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『降っても晴れても』という邦題は直訳過ぎるせいかどうもピンとこないが、この曲が入っているだけでそのCDが欲しくなったりする。
実際、名曲だけに多くの名歌手に歌われており、インストのものも含め名演奏は枚挙に暇がない。
ヴォーカルものだと、古くはビリー・ホリデイのヴァーヴ盤、フランク・シナトラのリプリーズ盤、レイ・チャールズの録音、近年伝記映画が公開され話題となったモニカ・ゼッタールンドとビル・エヴァンス・トリオの録音などが強く印象に残っているし、近年ではノラ・ジョーンズがウィントン・マルサリス他と共演したものや、B.B. キングとエリック・クラプトンのデュエットも好きだ。
歌抜きのジャズ・ヴァージョンとなると、アート・ペッパーのアルバム『インテンシティ』における録音も良いのだが、やはりビル・エヴァンス・トリオの『ポートレイト・イン・ジャズ』の1曲目に収録されたヴァージョンだろうか。
終わり方がまたなんとも素晴らしいのである。
どれを紹介するか迷いに迷ったが、やはりシナトラのものにしよう。
ストリングスとビッグ・バンドが合奏する間奏も感動的だが、歌詞を見ながらシナトラのスケールの大きな歌を聴くと、これが史上最高のラヴ・ソングの一つであることが確認できるからだ。
私は中島みゆきが前回紅白に出た時に観ていないから、中島みゆきがテレビで歌っている姿を観ること自体ほとんど初めてと言ってよかった。
その昔、私は中島みゆきのファンであった。
といっても70年代後半から84年くらいまでの短い間だが、当時は中島みゆきがテレビの歌番組に出るなんて有り得ない出来事だったのだ。
中島みゆきで好きなアルバムは『愛していると云ってくれ』(78年)、『親愛なる者へ』(79年)、『臨月』(81年)の3枚。
しかしその後、『寒水魚』(82年)、『予感』(83年)、『はじめまして』(84年)と聴いていって彼女の歌への興味を失った。
それ以後のアルバムは一枚も聴いていない。
もちろん、シングルも。
彼女はずっと活躍していたから、何かの拍子に歌が耳に入ることはあったが、良いと思った記憶すらない。
どうしてここまで彼女の歌への興味を失ってしまったのか、今となっては自分でも不思議でならないのだが、82年から84年に発表された上記の3枚のアルバムの内容が、私の好みとはどんどん違う方向へと進んでいったことは確かだ。
『寒水魚』はバカ売れし世間的にも絶賛されていたが、私にはそれ以前のアルバムと比べるとさして良いとは思えなかったし、『予感』を聴いた時には明らかにそれまでの中島みゆきとは違う方向に彼女が向かっているのを感じた。
そして、『はじめまして』を聴いた時、もはやこれまで、と思い、今後彼女のアルバムは買わないと固く決意した。
それから30年、確かに一枚のアルバムも買っていないから、我ながらよほど固い決意だったと見える。
中島みゆきの歌が私の好みとどう違っていったのか?
