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前回からの続きです。

●プッチーニ『ラ・ボエーム』トスカニーニ指揮NBC交響楽団、アルバネーゼ(ソプラノ)、ピアーズ(テノール)(46年)

トスカニーニと『ボエーム』、いや、トスカニーニとプッチーニ自体、水と油の取り合わせのように感じられるかもしれないが、実はトスカニーニは『ボエーム』の初演の指揮者であった。
だからなのか、『ボエーム』という作品に対する愛情、思い入れは尋常ではなかったようだ。
そのことはこの演奏を聴けばよくわかるし、この指揮者に対するイメージも変わるのではないだろうか。

トスカニーニのオペラ録音というと、どうしても晩年のヴェルディのオペラ録音のイメージが強いが、ハッキリ言ってほとんどがつまらない。(唯一『オテロ』は好きだが)
さすがのトスカニーニも晩年は衰えを隠せなかったようだ。
特に1950年前後からは硬い響き、融通の利かないリズムになり、直情径行的な、いわゆる一般的なトスカニーニのイメージに近い演奏スタイルになってしまった。
ヴェルディのオペラの録音がその時期に行われたのは残念である。

それに比べ、この46年に録音された『ボエーム』は、溌溂としたリズム、呼吸感、しなやかなカンタービレなど、これぞトスカニーニのイタリア・オペラという名録音である。(実際、録音もいい)
アルバネーゼジャン・ピアーズというトスカニーニ好みのキャストも、この演奏には収まりが良く、不満が少ない。




●シューベルト『交響曲第8番 未完成』ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(60年)

昔のクラシックLPが『運命』『未完成』というカップリングでよく売られていたように、『未完成』という作品は、いわゆるポピュラー名曲的な立ち位置で、中学や高校の音楽の時間に聞かされることも多いだろう。
しかし、ちゃんと聴いてみると、こんな恐ろしい音楽は滅多にないことに気づかされる。
こんな曲を子供に聴かせていいのだろうか、と本気で思ってしまう。
この曲に描かれている世界は、一言で言えば、人間の絶望的なまでの孤独と諦念である。
およそ、未来のある若者に聴かせるべき類の音楽とは思われない。
ただ、そんじょそこらの演奏ではそのあたりの本質を感じ取ることが難しい。

ここに取り上げたCDは、ワルターが60年にウィーン・フィルを最後に振った時のライヴ盤だが、私もこの演奏を聴いて初めてこの曲の真価を知った。(私は昔出ていたAS DISCというレーベルのCDで聴いている)
ワルターも心臓の病気をした後で死を間近にした時期だが(62年に死去)、そういった中でこのような名演奏を残すところなど、さすがに大指揮者だと思う。




●シューベルト『弦楽四重奏曲第15番』ギドン・クレーメル、ダニエル・フィリップス、キム・カシュカシアン、ヨーヨー・マ(85年)

今回の企画で取り上げたCDはシューベルトが多いが、それも仕方ない。
大学生の頃の”シューベルト体験”があまりにも強烈だったからだ。

恥ずかしい話だが、その頃私は手痛い失恋をした。
そんな時、魔の手(?)を伸ばしてきたのがシューベルトだったのだ。

『未完成』、『弦楽四重奏曲第15番』、『ピアノ・ソナタ』(『第13番』~『第21番』)、『即興曲集』、『楽興の時』、『弦楽五重奏曲』、『八重奏曲』、『ピアノ三重奏曲第2番』、『幻想曲』(ヴァイオリンとピアノ、四手のピアノの二種)、『冬の旅』、『白鳥の歌』・・・そこにはとんでもなく暗く深い音楽の淵が存在していた。
しかも、それは恐ろしいほど美しい。
私はあっけなくシューベルトの泥沼にはまってしまったのである・・・。

今思えば、その音楽は失恋の痛手を和らげるどころか、一層重く苦しいものにしたのだ。
そこから這い上がって生還するまでにはかなりの時間がかかった。(時にブルックナーが心を慰めてくれた)
シューベルトのそれらの作品を今聴くのは勇気がいる。
一種のトラウマのようになっており、あの頃の暗かった自分に再び会うような感覚をおぼえるからだ。

学生の頃に音楽鑑賞サークルに所属していたことは以前書いたが、3年の頃だったか、他大学の同種サークルの方々を自分の大学に招き、学生会館を借りてレコードコンサートを催したことがある。
私の大学から、私も含め数人が自分の好きなCDを持ち寄り、レジュメも作って音楽の魅力を解説しながらCDをかけるわけだが、よりによって私はこのCD(シューベルト『弦楽四重奏曲第15番』)を選んだ。
私が主催サークルの幹事長だったこともありトリを任されたのであるが、私の順番が回ってきた頃にはすでに数時間が経過しており、その頃にはマーラーやらバルトークやらショスタコーヴィチやらの洪水を浴びた参加者たちは皆疲れ切っていた(笑)。

