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83年はファンにとって聖子さんの第二のピークと言われている。
今思えば、80年のデビューに続いて81年も82年も奇跡のような年の連続であり、83年だけが突出して凄いわけではないのだが、それでも”83年の松田聖子”は、ファンの間で半ば伝説化されている年なのだ。
それは一体どういう年だったのか?
まずは83年に彼女が発表した作品を見て欲しい。
2月3日 シングル『秘密の花園』発売
4月27日 シングル『天国のキッス』発売
6月1日 アルバム『ユートピア』発売
8月1日 シングル『ガラスの林檎』発売(B面は『SWEET MEMORIES』)
10月28日 シングル『瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ』発売
12月10日 アルバム『Canary』発売
他にも、春と夏にコンサートツアーがあったり、『Seiko・plaza』というベストアルバムが発売されたり、『プルメリアの伝説』という主演映画が公開されたり、『ザ・スター 振り向けば…聖子』という5週に渡る特集番組もあった。(映画と特集番組は当時未見)
そういえば、沖縄で暴漢に襲われたのもこの年だった。
そんな盛り沢山かつ大変な年だったわけだが、ことシングル曲に関しては、個人的に今一つ好きになれない『秘密の花園』を除けば、後は歴史的名作ばかりである。
細野晴臣作曲でアイドル歌謡の頂点を極めた『天国のキッス』、同じく細野作曲でありながらアイドル歌謡の枠を超越した壮大なバラード『ガラスの林檎』、CMに使われ大評判となり、後に彼女の代表曲とも目されるようになるジャジーなバラード『SWEET MEMORIES』、そしてユーミン作曲で女性らしい繊細さと美しさにおいて絶後の名曲『瞳はダイアモンド』。
『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』は85万枚を売上げ、後に『あなたに逢いたくて~Missing You~』に抜かれるまで聖子さんのシングルで最高の売上げとなった。
このヒットによって、聖子さんは既成のアイドルという枠から完全に独立した一アーティストとしての人気を勝ち得たと思う。(以前も書いたが、個人的に一番好きな聖子さんのシングルは『ガラスの林檎』)
83年の聖子さんが凄いのは、その後のシングルが『瞳はダイアモンド』という『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』に勝るとも劣らない大名曲だったことだ。
『瞳はダイアモンド』は当時ザ・ベストテンで8週連続1位に輝いている。
しかも、そのB面は今でも人気の高い名曲『蒼いフォトグラフ』(ドラマ『青が散る』主題歌)であった。
音楽面だけでなく、聖子さんはビジュアル面でもピークを迎えていた。
特に『ガラスの林檎』~『瞳はダイアモンド』の頃は、シックな楽曲のイメージに合わせたのか、ボリューム感を押さえた短めのストレートの髪型になり、それまでとは違うしっとりとした大人の女性へと変貌、正に美しさの絶頂にあった。(84年になると残念ながらメイクが濃い目になってしまう)
このような状況は、それ以前からのファンだけでなく、それまでアイドル松田聖子に興味のなかった人たちにまで中毒患者続出という状況を生み出した、と私は思う。
当時、私はレコード店で、それまではおよそ聖子さんに興味のなさそうだったオッサンどもが、聖子さんのレコードジャケットを食い入るように見つめたり、手に取ってレジに向かう姿を何人も見かけたのである。
そして、伝説に拍車を掛けたのが、この年に発表されたアルバムの見事な出来栄えであった。
(もっとも、それ以前から聖子さんのアルバムは、アイドルとは思えないクオリティの高さで一般音楽ファンにも注目されていた)
この年の夏に発表された『ユートピア』は、当時から最高傑作の呼び声高いアルバムであり、現在でもおそらく聖子さんで一番人気のアルバムだろう。
『マイアミ午前5時』、『セイシェルの夕陽』、『ハートをRock』、『赤い靴のバレリーナ』等、どの曲もシングルカットしておかしくないような名曲のオンパレードである。
