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先日BBSにてFauxさんが紹介して下さった本『ムッシュー・コクトー ママとコクトーと私』(キャロル・ヴェズヴェレール著 花岡敬造訳 東京創元社)を早速購入、現在読み進んでいる最中です。
残念ながら、『恐るべき子供たち』に関してはあまり多くページが割かれていないのですが、本の内容は、ジャン・コクトーという魅力的な人物の生身の姿を伝える、読み物として大変面白いものです。
タイトルの“ママ”とはフランシーヌ・ヴェズヴェレールという、『恐るべき子供たち』の映画化を経済的に援助した富豪の夫人のことです。
この映画でエリザベートを演じたニコル・ステファーヌは、夫人のご主人の従妹にあたり、当時ヴェズヴェレール一家と同じ屋根の下に暮していたのです。
そして、ニコルを通じて、ジャン・コクトーとヴェズヴェレール夫人は知り合うことになります。
この本の著者キャロル・ヴェズヴェレールは、もちろんヴェズヴェレール夫人の娘さんのことで、この一家は、この映画をきっかけとして、63年にコクトーが亡くなるまでの間、家族同然の交友関係を続けることになるのです。
ちなみに、この本の著者キャロル・ヴェズヴェレール、ニコル・ステファーヌの近年のインタビューがクライテリオン盤DVD『恐るべき子供たち』の特典映像に収録されています。(この記事の一番下の画像はその特典映像に収められたもの)
フランシーヌ夫人がこの映画を経済的に援助することになった経緯については、本の中で次のように書かれています。
メルヴィルはいくつかのシーンの撮影のために工事中の私邸を探していて、また映画を完成するための資金も不足していた。ママは苦労してパパを説得し、合衆国広場の私たちの邸宅を撮影用に提供させたばかりか、映画の完成のための資金まで回収不能を承知でパパに出させた。フランシーヌはこの映画の代母となったのだ。
また、この本の中から、『恐るべき子供たち』のラストを巡る、コクトーとメルヴィルの対立について書かれた部分を引用します。
最初の編集の上がりを見るために私はママとスタジオを訪れた。上映後、コクトーとメルヴィルのあいだでかなり激しい議論が始まった。映画のエンディングに関して両者の意見が分かれていることが私にも理解できた。ムッシュー・コクトーはポールとエリザベートが死んだ後、一枚のシーツに包まれて天国に上るという終わり方にしたかった。私はこのイメージを素晴らしいと思ったが、メルヴィルはそのアイディアに断固反対で、監督はコクトーではなく自分だと言い返した。優しすぎるコクトーはメルヴィルの言葉にとても傷ついたようだった。その日の夜、私はママから結局メルヴィルの意見が通って、屏風が倒れるシーンで映画が終わることになった、と聞いた。メルヴィルがコクトーを手酷く扱うのを聞いていたニコルは激怒して彼に平手打ちを加え、メルヴィルの方でも彼女に殴り返したが、クリスタルの灰皿を手にしたママが立ちはだかって、「ニコルに手を出さないで!」と叫んだと言う。私のニコルへの賞賛の念は倍増した。
入るボクサー)の援助にもシャネルと関わっているなど非常に興味深いですね。あと黒澤監督と淀川氏の対談にもコクトーとの話が載っています(たしか他の監督は頭で考えるが黒澤の映画は心があると言ったそうです)あとコクトーが黒澤にキスさせてくれと言ったそうですね。
コクトー情報、ありがとうございます。
ボクシングも好きだったのでしょうかね。
今、紹介した本のピカソとの親交のところを読んでいるのですが、えらく面白いです。
淀川氏とコクトーの関連は分からなくはないのですが、黒澤監督とコクトーの関連は意外ですね。
コクトーは黒澤監督のどういった作品が好みだったのでしょうね。
本の情報ありがとうございます。
なかなか面白そうな本ですね。
淀川氏の本は特に古本屋に行くとたくさん置いてありますが、その本の存在は知りませんでした。
今度本屋さんで探してみようと思います。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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