それを考える余裕は今はないので割愛。
今回の主題は彼女の膨大な作品の中から偏愛の一曲を紹介することだ。
私にとって、彼女の数多い名曲の中から際立った何曲かを選ぶことはそれほど難しい作業ではない。
●『ひとり上手』(シングル曲。アルバム『臨月』収録)
●『化粧』(アルバム『愛していると云ってくれ』収録)
●『タクシードライバー』(アルバム『親愛なる者へ』収録)
●『狼になりたい』(アルバム『親愛なる者へ』収録)
あたりに絞られるが、1曲となるとやはり『ひとり上手』を選ぶ。
中島みゆきを知ったのは多聞に漏れず『わかれうた』(77年)であった。
そこから数年の間に『おもいで河』、『りばいばる』、『かなしみ笑い』と怒涛の名曲シングルラッシュが私を襲った。
もちろん、遡って『時代』も聴いた。
そんな中、ダメ押しの如くリリースされたシングルが『ひとり上手』(1980年10月21日発売)だった。
この曲の衝撃といったらなかった。
完璧なメロディ、完璧な歌詞世界、完璧なアレンジ、完璧なヴォーカル・・・このような完璧な曲がこの世に存在すること自体奇跡のように思われた。
小犬を抱えた彼女の姿を捉えたドーナッツ盤のジャケットに至るまで、ビジュアルも含めた世界観の表現は今見ても全く見事という他ない。
その衝撃の強さは、30年以上前に初めてラジオで聴いた頃の空気感を今でも心に鮮明に呼び起こすほどだ。
それから中島みゆきの音楽から離れた私だが、実は『ひとり上手』はずっとカラオケの定番レパートリーだった。
何度聴いても、何度歌っても感動する、まさに究極の偏愛の一曲である。
彼の『港亭』、そして『ヘイ・ダーリン』はまさしく偏愛の一曲(二曲)だった。
この2曲が収録されたアルバム『Y.O.K.O.H.A.M.A.』はまさに永遠の名盤である。(もちろん他の曲も素晴らしい)
『港亭』
『ヘイ・ダーリン』
シルヴィ・バルタンは最近全然聴いていないが、彼女の歌ではこれが一番好きだ。
以前もこのブログで同じようなことを書いたように、私は『ビューティフル・ラヴ』という曲を世で最も美しい音楽の一つだと感じている。
中でもビル・エヴァンスほど『ビューティフル・ラヴ』を演奏するに相応しいアーティストはいないだろう。
おそらく、ビル・エヴァンスは『ビューティフル・ラヴ』を演奏することによって自身のイメージが余計に美化?されたし、『ビューティフル・ラヴ』はエヴァンスに演奏されることによって曲のイメージやステイタス?が上がったのだ。
ある意味、理想的な共犯関係がここに成立したというわけだ。
さて、一般的に知られているエヴァンスの『ビューティフル・ラヴ』といえばアルバム『エクスプロレイションズ』(61)に収録されたスタジオ録音である(二種のヴァージョンあり)。
スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)と組んだトリオによる、いわゆる“リバーサイド四部作”の中の一枚だから演奏も悪かろうはずがない。
私がエヴァンスの『ビューティフル・ラヴ』を初めて聴いたのももちろんこのアルバムの演奏であった。
しかし、今聴き返してみれば、どことなく物足りなさというか、生ぬるさを感じてしまうのも確かである。
というのも、今から15年くらい前にたまたま購入したCDで73年6月24日ブエノスアイレスでのエヴァンスのライヴ音源を聴いて、この曲にもっと凄い演奏が存在することを思い知ったからだ。
実際、この曲のエヴァンスのライヴ録音は意外なほど少ないが、ブエノスアイレスでのライヴを聴いてしまったら、もうスタジオ録音には戻れない…それくらい、これは最高の演奏なのである。
とにかくこのライヴにおけるエヴァンス、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)のトリオの演奏は凄い。
時間にして12分を超える演奏だが、とりわけ曲の後半のマーティ・モレルとエヴァンスの掛け合いの凄まじさは圧巻。
二人の壮絶な掛け合いの後に現れるこの曲のテーマは、ある種崇高にすら響く。
オフィシャルではリリースされていない音源なので、ブートレグまがいのCDでしかこの演奏は聴けないが、録音状態は決して悪くないので、いつの日かオフィシャルでもリリースされる日が来るのではないかと期待しているのだが。
ちなみに、私が所有するCDでは『In Buenos Aires Vol.3』『My Foolish Heart』の二枚にこの音源は収録されている。
残念ながら、この音源はユーチューブにアップされていないので、代わりに65年のニールス・ペデルセン(b)、アラン・ドーソン(ds)とのベルリン・ライヴを紹介。
