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この連載(?)の「その1」において、山田宏一著「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」に掲載されているアンリ・ドカのインタビューの一部を紹介しましたが、そのインタビューの全文が掲載された「キネマ旬報」をこのたび入手しました。
「アンリ・ドカエ氏 愛をこめて映画と自己についての総てを日本で語る」と題された、8ページにわたるそのインタビュー記事(フィルモグラフィー含む)は、山田宏一、中山章、白井佳夫各氏によるもので、ドカの話の内容は、メルヴィルとの関係、メルヴィルとドロンの関係、『太陽がいっぱい』や『大人は判ってくれない』など撮影を担当した作品の秘話、そしてカメラマンとしての理念哲学にまで及んでいます。
あまりに濃い内容なので、この記事を読んでからこの連載も始めるべきだったと後悔しているくらいです・・・。(左の写真はこの記事に掲載されていたものです)
実は、今回は『仁義』撮影時のドカとメルヴィルの“対立”について書き連ねる予定でしたが、その前に、ドカがどのような考えを持って映画の撮影に当たっていたカメラマンだったのかを理解することも重要だと思われますので、まずはこのインタビュー記事から、ドカのカメラマンとしての哲学を感じさせるいくつかの言葉を抜粋して紹介したいと思います。
ずっと長いあいだ、わたしは自分で直接カメラを回し、カドラージュ(映像構成)も、ライティング(照明)も、自分でやっていました。ジャン=ピエール・メルヴィルの映画の場合も、フランソワ・トリュフォの映画の場合も、もちろん、そうでした。
それから、わたしは、いわゆる撮影監督になったわけですが、フランス映画の場合は、たいてい、自分自身でカメラを回していました。ハリウッドでは役割の分担がはっきりしていますから、自分でカメラを回すようなことはありませんが。いずれにせよ、わたしにとっては、カメラを回すことも、カドラージュも、ライティングもすべてひとそろいであって、別々に切りはなすことはできないものです。だから、撮影スタッフは、原則として、いつも同じ気心の知れ合ったメンバーで構成しているのです。スタッフが外国人で、ことばがよく通じないと面倒ですね。ほんとうの共謀者になってもらえないのです。
――どんなきっかけで映画をやろうと思ったのですか?
子供のころ、毎週一回、両親が映画を見に連れて行ってくれたものですが、わたしは、あるドキュメンタリー映画のなかで、カメラマンが波に揺られて決死の撮影を行っている姿を見て、すっかり魅了されてしまった。あんなふうなことをやりたいと父親に言ったところ、「なにを言ってるんだ、おまえにできるわけがない」と一笑に付されてしまいました。この父親の一言が、わたしを逆に決意させましたね――よし、この仕事に一生を賭けてやろう、と。
(略)
カメラというのは演出の協力者にしかすぎないというのが、わたしの持論であり、心構えでもあるわけです。だから、カメラというのは、監督が真に個性的で独創的なアイデアをもたらしてくれたときにのみ生きることは、言うまでもありません。カメラは監督のアイデアをフィルムに具現化するわけですが、それにしても、その演出のアイデアがすばらしくなければ、映像もけっしてすばらしいものにはなりえないのです。
(略)
カメラマンの心得として最も重要なことは、まず、監督のやりかたを理解することだとわたしは思っています。
(略)
監督とカメラマンとのあいだの相互信頼がなければ、映画はうまくいきっこない。ともかく、撮影する側としては、監督の絶対的信頼を獲得すると同時に、監督の気質や傾向を理解することが先決ですね。監督によっては、構図ばかり異常に凝るひともいます。人間も物と同じようにあつかって、ただひたすら構図だけを完璧にしようとする。そんな場合には、わたしは、人物にいきいきとした存在感をあたえるために、照明をうまくつかって、監督の求める構図をなるべく作り出すように努力します。また、構図なんかにはまったく無頓着な監督もいます。メルヴィルなんかはどちらかと言うと、そうでしたね。これはかなり面倒なケースでしたね。いずれにせよ、撮影監督というのは、演出家の協力者なのですから、あくまでも、監督の演出の意図を見ぬき、いかにその映像化を助けるかということに、カメラのよさが出るのだと思います。演出ぬきの映像というのは、映画では考えられないものだと思いますね。
――あなたのカメラが作品に、あるいはむしろ演出に、影響をあたえたとは思いませんか?
思いませんね。第一、カメラマンが映画に影響をあたえる、方向をあたえるなんてことは邪道ですからね。カメラは、あくまでも、演出に従属すべきものです。演出をみちびくなんて、傲慢すぎる考えです。カメラだけが自己主張している映画に、いい作品があったためしがない。カメラは、演出のまえを突っ走るものではなく、そのあとを追ってゆくべきものです。わたしが思うに、カメラはつねに演出のかげに消滅すべきものです。監督のアイデアを、わたしたち技術者が、その意図になるべく近く実現する。カメラマンとしてのスタイルやヴィジョンを映画に主張するのではなく、監督の意図にできるだけ徹底的に隷属することによって、映画そのものを作り上げていくことこそ、テクニシアンとしての最大のよろこびなのです。
以上、引用 ~ キネマ旬報 1976年四月上旬春の特別号 NO.680「アンリ・ドカエ氏 愛をこめて映画と自己についての総てを日本で語る」より ~
アンリ・ドカ、このインタビューの時点で御歳60歳、すでに60作にわたる映画の撮影を経験していた“フランス最高額のキャメラマン”(ルイ・マル談)としては、なんと謙虚な言葉の数々でしょう。
話している内容に実に説得力があり、最後の方なんて、ちょっと感動的なほどです。
自らの役割に黙々と徹した、一人の技術者の姿をここに見ることができます。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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