れない細かいニュアンスが表現されていることが多く、参考になると思われるからです。
まず、当DVD(以下UPJ盤)においては、以下のように、東北新社盤とは役の名前の表記が異なるものがありますが、これは少々違和感こそありますが、さして大きな問題ではないでしょう。
東北新社盤:リュック・ジャルディ→UPJ盤:ルク
東北新社盤:マチルド→UPJ盤:マチルダ
まず、検証してみたいのは、映画冒頭に登場するクールトリーヌの言葉の字幕です。
UPJ盤:
『“悪しき思い出もまた懐かしきなり”』
東北新社盤:
『この映画の登場人物は実在し 事件は事実にもとづいている』
全く意味の内容が違いますが、東北新社盤はひどい間違いです。(これに関してはちゃんとフランス語辞書を引いて調べました)
UPJ盤は間違いではありませんが、本『サムライ』の翻訳が一番丁寧で、原文に近いと思われます。
『サムライ』(ルイ・ノゲイラ著 井上真希訳 晶文社刊):
『いやな思い出だ!しかし、ようこそ、はるか彼方の青春時代よ』
それに比べ、今回のUPJ盤は意味は伝わるものの、少々大雑把な印象も残ります。
次に、ジャン・フランソワが兄のリュック・ジャルディを訪ねて一緒に食事をするシーンでのジャン・フランソワの独白についてです。
UPJ盤:
『なぜだろう わからない 大好きな兄さんを僕はとても身近に感じた 一緒に過ごした記憶なんてほとんどないのに』
東北新社盤:
『兄よりマチルドの方がよほど身近な感じがした 昔から愛してきた兄よりだ 思い出以外に共通点がないからか』
真逆といってよいほど意味が違います。
ちなみに、『キネマ旬報』のシナリオはこうです。
キネマ旬報シナリオ:
「マチルドを知ったことは、僕に苦痛をもたらした。彼女が兄よりちかしくなることはないかしら。僕はもちろん変わりなく兄を愛している。しかし、共通点はない。」
多数決を取るつもりはありませんが、これを見る限り、今回のUPJ盤のニュアンスは間違っているのではないかと思われますがいかがでしょうか。
次に、イギリスに着いたリュック・ジャルディとフィリップ・ジェルビエが、自由フランス軍のパッシー大佐と会見するシーンにおける、パッシー大佐のセリフの字幕です。
UPJ盤:
『武器の調達は無理だった イギリスはわが国のレジスタンスに理解がないし 武器は自国に取って置きたいんだ 私が通信面で協力しよう 無線士を多数 送りこむ また人を差し向けて滑走路を直すことを約束する』
東北新社盤:
『武器を全部は送れない 我が国はレジスタンス運動に期待していないし 航空機はドイツ爆撃に回したい だが通信網は強化しよう 相当数の無線要員を派遣する 着陸可能地も増やしたい その対策要員も送る』
東北新社盤の字幕は、まるでパッシー大佐(自由フランス軍)がイギリス人であるかのような表現となっています。
その意味でも、今回の字幕の方が良いと思いますが、後半の方などは東北新社盤の方が丁寧な訳という印象もあります。
今回はとりあえずこんなところですが、次回は、今回のUPJ盤DVDの字幕で最大の問題点と思われる、ジャン=フランソワがドイツ軍に捕まったシーンについて検証する予定です。
英語字幕はCriterion盤のもの。
原語
Je me demandais si Mathilde que je venais a peine de connaitre, elle n'etait pas devenu plus proche que toi, mon frere, que j'avais toujours aime, que je continuais d'aimer, mais avec qui je n'avais plus grande chose en commun n'etais-ce que souvenir.
英字幕
I wondered if Mathilde whom I'd only just met, wasn't close to me than you, dear brother, whom I'd always loved, whom I still love, but with whom I share nothing but memories.
試訳
知り合ったばかりのマチルドは、なぜか兄さんほど身近な存在にはならなかったよ、兄さん。兄さんのことは、ずっと愛してた、愛し続けた。共有した最大のものは思い出でしかないのに。
日本語字幕試訳
なぜかマチルドより兄さんの方が身近に感じる 兄さん ずっと愛してたよ 思い出を共有してただけなのに(以上46文字)
共有した最大のものは思い出でしかないのに
↓
せいぜい思い出くらいしか共有してないのに
THE CHARACTERS REPRESENTED IN THIS FILM ARE REAL PEOPLE.
