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ジャン・エルマン監督の『さらば友よ』を国内盤DVD(東北新社)で観た感想です。
『ADIEU L'AMI』(68年)
監督:ジャン・エルマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ、ジャン・エルマン
撮影:ジャン=ジャック・タルベ
音楽:フランソワ・ド・ルーベ
出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ブリジット・フォッセー、オルガ・ジョルジュ=ピコ、ベルナール・フレッソン
再見。
通して観るのは今回で4回目くらいでしょうか。
久々に観ましたが、なんとなく、これまで以上に楽しめました気がします。
何回観ても意味不明のシーンもあるんですが(笑)、やはりこの映画は最高としかいいようがないですねぇ。
とにかく主演の二人がカッコ良過ぎますわ。
映画冒頭でフランソワ・ド・ルーベの素晴らしい音楽をバックに、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンがお互いに行き交うシーンからして、もう堪りません。
どちらかというとチャールズ・ブロンソンの役の方が、コインをコップに入れるシーンがあったり、刑事の尋問に口を割らなかったりと良い役に書かれている印象が強く、ブロンソンがドロンを喰ってしまったと評されることもある映画ですが、なんのなんのこの映画のドロンのカッコ良さも尋常ではありません。
68年という、最もアラン・ドロンがカッコ良かった時代の映画ですから(個人的な感想ですが)、脂の乗り切った男の色気、眼光の鋭さが随所で印象的です。
それに、二人のファッションも見事で、とりわけドロンが着ていたライトグレーのダブルのチェスターコート、ブロンソンの体にフィットしたスーツスタイルの美しさなど、視覚的にも楽しめます。
もちろん、二人の肉体美も…まあ、これはブロンソンの方が圧勝でしょう。
他のキャストでは、刑事役のベルナール・フレッソンも実に良く、人間味のあるキャラクターが明確に出ていましたし、ブロンソンを尋問するシーンは、警察のセットの良さもあって今回この作品を観直して気に入りました。
もちろん、空港のシーンでの“イエー!”は最高。
また、ブリジット・フォッセー、オルガ・ジョルジュ=ピコという重要な役を演じた二人、そして、ブロンソンの愛人役も含め、女優陣も魅力的です。
60年代らしいデザインが印象的な地下室の廊下のセット、女性たちのファッションも。
そして、映画史に残るラストシーン。
ドロン、ブロンソン、それを見つめるフレッソンの表情、舞い上がるタバコの煙まで正に伝説。
私は旧国内盤(東北新社)で観ていますが、画質的には大きな問題はありません。
昨年ユニバーサルからも新国内盤が発売されましたが、そちらは未見です。
エドゥアール・モリナロ監督の『彼奴を殺せ(きゃつをけせ)』をレンタルビデオで観た感想です。
『Un Temoin dans la ville』(59年)
監督:エドゥアール・モリナロ
脚本:エドゥアール・モリナロ、ジェラール・ウーリーほか
撮影:アンリ・ドカ
音楽:バルネ・ウィラン
出演:リノ・ヴァンチュラ、フランコ・ファブリーツィ、サンドラ・ミーロ、ジャック・ベルティエ、ダニエル・チェカルディ、ロベール・ダルバン
先日紹介した『殺られる』に続く、エドゥアール・モリナロ監督のフィルム・ノワール作品。
リノ・ヴァンチュラ主演作としては、彼の役にあまり感情移入しにくい作品であるが、ストーリーは分かりやすく、内容も面白い。
ときおり不必要とも思えるタクシー運転手たちのエピソードも挟まるが、映画の後半でそれが効いてくる。
『殺られる』ほどではないが、なかなかの緊迫感を持った作品である。
リノ・ヴァンチュラに追われることになるタクシー運転手役のフランコ・ファブリーツィは『青春群像』や『崖』など、初期のフェリーニ作品に出演している俳優だが、さして魅力的とは思えない普通っぽさが、却って人物像にリアリティを与えている。