今聴いても全く古さを感じさせず、それどころが何度聴いても全く飽きないのに自分でも驚いてしまう。
ジャケットも最高だ。
今回取り上げる『Canary』は、冬アルバムということもあってか、それに比べればかなり地味な内容で、人気という意味では落ちるかもしれない。
しかし、実は私にとって聖子さんの一番のフェイバリット・アルバムは当時も今もずっと『Canary』なのである。(この項続く)
一般的に、90年代以降の聖子さんのアルバムは玉石混合といった様相を呈するようだ。
とはいえ私自身、まだ一部のアルバムしか耳にしていないから、一概になんとも言えないというのが実情だが、これまで耳にしたいくつかのアルバムは80年代の諸作に匹敵するほど魅力的である。
中でも、このアルバムは(タイトルはともかく笑)内容が素晴らしく、とても好きだ。
ほとんどが穏やかなメディアムテンポの楽曲、生音重視のサウンドで、しっとりした大人の落ち着いたポップアルバムに仕上がっているのが好ましいが、なんといっても、88年の『Citron』以来、11年ぶりに松本隆が(10曲中8曲で)作詞を担当しているのが大きい。
映画の一場面のような情景描写が印象的な歌詞の世界は相変わらずで、さすがに聖子さんの光らせ方をよく分かってらっしゃる。
聖子さんの歌もところどころでファルセットを用いたり、楽曲に合った繊細な歌い回しが印象的。
オープニングの『月のしずく』から軽快なアレンジが印象的な『ペーパードライバー』、バラードの『哀しみのボート』、『櫻の園』と続くアルバム前半の流れは白眉。
先行シングルにもなった『哀しみのボート』は聖子さんならではの名バラードであり、97年に46歳で亡くなった大村雅朗作曲『櫻の園』は故人を偲ぶかのような松本隆の詞が感動を誘う。
アルバム後半では『エメラルド海岸』、『カモメの舞う岬』が素晴らしい。
このアルバムでせっかく復活を果たした松田聖子×松本隆コンビだが、残念ながら、これ以降また疎遠になってしまう。
今度このコラボが実現するのはいつになるのだろうか。
プロデューサーはデヴィッド・フォスター。
作詞は1曲を除いて松本隆、作曲はデヴィッド・フォスターを初めとする向こうの人たち。
この頃はもう完全に聖子さんから離れていて、アルバムが発表されたことすら憶えていない。(リアルタイムで買ったアルバムは86年の『SUPREME』が最後)
したがって、このアルバムを初めて聴いたのは昨年2014年になってからである。
音の悪いことで有名なCD選書盤を某古本店で250円とかで購入した。(後でブルースペックCD2盤を買い直した)
正直、一度聴いただけでは良さが伝わってこなかった。
どうしても80年代前半のアルバムのイメージで聴こうとするこちら側の問題もあるのだが、聖子さんのヴォーカルもバックの音に埋もれがちだし、いかにも80年代洋楽チックなバックの音のイメージにも馴染めなかった。
しかし、3回くらい聴いた頃だろうか、このアルバムの良さが分かってきたのである。
個々の楽曲の良さはもちろんだが、1曲1曲がしっかり作り込まれており、大変聴き応えがある。
シングルカットされた『Marrakech』はリアルタイムではほとんど聴いた記憶がないが、独身後期のシングル曲等に比べるとはるかに良いと思うし、『抱いて…』は紛う事なき名曲だろう。
当時テレビで見る機会があった『抱いて…』は、どこか背伸びした聖子さんのイメージが痛々しく感じたものだが、改めて聴き直して、こんなに良い曲だったのかと驚かされた。
間奏のギターソロ等、アレンジも見事。
他にも、デヴィッド・フォスターとのデュエット曲『Every Little Hurt』、歌詞の内容に衝撃を受ける『続・赤いスイートピー』、アカペラグループの参加した『No.1』と粒揃いの楽曲が並ぶが、とりわけオーケストラを起用した壮大なバラード『林檎酒の日々』が素晴らしい。
1曲を除いて松本隆の作詞だが、全体的に別れや悲恋を歌った悲壮感のある内容の歌詞が多い。
そのせいか、アルバム全体にどこか暗さを感じるのも確かだ。
結果的に(?)松本隆はこの作品を最後に松田聖子との共同作業を一旦辞めることになるのだが、マンネリという意味合いと共に、外国人プロデューサーの作品に作詞を提供することの難しさも感じたことだろう。