時間こそ短めだが、これも優れた演奏であることには変わりないし(共演者の技術ではおそらくこちらが上)、共演の二人の動く姿が見られるだけでも感激。
とりわけ、あのトニー・ウィリアムスの師匠であるアラン・ドーソンのあまりにも軽やかなスティックさばきには目が釘付けになってしまう。
ユーチューブを使って我が偏愛の一曲をご紹介します。
今回紹介するのはジェフ・バックリィ Jeff Buckley『Lover, You Should`ve Come Over』
ジェフ・バックリィ(1966~97)は90年代の奇跡だ。
その歌声の素晴らしさ、楽曲のレベルの高さ、バックバンドのサウンドとの一体感。
そして、その時代の流行とは全く無関係な音楽性。
当時、私は同時代のアーティストにはほとんど興味を失っていたが、彼は数少ない例外の一人だった。
とはいっても、私が彼を知った時には既に彼はこの世の人ではなかったのだが。
ほとんど一枚のアルバムのみを残してこの世を旅立ったが、残されたアルバム『グレース Grace』は信じられないほど素晴らしい内容であった。
世に言われるロックの名盤群に比肩する永遠の名盤といってよいであろう。
アルバムすべての楽曲が印象的なので、どれか一曲を選ぶのは極めて困難である。
一般的には『ハレルヤ HALLELUJAH』が挙げられることの方が多いかもしれない。
が、私はどれか一曲と言われたら『Lover, You Should`ve Come Over』を選ぶ。
とにかく、この曲はあまりにも感動的である…。
ユーチューブを使って我が偏愛の一曲をご紹介します。
今回紹介するのはセルジュ・ゲンズブール Serge Gainsbourg『プレヴェールに捧ぐ La Chanson de Prevert』(61年)
この間シャルロット・ゲンズブールのライヴに行ってみて、これまであえて避けていたと思われた父セルジュの曲も演奏されたことに驚くとともに、考えてみれば当然という思いが湧き上がったことも事実だった。
セルジュ・ゲンズブール(1928~1991)は彼女の父であると同時にフランス音楽界に偉大な足跡を残した巨人であったわけで、その楽曲を拒絶する方がかえって不自然だと思われるからだ。(右画像は2007年にモンパルナス墓地で撮影したセルジュ・ゲンズブールのお墓)
個人的にはセルジュの初期の作品に特に惹かれるが、中でもゲンズブール三大名曲というのが個人的にはあって、それは今回取り上げる『プレヴェールに捧ぐ』、ブリジット・バルドーとデュエットした『ボニー&クライド』、アンナ・カリーナとデュエットした『何も言うな』の三曲。
なぜかデュエット曲が2曲も入ってしまっているが、セルジュという人は他人のために書いた曲に名曲が実に多い。
他にもフランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、そして言うまでもなくジェーン・バーキン等々…。
自分のために書いた曲よりもむしろ力が入っているのではと思わせるところがあるくらいだ。
ジェーン・バーキンとのデュエットで有名なあの『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(68年)はもともとブリジット・バルドーのために書かれた曲だったし、アンナ・カリーナには映画『アンナ』(66年)のために12曲も書いたという。(こんなにたくさんの曲を一度に書いたことはないと当時セルジュ自身が証言している)
今回取り上げる『プレヴェールに捧ぐ』もジュリエット・グレコのために書かれたという説もある。
さて、そのアンナ・カリーナとのデュエット『何も言うな』については以前もこのブログで取り上げた。(リンク)
バルドーとのデュエット『ボニー&クライド』は、とりわけサウンド、アレンジの魅力が筆舌に尽くしがたく、バルドーのヴォーカルとのラフな絡みもたまらない。
聴く度にこんなカッコいい曲が世の中にあるかと思うくらいだ。
ただ三曲の中でダントツに好きなのはやはり『プレヴェールに捧ぐ』。
ジャック・プレヴェール(作詞)&ジョゼフ・コズマ(作曲)による名曲『枯葉』について歌われた曲だが、この曲ほどセルジュの素晴らしい声の魅力をダイレクトに伝えてくれる曲は他にないのではなかろうか。
そう、セルジュの最大の魅力は、魅惑的で色気のある、あの声である。
この曲はメロディも見事としかいいようがないし、伴奏のギターがあまりにも素晴らしい。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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