その先輩タクシー運転手役のロベール・ダルバン(『パリ大捜査網』)がなかなかいい味を出しているし、フランコ・ファブリーツィの恋人役にクロード・ソーテ監督の『墓場なき野郎ども』にも出演しているサンドラ・ミーロが出演しているのが嬉しい。
事実、この作品の彼女も『墓場なき野郎ども』に勝るとも劣らないほど魅力的だ。
また、これはアンリ・ドカの素晴らしい夜のロケ撮影が大変魅力的な作品でもある。
ところで、この映画のサントラは、バルネ・ウィラン・クインテットによるもの。
バルネ・ウィランはフランスのテナー・サックス奏者で、あの『死刑台のエレベーター』のサントラに参加していることでも有名。
この『彼奴を殺せ』のサントラCDは、輸入盤や中古盤などでは比較的入手しやすいので、興味のある方は是非一聴を。
同じモリナロ監督の『殺られる』ではアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当していたが、やはりアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当したロジェ・ヴァディム監督の『危険な関係』(59年)にもウィランは参加している。
この『彼奴を殺せ』のサントラでは、ケニー・ドーハム(tp)、デューク・ジョーダン(p)といった、アメリカから参加した他のメンバーもすこぶる魅力的。
ちなみに、この映画のサントラを録音したのは58年だが、その翌年のの59年4月に、サントラの録音とほぼ同メンバーのバルネ・ウィラン・クインテットがパリのクラブ・サン・ジェルマンでライヴを行っており、そこでも、このサントラのテーマ曲が演奏されている。
ドラムは、メルヴィルの『仁義』のサントラにも参加しているダニエル・ユメール。
そのライヴ盤(『バルネ』『モア・フロム・バルネ』の2枚。『彼奴を殺せ』のテーマは『バルネ』に収録)は、演奏の素晴らしさもさることながら、会場となったクラブ・サン・ジェルマンの雰囲気が見事に捉えられていることでもよく知られている。
録音状態も大変良く、個人的にも、最も好きなジャズのライヴ盤の一つである。
『マルセイユの決着』について、メルヴィルの『ギャング』との比較でいくつか指摘したいと思います。
まず、なんといっても目に付いたのが銃撃シーンにおけるスローモーションの多用です。
そして、銃弾を受ける人間の有様をスローモーションでつぶさに描写している点です。
また、流血シーンもところどころ目に付きます。
メルヴィルは『ギャング』に限らず、スローモーションは絶対と言ってよいほど使わない監督でしたし、死体をしつこく映さない監督でした。
決してバイオレンス性を売りにした監督ではないのです。
それだけに、これらのことは非常に気になりました。
正直言って、こういったセンスは個人的にはあまり好きではありません。
舞台設定上での『ギャング』との大きな違いは、金塊強盗のシーンの時と場所が、昼から夜に、峠から工場街へと変わっていることです。
この点は、原作に忠実なのは『ギャング』の方なので、『マルセイユ~』のオリジナルである点の一つですが、この金塊強盗のシーンは、方法が大変複雑に見え、『ギャング』のシンプルなやり方に比べ、かえってリアリティがないように思えました。
また、『ギャング』で峠の荒涼とした風景の中、男たちが輸送車が来るのを待っているシーンは、時間こそ短いものの、メルヴィルらしい“タメ”のある、なんともいえない緊張感のある良いシーンですが、この作品の金塊強盗のシーンでは、さすがにそういった味わいはありません。
『ギャング』はモノクロ、『マルセイユ~』はカラーです。
その違いは、その違い以上に大きいように感じられました。
いや、カラーであることが悪いのではありませんが、カラー映像の質感がトロッとしたコッテリ系で、メルヴィルのカラー映像のようなストイックさが感じられないのが残念といえば残念でした。
もちろん、メルヴィルのようなストイックさを追求する必要は必ずしもないのですが、往年のフレンチ・フィルム・ノワールの質感(メルヴィル以外も含め)とは明らかに異なる味わいを感じたこともまた確かです。
