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『マルセイユの決着』について、メルヴィルの『ギャング』との比較でいくつか指摘したいと思います。
まず、なんといっても目に付いたのが銃撃シーンにおけるスローモーションの多用です。
そして、銃弾を受ける人間の有様をスローモーションでつぶさに描写している点です。
また、流血シーンもところどころ目に付きます。
メルヴィルは『ギャング』に限らず、スローモーションは絶対と言ってよいほど使わない監督でしたし、死体をしつこく映さない監督でした。
決してバイオレンス性を売りにした監督ではないのです。
それだけに、これらのことは非常に気になりました。
正直言って、こういったセンスは個人的にはあまり好きではありません。
舞台設定上での『ギャング』との大きな違いは、金塊強盗のシーンの時と場所が、昼から夜に、峠から工場街へと変わっていることです。
この点は、原作に忠実なのは『ギャング』の方なので、『マルセイユ~』のオリジナルである点の一つですが、この金塊強盗のシーンは、方法が大変複雑に見え、『ギャング』のシンプルなやり方に比べ、かえってリアリティがないように思えました。
また、『ギャング』で峠の荒涼とした風景の中、男たちが輸送車が来るのを待っているシーンは、時間こそ短いものの、メルヴィルらしい“タメ”のある、なんともいえない緊張感のある良いシーンですが、この作品の金塊強盗のシーンでは、さすがにそういった味わいはありません。
『ギャング』はモノクロ、『マルセイユ~』はカラーです。
その違いは、その違い以上に大きいように感じられました。
いや、カラーであることが悪いのではありませんが、カラー映像の質感がトロッとしたコッテリ系で、メルヴィルのカラー映像のようなストイックさが感じられないのが残念といえば残念でした。
もちろん、メルヴィルのようなストイックさを追求する必要は必ずしもないのですが、往年のフレンチ・フィルム・ノワールの質感(メルヴィル以外も含め)とは明らかに異なる味わいを感じたこともまた確かです。
よく言えば現代的とも言えるのかもしれませんが…。
美術にもなかなか凝っている映画ですが、映画前半でギュが匿われる部屋、映画後半の集会場所に使われるアパートの一室、マヌーシュの家、ヴァンチュール・リッチの家、ジョー・リッチのバー等々、いずれも『ギャング』に比べ随分装飾過剰な印象を受けました。
カラーである点ももちろん影響していると思われますが、『ギャング』のシンプルさの“凄み”をかえって感じてしまいましたね。
ただ、登場人物たちの衣装は良かったと思います。
なにより、ソフト帽やコートが似合っていたことが第一です。
どうしても、『ギャング』との比較では分が悪いのですが、全体的に、『ギャング』の簡潔さがかえって良く感じられ、『マルセイユ~』は、エピソードの点も含め、詰め込み過ぎ、あるいは過剰な点が気になりました。
『ギャング』の簡潔さから生じている力強さ、凝縮力のようなものは『マルセイユ~』には薄いように感じられたのです。
次回はキャストについて、書いてみたいと思います。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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