THE EVENTS DEPICTED ACTUALLY HAPPENED AS THEY ARE SHOWN.
ポニーキャニオンの『影の軍隊』英語版のビデオ(翻訳者 飯島永昭氏)のこの部分の字幕は次のようになっています。
『この映画の登場人物は実在であり事件は事実にもとづいている』
東北新社の『影の軍隊』英語版のビデオもこの部分は同じ字幕です。東北新社の『影の軍隊』英語版のビデオ
の字幕はごく一部を除いて、ポニーキャニオンの『影の軍隊』英語版のビデオの字幕と同じで、実質的には同じ字幕と考えてさしつかえありません。東北新社盤『影の軍隊』のDVD(仏語)の字幕はだいたいにおいて東北新社の『影の軍隊』英語版のビデオの字幕と表現、言い回しが同じです。英語版ビデオの字幕をかなり流用しています。そのせいでクールトリーヌの言葉が東北新社盤DVDではあのような字幕になったのではないかと考えられなくもありません。
食事の場面の英語版ビデオの字幕は東北新社盤DVDの字幕とほぼ同じで次のようになっています。
『兄よりマチルドの方が身近な感じがした 昔から愛してきた兄よりだ 思い出以外に共通点がないからだ』
Fauxさんのコメントを参考にすると、この食事の場面の東北新社盤の字幕は明らかな間違いで(英語版ビデオの字幕も)、UPJ盤の字幕の方がましということのようですね。
字幕情報ありがとうございます。
しかも、試訳までしていただきまして大変助かります。
これによりますと、私の仮説は間違いのようですね。
私もクライテリオン盤もきちんとチェックすべきでした。
確かに、ジャン=フランソワが兄の方に親近感を感じるという方が、そのすぐ後の「あとで思えば あのとき何かを予感してたんだ」(UPJ盤字幕)に意味がつながりますね。
今度のUPJ盤にとっては良い情報で、私も良かったと思います。
英語版の情報と検証ありがとうございます。
東北新社盤の字幕の持つ問題点の原因がそこに隠されているようですね。
食事の場面に関しても、東北新社盤はビデオ、DVDどちらも「兄よりマチルドの方を身近に感じる」という意味なのですね。
今回のUPJ盤が出なければ、ずっとこちらの意味だと思っていたかもしれません。
とりもなおさず、映画の内容を取り違えるということにつながるわけで、字幕の問題はコワいですね。
日本語字幕の特殊事情として、1秒4文字という制約上、「正確な翻訳」は原理的に無理なのですが、逆に英語圏のアート系映画では、比較的「全訳」に近い「字幕」が多いので、ある程度正確なぶん、字数が多くて(級数も小さくて)読みづらいという欠点があり、一長一短です。
近年、欧米の洋画(特に60年代以前の旧作)の需要が目に見えて減り、とくに古典映画の字幕の質が落ちていると感じています。一般に情報量が多く、より原文に近い吹替えのほうが、言語情報の伝達に関するかぎりマシとされます。ただし、映画の地上波放映全盛期の吹替えは原語の趣旨をより日本人受けするように?作り変えた「翻案」に近いものも多かったと思います。
特に近年は、映画が、多種多様かつ広範な観客層を想定する巨大大衆娯楽でなくなったため、アメリカ映画でさえもマイノリティを主題とするような、内容の特殊なものが増え、ローカルな異文化間の文化的障壁も強まり、万人が理解できない言葉づかいが増えています。
また一般に、秒単位の字数制限があると、早口で情報量の多い映画ほど情報欠落が避けられません。特に固有名詞や特殊用語をはしょることが多くなり、物語全体の正確な構造の理解の妨げとなります。
また映画が今より大量消費されていた時代には技術的限界があり、各種辞書、インターネット等の参考資料が豊富で、ビデオで画面・音声を確認しながら校正できる今と異なり、乏しい情報だけで解釈していたため、ある種の慣用表現や俗語表現、専門用語などの「誤訳」も多かったように思います(西洋文学の新訳が注目されだしたのも同じ理由)。なのでいわゆる「日本語採録台本」も今の目で見るとアラが目立つことが多いです。