よく言えば現代的とも言えるのかもしれませんが…。
美術にもなかなか凝っている映画ですが、映画前半でギュが匿われる部屋、映画後半の集会場所に使われるアパートの一室、マヌーシュの家、ヴァンチュール・リッチの家、ジョー・リッチのバー等々、いずれも『ギャング』に比べ随分装飾過剰な印象を受けました。
カラーである点ももちろん影響していると思われますが、『ギャング』のシンプルさの“凄み”をかえって感じてしまいましたね。
ただ、登場人物たちの衣装は良かったと思います。
なにより、ソフト帽やコートが似合っていたことが第一です。
どうしても、『ギャング』との比較では分が悪いのですが、全体的に、『ギャング』の簡潔さがかえって良く感じられ、『マルセイユ~』は、エピソードの点も含め、詰め込み過ぎ、あるいは過剰な点が気になりました。
『ギャング』の簡潔さから生じている力強さ、凝縮力のようなものは『マルセイユ~』には薄いように感じられたのです。
次回はキャストについて、書いてみたいと思います。
エドゥアール・モリナロ監督の『殺られる』(やられる)を国内盤DVDで観た感想です。
『DES FEMMES DISPARAISSENT』(59年)
監督:エドゥアール・モリナロ
原作:G・モリス・デュムラン
脚本:G・モリス・デュムラン
撮影:ロベール・ジュイヤール
音楽:アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ
出演:ロベール・オッセン、フィリップ・クレイ、マガリ・ノエル、エステラ・ブラン、ジャヌ・マルカン
この作品を観るのは今回で3回目ぐらいなのですが、何度観ても緊迫感のあるすごい映画だと思います。
若い女性(処女)を騙して売りつけようとする、人身売買をテーマとしながらも、カノジョを救おうとする男とギャングたちの息詰まる争いがなんとも面白く描かれている。
その内容も、深夜を舞台にしたいかにも暗めの映像も、モロ暗黒映画って感じなのですが、その出口の見えないようなドス暗さがある意味なんとも言えない魅力。
とりわけ殺し屋を演じるフィリップ・クレイの容姿と凄みに圧倒されます。
顔の長い、いわゆる馬ヅラの俳優ですが、ガムを噛んでニタニタ笑いながら、相手を攻める、あのしつこさ、ねちっこさ!
それでいて、どこかユーモアと余裕があるんですよね。
他の映画ではほとんど見かけたことのない俳優ですが、実に魅力的な悪役です。
主人公ピエール役のロベール・オッセンは、役柄のイメージにピッタリで演技も良かった。
その恋人役ベアトリスを演じたエステラ・ブランは、容姿も演技もなかなか魅力的ですが、あのジェラール・ブランの元妻で、後に自殺してしまったとのことです。
先日このブログで取り上げた『筋金を入れろ』にも出演していたマガリ・ノエルが、ギャングの妻役として登場、重要な役柄を演じています。
また、マガリ・ノエルの夫役や、ギャング集団のリーダーなど、ギャング役にいかにもそれらしいキャラが揃っています。
それと、この作品は、当時フランスでも絶大な人気を誇ったアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが音楽を担当していることでも有名な作品。
彼らの音楽はオープニングクレジット以外は、ほんのさわり程度しかかからないのが残念なのですが、ブレイキーのドラムだけでサスペンス感を盛り上げるところなどはさすが。
ちなみにメンバーも、リー・モーガン、ベニー・ゴルソン、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリットという全盛期のメンバーが揃っています。
また、『仁義』でアラン・ドロンに宝石店強盗を持ちかける看守を演じていたピエール・コレがフィリップ・クレイの仲間のギャング役で出演しています。
現在は廃盤となった国内盤DVD(IVC)で観ましたが、VHSの写しみたいな映像で、画質は良くないです。
是非、別のところからでも出し直して欲しいもの。