結果として好きなアルバムとなった『Citron』だが、プロデュースの影響のせいか、聖子さんの歌に型に嵌ったような窮屈感があり、彼女の特質が生かされていない気がするのもまた確かである。
クオリティの高さは文句ないが、その辺りで好みは分かれるかもしれない。
シリーズ第8作。
このシリーズで初めて鶴田浩二が出演している。
そして、これは第6作『人斬り唐獅子』に勝るとも劣らぬ傑作である。
映画前半は松方弘樹が主人公みたいな展開で、ここに鶴田浩二や池部良がどう絡んでくるのかと不安になるが、最上の形で絡ませてくる脚本が見事。
鶴田浩二と池部良の出演場面もきちんと両者を立てる配慮が感じられるのがいい。
この二人が共演した仁侠映画なんて他にどれだけあるのか分からないが、とにかく貴重だ。
それにしても、鶴田浩二は端正な演技といい、貫禄といい、素晴らしいとしか言いようがない。
見せ場の道行のシーンは、高倉健と池部良の立場がいつもと逆転しているのが珍しく(唯一?)、ラストの殴りこみシーンの迫力も凄まじいの一言。
この作品、昔レンタルビデオで観たが、当然のことながらそれなりの画質。
こうして日本でもブルーレイで観られるようになったことは喜ばしい。
みんな思っていることだろうが、もっとベルモンド主演作が国内DVD化されて欲しい。(もちろん第一希望はメルヴィル『フェルショー家の長男』だが)
久々に観た『リオの男』だが、やはり面白かった。
一見ハチャメチャなコメディだが、アクション、サスペンス的な要素もしっかり描かれており、ベルモンドとヒロイン役のフランソワーズ・ドルレアックが魅力的である。
とりわけ早世したドルレアックの主演作ということでも貴重。
ベルモンドの体を張ったアクションシーンの数々も楽しい。
また、共演のジャン・セルヴェ(『男の争い』)も重過ぎない感じで良い。
ブラジルの美しい風景も映画によく溶け込んでおり、ジョルジュ・ドルリューの音楽も素晴らしい。
ブルーレイの画質は特別良いという感じでもないが、まぁ満足できるレベル。
もしかしたらDVDでも良かったかもしれないが、それほど価格が変わらないならばブルーレイの方が満足度は高いだろう。
NOT NOW MUSICというコンピレーションものを中心に出しているイギリスのメーカーだが、価格が安いことが魅力。
このグレコのCDも2枚組40曲、50~60年代前半の、まさにグレコの全盛期の録音が収められている。
このCDは なんといってもジャケットが最高に素晴らしく、ほぼジャケ買いに近い。
『BOHEMIAN IN PARIS』というタイトルもいい。
もちろん、内容も素晴らしく、久々にグレコの歌を堪能した。
あと驚くのが、デジタル・リマスターを謳っているだけあって音質が良いことである。
ほんとにヘタな正規盤よりも良いのではないだろうか。
グレコの編集盤やベストの類は国内盤含め数多く、彼女の歌に関心のある人なら一枚は持っているだろう。
私の所有CDともおそらく何曲も被っていると思うが、ここで初めて聴くような楽曲も多く収録されており、充分買う価値のあるCDだと思う。
松田聖子が85年にSEIKO名義で発表したアルバム『SOUND OF MY HEART』。
ちょうど30年前に発売されたアルバムだが、これはリアルタイムで買った記憶がない。
先行シングル『DANCING SHOES』は12インチシングルで発売され、私も当時買った。
全編英語詞が受けなかったのか、12インチシングルで割高だったせいか、チャート1位にはなったものの聖子さん史上売り上げは最低だったという(もちろん当時)。
85年といえば、聖子さんの最初の結婚があった年。
もしかしたら、そんなことも影響したのか。
しかし、『DANCING SHOES』は大好きな曲だった。
今聴いてもいいと思う。
なんといっても曲がメチャクチャカッコいいし、聖子さんの声の伸びも素晴らしい。
当時はイマイチなシングルが続いていた頃だから、久々の快打といった感じだった。
にもかかわらず、アルバム『SOUND OF MY HEART』を買わなかったのは今思えば不思議である。
そこで1985年当時の時系列を調べてみた。
5月9日 シングル『ボーイの季節』発売
6月5日 アルバム『The 9th Wave』発売
6月24日 12インチシングル『DANCING SHOES』発売
6月24日 神田正輝との結婚式
