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国内盤DVD『冒険者たち 40周年アニヴァーサリーエディション・プレミアム』には、レティシア役を演じたジョアンナ・シムカス(1943~)の2006年カンヌ映画祭におけるインタビュー映像が収録されています。
今回は“ジョアンナ・シムカスが語る『冒険者たち』の思い出@カンヌ映画祭2006”と題されたそのインタビューの内容を要約して紹介します。
このインタビューの中で、ジョアンナ・シムカスは、とても穏やかな表情で自身のキャリアと出演作『冒険者たち』(67)『若草に萌えるころ』(68)『夕なぎ』(68)について答えています。
ところで…『冒険者たち』の撮影から約40年の歳月が経った後のインタビューということで、映画ファンを魅了したジョアンナ・シムカスのあの美貌がこの間にどんな変貌を遂げているか…私は『冒険者たち』という映画を心から愛しているだけに、ほとんど恐怖に近い感覚でこの映像に接したということを告白せねばなりません。
事実、このDVDを購入してから、3年もこの映像を観る勇気がありませんでした。
彼女は70年代に俳優のシドニー・ポワチエと同棲、結婚、引退、出産し、長らくメディアの前から姿を消していました。
それだけに、現在の彼女の風貌について全く想像がつかなかったからです。
しかし、結果として、インタビューを受けている彼女の様子は、想像したよりも変わりないイメージでした。
決して醜く太っているわけでもなく、また皺くちゃのお婆ちゃんになっているわけでもありません。
あの美しいイメージを残しつつ、相応の年齢を重ねた素敵な女性になっていました。
正直、ホッとしました。
ただ、中にはあえて見たくないという人だっているでしょうし、感じ方は人それぞれなので、画像を紹介することは避けます…。
以下、そのインタビューの要約です。(ほとんど全部に近いですが…)
当時私は20歳でパリでモデルをしていた。
出身はイギリス領カナダよ。
雑誌でその写真を見たジャン=リュック・ゴダールが映画出演を依頼してきた。
私がアンナ・カリーナに似ていたのね。
それで出演したのが『パリところどころ』(65年)よ。
次にゴダールの友人のジャン・オーレルに誘われて出た映画が『スタンダールの恋愛論』(65年)で、アンナとも共演したわ。
もともとデパートのバイヤーがやりたかったので、モデルの仕事は好きでなかったし、演技も素人だったわ。
私の出演作を見たロベール・アンリコに呼ばれて『冒険者たち』のスクリーンテストを受けたけど、受かるとは思わなかった。
監督は優れていたし、出演者たちも優しかった。
リノ・ヴァンチュラはステキな人だった。
アラン・ドロンは妻のナタリーとの共演を望んでいたので、最初は少し気難しかったけど、すぐに解決したわ。
大スターに囲まれて緊張したけど、自分の直感を信じて演じたわ。
だから、二度と同じ演技はできなかった。
セルジュ・レジアニとの撮影は一週間だけだったから、彼のことはよく分からなかったけど、彼は私にも皆にも優しかったわ。
アランにはカメラアングルについても教わったし、優しい人だった。
リノ・ヴァンチュラは本当に可愛くてやさしい人よ。
チュニジアでの撮影は天気に恵まれた最高のロケだったわ。
カメラマンのジョン・ボフェティは優秀だったし、アランもリノもステキだった。
私も悪くなかったかな(笑)。
(『冒険者たち』は)とてもステキなラブストーリーね。
これまで褒められても『悪くない』とずっと答えてきたけど、私の代表作だと言われる理由が今になってようやく分かるのよ。
今ではレティシアという名前の女の子は多いけど、この映画の同世代の母親がこぞってこの名前を付けたみたいね。
ジョアンナという名前もね。
『若草の萌えるころ』(67年)の脚本はロベール・アンリコの妻が書いたの。
身近な内容だったから楽に演じることができた。
同じくロベール・アンリコ監督の『オー!』(68年)にも出演したけど、ロベールは私みたいな女優が好きだったのね。
彼との仕事はとても居心地が良かった。
ヌードにはならないと決めていたけど、彼のためにヌードにもなったわ。
上半身だけだけど(笑)。
3作ともロベールが監督だったし、カメラマンも同じだった。
彼らを信頼していたのね。
ジョセフ・ロージー監督の『夕なぎ』(68年)は、4ヶ月も島で撮影した、特別な映画ね。
エリザベス・テイラーやリチャード・バートンと共演したわ。
すばらしい俳優陣に比べて私は見劣りがしたから、降板の話も出たそうよ。
でも、製作者が私に恋していたの(笑)。
朝8時に来る予定のエリザベス・テイラーは、午後2時になるまで現場に来なかった。
それが4ヶ月続いたわ。
貴重な経験ね。
そのうち本に書こうかしら(笑)。
女優という仕事について真剣に考えたことはないの。
成り行きで女優になったし、私は幸運だった。
そのせいかギャラは安かったけどね(笑)。
すべて自然の成り行きよ。
14本ほどの映画に出たけど、3本が英語、残りはフランス語よ。
26歳で引退した。
1968年に出演した『失われた男』で夫に出会ったの。
夫のシドニー・ポワチエはすばらしい俳優だったわ。
私は子供が欲しかったし、自分の母が仕事でいつも家にいなかったから、自分は子供のために家にいたかった。
だから、引退したことは後悔していないわ。
気の向かない方は無理に見ない方がいいと思います(笑)。
それはそうと娘さん来年ご誕生なのですね。
おめでとうございます。
レティシアなら素敵ですね。
うちの双子の娘は、狙ったわけではないのですが一人が私の好きな女優と同じ名前になりました。
デンマーク出身の…といったらバレバレですかね。
Ma Ligne De Chance~と歌うあの役名の方がレティシアよりは日本人の名前っぽいですね。
いろいろアイデアを考えるのは楽しいですが、いずれにせよ、ご夫婦で納得のいくお名前にすることが重要ですね(笑)。
引き受けた裏側に、こんな話があるとは、
知りませんでした。
ドロンも、ナタリーとの共演を望んでたって、ワガママですねぇ。
シドニー・ポワチエと結婚して、
電撃引退してしまったシムカス。
己を知っていた女性としては素晴らしい方なのだと思います。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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