今月に入ってから珍しくブログの更新頻度が高くなっていますが、今月は映画を観る時間がたっぷり取れそうですので、これまでレビューを書いていなかった作品も含め、どんどん紹介していきたいと考えています。
できれば毎日…。
今回は、またまたジャン・ギャバンの主演作『筋金(ヤキ)を入れろ』(アンリ・ドコアン監督)をレンタルビデオで観た感想です。
『RAZZIA SUR LA CHNOUF』(55年)
監督:アンリ・ドコアン
原作:オーギュスト・ル・ブルトン
脚本:アンリ・ドコアン、モーリス・グリフ
撮影:ピエール・モンタゼル
音楽:マルク・ランジャン
出演:ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、アルベール・レミー、マルセル・ダリオ、リラ・ケドロヴァ、マガリ・ノエル、ピエール・ルイ、ポール・フランクール
先日このブログでも紹介した『シシリアン』同様、オーギュスト・ル・ブルトンの小説を映画化したもの。
ちなみに、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』は前年の54年製作であり、オーギュスト・ル・ブルトン原作、ジュールス・ダッシン監督の『男の争い』、オーギュスト・ル・ブルトン台詞、メルヴィル監督の『賭博師ボブ』はこの映画と同年の55年製作です。
この時期、この手のノワールものがいかに次々と作られていたか、また、原作者のオーギュスト・ル・ブルトンがこの頃いかに売れっ子作家であったのかもよく分かります。
そして、なんとオーギュスト・ル・ブルトンはこの『筋金を入れろ』に俳優としても出演しています。
映画中盤での賭博場でのシーン。
群集の中央に陣取って、帽子を被って爪楊枝らしきものを加えている眉の太い男が、原作者のオーギュスト・ル・ブルトンと言われています。
いやはや、俳優となってもおかしくないような貫禄と存在感です。
この映画は2度目の鑑賞。
よって、ネタバレは承知の上で観始めましたが、かえって、さまざまなプロットの仕掛けがよく分かり、面白かったです。
数多いフレンチ・ノワール作品の中でも傑作の部類に入る作品と思われ、早急な国内DVD化が期待される作品の一つです。
実際、これは生半可でない、本物の暗黒映画で、パリの暗黒街の麻薬取引の様子がこれでもかと描かれています。
ビデオの画質のせいも多少はあるかもしれませんが、照明も概して暗めで、実にフィルム・ノワールらしい深夜のムードが色濃く描写されています。
ジャン・ギャバンの役柄は、表向きはレストランの経営者ですが、本当はパリの麻薬取引の元締め。
得意とするギャング役だけに、文句のつけようのない演技と存在感です。
マガリ・ノエルが、ギャバンが経営するレストランのレジ係で、ギャバンの愛人役。
なんというか、彼女が出ているだけで50年代のフレンチ・ノワールの雰囲気を濃厚に感じさせます。
他に、麻薬中毒の中年女性を演じるリラ・ケドロヴァが怪演。
彼女とギャバンが深夜に次々とその手の怪しい店を廻る描写はセミドキュメンタリータッチでなんともいえない迫力があります。
この時代、ジャン・ギャバンとよく共演していたポール・フランクール(メルヴィルの『ギャング』にも刑事役で出演)が粗暴な刑事役で、いかにもそれらしい持ち味を出しています。
そういえば、バーでパクられる客の中には、マルセル・ボズフィも出ていました。
そして、前年の『現金に手を出すな』でデビューしたばかりのリノ・ヴァンチュラも、助演クラスのギャング役で出ていて、すでにギャバンに劣らぬ存在感を発揮しています。
ラストはあっと驚く顛末…。
『Rififi in Paris』(66年)
監督:ドニ・ド・ラ・パトリエール
原作:オーギュスト・ル・ブルトン
撮影:ワルテル・ウォティッツ
音楽:ジョルジュ・ガルヴァランツ
出演:ジャン・ギャバン、ジョージ・ラフト、クラウディオ・ブルック、ナディア・ティラー、ミレーユ・ダルク 、ゲルト・フレーベ
密輸絡みのやくざの争いを描いた国際スパイ・ギャング映画。