8月15日 アルバム『SOUND OF MY HEART』発売
『ボーイの季節』は買った記憶があるが、『The 9th Wave』は買った記憶がない。
聖子さんのアルバムは、その前年12月に発売された『Windy Shadow』までは買って聴いていた記憶があるから、この頃私の中で明らかに聖子さん離れが起こっていたことは間違いない。
それにしても今回ビックリしたのは 『DANCING SHOES』の発売日と聖子さんの結婚式の日取りが一緒だったことである。
なにしろ30年前のことだから(笑)よく憶えていないのだが、ファン心にやっぱり結婚はショックだったのだろう。
『DANCING SHOES』の売り上げが低かったのは、私みたいなファンが全国に多かったのではないだろうか。
今みたいにネットもないから当時はよく分からなかったが。
本題に戻るが、『SOUND OF MY HEART』はプロデューサーに大物フィル・ラモーンを迎え、全編英語詞、アーティスト名もSEIKOに変え、全米デビューを目指して作られたアルバムだという。(実際は英国での発売はあったようだが、全米での発売はなし)
しかし、当時は結婚するのになぜ全米デビュー?と子供心にも何が何だか分からなかった。
第一、結婚自体かなり唐突な印象だった。
確かトップテンで司会者が『明日、聖子さんの結婚発表が・・・』と言ったら、何も知らないよ状態だった会場が大いにザワついていたのをハッキリ憶えているし、まして全米デビューなんてほとんどのファンは望んでいなかったと思う。
それに、『DANCING SHOES』のジャケットもそうだったが、ビジュアルの変化もそれまでのファンのニーズと乖離していたと思う。
そのような様々な事態が重なり、多くのファンが離れていったのだろう。(それでも翌年の『SUPREME』では一時的にせよファンが戻ってくることになるのだが)
それから30年近く『SOUND OF MY HEART』は私の記憶の中から消し去られたアルバムだった。
そんな中、2013年暮れの紅白をきっかけに昨年(2014年)私の中で聖子回帰が起こった。
それまでも小さな回帰の波はあったが、それは80年代前半のアルバムやシングルを聴くだけで収まっていた。
しかし、今度の回帰現象はそれまでとは違っていた。
これまで聴いてこなかったアルバムも聴いてみたいという思いが強くなったのである。
まずはこれまで縁のなかった80年代後半のものを、というわけで聴いた『SOUND OF MY HEART』だが、今聴いてみて感じるのは意外にも古さを感じないということである。
もちろん、全米デビューを計算して作られたアルバムだから(プロデュースだけでなく作詞作曲編曲も向こうの人たち)、80年代の洋楽の匂いを強く感じるのは事実だ。
しかし、正直なところ、もっと恥ずかしい(?)音に仕上がっているかと覚悟していたのだが、決してそんなことはない。
各々の楽曲も良いし、なにより聖子さんの声質が非常に魅力的に録られている。
今だからこそ痛感するのだが、聖子さんという人は、声だけで曲を魅力的に響かせてしまう能力の持ち主だから、楽曲にある程度のクオリティがあればそれだけで傑作になってしまうという稀有なアーティストなのである。(『TOUCH ME』などは典型的な例だろう)
今となっては英語詞だからという不満も特になく(英語の発音には若干疑問があるが)、むしろ英語詞だからこそ聴きやすいという面もある。
聖子さんのアメリカへの挑戦はこの後長く続くことになるが、どう見ても商業的には成功したとは言いがたいだろう。
しかし、アメリカで成功したとか失敗したとか私はあまり関心がない。
もちろん一ファンとしては成功した方が嬉しいが、失敗したからといってどうという感もない。
問題はその過程で優れた作品が生み出されたか否かであり、その意味では聖子さんのアメリカ挑戦は一概に失敗だったとは言いきれないのではないだろうか。(このあたりはまた別の機会に詳しく述べたい)
『SOUND OF MY HEART』は今だからこそ再評価して欲しい一枚である。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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