虎さんのご指摘からもうかがえるように、DVDによる新素材の商品といえども、特に需要の乏しい旧作、アート系映画に関しては、経費節減上も、字幕に関しては軽視される傾向が強く(たぶん、よしあしの判定が機械的・効率的にはできないからでしょう)、旧素材の安直な流用、通りいっぺんの(日本語の語感で違和感がないかどうかのチェックのみの)校正ですますメーカーも多いかと思います。
ひどい場合は、同一タイトルの映画でも、使用ヴァージョン、使用言語が異なり、台詞内容(時には登場人物の役名)があきらか異なるにもかかわらず、旧素材(20年以上前のものと思われる場合もあります)の字幕を流用する場合があり、東北新社盤『影の軍隊』はそのケースでしょう。
ただでさえ字幕で映画を理解するうえでの困難が増すなか、字幕の質低下により、洋画離れ、古い映画離れが加速されているような気がします。そもそも映画全盛期の「古い映画」は、直接提示された視聴覚情報の断片から観客が想像力によって「直接提示されていない物語」を頭のなかで再構築するという形式の知的娯楽でしたが、今日の「映画」は、深く考えさせずに、直接視聴覚的刺激、ワンフレーズの決め台詞で興奮させる直接体感型の娯楽へと移行しているという見方もできます。
映画が知的娯楽だった時代には、字幕による一回の鑑賞のみでは理解の難しいところを、副読本としてのパンフや活字媒体の「批評・解説・データ」が「啓蒙」していたのでしょうが、今、映画をめぐる(日本語の)活字情報はあくまでも「宣伝」に特化され、有名タレントの感想ばかりが氾濫し、内容読解上の基礎前提の解説すらおざなりになっている印象があります。またWeb上でも、「内容読解」や合理的解釈を欠いたベタな感想ばかりが目立ちます。
全体状況を包括的に語れるほど多くの事例を見ているわけではありませんが、ユニバーサルの古典作品の廉価盤の字幕がひどいという情報は、Web上でも散見します。自分で見た範囲では、50年代西部劇にもひどい誤訳・誤記・誤植がありましたが、言葉のギャグ満載のマルクス兄弟は最悪で、字幕を読むことで、かえって興ざめしました。
欧米の映画ソフトも過剰な盲信は禁物ですが、Criterion盤『影の軍隊』は、ここで比較した箇所を見るかぎり、かなり原文に忠実という印象をもちました。『影の軍隊』英語版に見られるようにヨーロッパ映画の米国配給版もヴァージョン・台詞共に改ざんされていることが多いので、Criterionでは新字幕による改善を心がけているようです。
ちなみに、今回比較参照した箇所に関しては、あきらかに文法上の初歩的勘違いが問題です。文脈読解や特殊用語等の問題に先立つ基礎的なミスです。
本来は、映画DVDに関しては、ヴァージョン、画質、音質、画角、尺数の是非もさることながら、「字幕」(さらに補足解説)の質も批評対象にすべきなのでしょう。
その意味で、今回の管理人さんの踏み込んだ問題提起は大変貴重な試みだと思います。改めて問題の深さを考えさせられました。
当ブログには勿体無いくらい素晴らしい「DVD時代の字幕論」とでもいうべきものを書いていただきありがとうございます。
私の理解力では、書かれた内容をすべて理解することは困難ですが、昨今の洋画の受容状況も論じて下さっていて、大変説得力があります。
おっしゃる通り、字幕と吹き替えに情報量の違いがあることは私も以前から感じていました。
このことを検証しようとするならば、“そもそも字幕とは何ぞや?”というところにまで行き着いてしまうのかもしれません。
私も『影の軍隊』のような本当に好きな映画が、誤った解釈のもとに世間に広まってゆくのはとても残念に思い、今回の検証記事を書こうという気になりましたが、他にも知らず知らずのうちに誤った字幕のもとで映画を“理解”してしまっている例は枚挙に暇がないのかもしれませんね。
クライテリオンのような良心的なレーベルが国内においても増えてくれることを祈らずにはいられません。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
リンク、コメント、TB等はご自由にどうぞ。