この作品でジャン・ギャバンは、やくざの親分役を演じています。
ジョージ・ラフトとの共演というのは、他にもあるのかどうか分かりませんが、どちらにせよ、二人の共演が観られる今作は実に貴重と言えましょう。
ジョージ・ラフトはさすがに往年の精彩は感じられませんが、『暗黒街の顔役』(32)でのトレードマークともいえるコイン投げを、この映画で一瞬ながら見られるのが嬉しいところ。
セルフ・パロディなんでしょうかね。
ギャバンとラフトの対峙するシーンは、ギャング映画が好きな方なら感涙モノのシーンではないでしょうか。
ゲルト・フレーベとナディア・ティラーの年の離れた夫婦が不思議な存在感。
途中、東京のシーンもありますが、空港の駐車場に鳥居があったりとか、高速道路のシーンなのに祭囃子がバックに流れていたりとか、芸者風の給仕がホテルの部屋にお茶を入れにきたりとか、少々日本への偏見が感じられ、変な感じです。(フランソワ・トリュフォー監督の『家庭』(70)を観ても、当時のフランス人の日本理解はそんなものだったのだろうと思いますが)
映画全篇のストーリーはなかなか面白い映画なのですが、どこか“ゆるい”といいますか、視点が拡がり過ぎでもう一つ締りがあれば、という印象もあります。
ギャング組織にスパイとなって潜り込むクラウディオ・ブルックがなかなかの存在感を示しますが、今一つ身のこなしに緊張感がなく、そのあたりのスリルをもう一つビシっと描いていれば、さらに面白い映画になったような気もしました。
ところで、ジョルジュ・ガルヴァランツのテーマ音楽が、どことなくあの『ペッパー警部』に似ている気がするのは私だけ?
『チャオ・パンタン』のDVDを購入、観ました。
『TCHAO PANTIN』(83年)
監督:クロード・ベリ
撮影:ブルーノ・ニュイッテン
美術:アレクサンドル・トローネル
音楽:シャルレリー・クチュール
出演:コリューシュ、リシャール・アンコニナ、アニエス・ソラル、フィリップ・レオタール
83年度のセザール賞5部門を獲得した、80年代フレンチ・ノワールの傑作と言われている作品です。
変わったタイトルの意味は「あばよ、操り人形」とのこと。
18区あたりのパリの下町を舞台に、ガソリンスタンドの夜間給油係をして働く中年男ランベールと、麻薬の売人をしている若者ベンスサンの友情を描いた作品です。
現在は紀伊国屋書店からDVDが発売されていますので、優れた画質で観ることができます。
腹の出たみずぼらしい中年男が主人公という、ノワールとしては一見変わった設定の作品ですが、それを演じるコリューシュがなかなかいいです。
コリューシュは人気コメディアンだったとのことですが、ここでは道化っぽさは微塵も無く、その佇まいや表情、空気感はノワールを決して裏切っていません。
若者二人を演じるリシャール・アンコニナ、アニエス・ソラルの二人も悪くないですが、フランス映画の渋いバイプレーヤーの一人、フィリップ・レオタールが特別出演し、いい味を出しています。
そして、名撮影監督ブルーノ・ニュイッテンによるブルートーンを生かした撮影による夜のパリの表情が見事です。
この映画を観て、私はすぐさま『仁義』におけるアンリ・ドカ撮影の映像を思い出しました。
もちろん、あの『天井桟敷の人々』(45)など、多くの名作映画を数多く手がけた巨匠アレクサンドル・トローネルによる美術の素晴らしさも映画の雰囲気作りを大いに魅力あるものにしています。
内容は、自らを語らない主人公の過去が、徐々に明らかになるストーリー展開が良く、また、登場人物も多くなく、余計な音楽も入らず、じっくりと浸れる作品です。
もっとも、女相手にベッドでの涙のモノローグは少々余計な感もありました…こういったノワールものには男の涙は似合わないと個人的には思っているので(笑)。
あと、ラストで女が部屋に物を取りに戻った瞬間に、その後の展開が分かっちゃうのはご愛嬌かな。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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