終楽章までかけるのはあまりにも参加者の皆さんがお気の毒だったので、第1楽章と第2楽章のみかけたのだが、第2楽章が終わった時にその場に居た皆さんの”やっと終わったー”というようなため息が会場に漏れたことを昨日のことのように思い出す。(第2楽章までかけても30分は優に超えたのである)
お口直しにクリフォード・カーゾンの弾いたシューベルト『即興曲』作品142-2とエリーザベト・シューマンの歌うシューベルトの歌曲を2,3曲掛けたが、お口直しになったのかどうか。
今となっては、主催者代表として、来ていただいた皆様には申し訳ないことをしたと思う。

その後の懇親会と称す飲み会で(実はこっちの方がメイン)、何人かの他大学生に”今日のシューベルト良かったっスよ!”というような声を掛けられたのは救いではあった。
しかし、シューベルトが良かったというよりも、爆音のマーラーやバルトークよりはマシだったという意味なのだろうな、と解釈した。

ただ、私がシューベルトのCDをかけている間、私の方を熱い(?)視線でじっと眺めている他大学の女性が一人いたが、あれは何だったのだろうか?
飲み会の席で確認しようとしたが、いろいろと邪魔が入った(笑)。
青春の苦い思い出の一つである・・・。



続きます。
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前回からの続きです。

●モーツァルト『ピアノ協奏曲全集』シフ(ピアノ)、ヴェーグ指揮モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(87~93年)

若い頃はモーツァルトはあまり好きではなかった。
シンプル過ぎてどうにも心に引っかかってこなかったのである。
ところが、不思議なことに最近はそのシンプルなところが好きになってきた。
歳を取ったということなのだろう・・・。

実際のところ、モーツァルトくらい判断の難しい作曲家もいない。
好きな作品も多いが、正直なところ、つまらなく感じる作品も結構ある。
ピアノ協奏曲』はモーツァルトでは昔からよく聴くジャンルだが、このCDはヴェーグ指揮のオーケストラの柔らかい響きが例えようもないくらい素晴らしい。
それでいて躍動感もあり、こう言ってはなんだが、オーケストラを聴いているだけで充分満足である。
これに加え、シフのような作為のないピアニストはモーツァルトにピッタリである。
いや、皮肉ではなく本当に。



プッチーニ『トスカ』ミトロプーロス指揮メトロポリタン歌劇場、テバルディ(ソプラノ)、タッカー(テノール)、ウォーレン(バリトン)(56年)

さて、ようやくオペラの登場。
最近は聴くのはもっぱらイタリア・オペラであるから、オペラに関してはいずれ何か書きたいと思っていたが、いつ書けるかどうか分からないので、この企画に便乗して書くことにする。
ただ、イタリア・オペラといっても、ドニゼッティロッシーニベルリーニといったところはほとんど聴かない。(ベルリーニに興味はあるが)
なかんづくヴェルディプッチーニになってしまう。

思えば、大学の音楽鑑賞サークルにいた頃はそれほどイタリア・オペラを熱心に聴いていたというわけではない。
当時、好きな作曲家はシューベルトワーグナーブルックナーと、ドイツ・ロマン派べったりであり、周りにもそれほどイタリア・オペラ好きは多くなかった。

ただし、いくつか印象に残る出来事はあった。

そのサークルは、私の入学前にオペラ演出家の故三谷礼二氏(1934-1991)関連のコンサートを企画、主催したりして三谷氏と親交があった。
私自身は三谷氏とは一度コンサート会場で大勢の中の一人として挨拶した程度で、最初はどんな人かも知らなかったが、氏と交わりのあったサークルの先輩方には氏の趣向、言説は大変強い影響を及ぼしたようである。(現在音楽評論家としてご活躍のY氏もその一人のようだ)

三谷氏はイタリアのソプラノ歌手レナータ・スコットの大のご贔屓だったので、結果、その影響を受けた諸先輩のお勧めで私もスコットを聴くことになった。(三谷氏は一方でお気に召さない歌手、演奏家はケチョンケチョンに貶していた。興味ある方は氏の著書を読まれたし)

中でも三谷氏ご推薦のスコットの64年ボリショイでのリサイタル盤を諸先輩はほとんど”神盤”として崇め奉っていたので、当然私もそれを聴いた。
しかし、確かに高音の声の輝きと歌唱テクニックは物凄いものの、声の響きがどうも私好みでなく、好きになるとまではいかなかった。
今聴くと(YouTubeで聴ける)、高音やテクニック以外にも歌の呼吸、リズム感など確かに凄いと思うが、当時はそこまで分からなかったのだ。

また、私が『蝶々夫人』のCDは何を買ったら良いかとある先輩に尋ねたら、「それはスコットが蝶々さんを歌っているバルビローリ盤ですよ」ということになり、先輩の勧めに従ってそれを買い求めた。
しかし、それもどうもピンとこなかった。(『蝶々夫人』というオペラ自体、今もって少々苦手である)

80年代の後半、世はスコットのライバルたるミレッラ・フレーニの全盛期?で、オペラのCDは、出るCD、出るCD、皆フレーニ(とドミンゴ)が主役を歌っているような状況だった。
フレーニが蝶々さんを歌ったカラヤン盤はすでに高い評価を得ていたから、カラヤン盤にすれば良かったかなと心の底では思っていたが、サークル内ではカラヤンとかフレーニを聴いているとは口が裂けても(?)言えない状況だった。
実際、私もそこまでフレーニが好きだったわけではないので実害はなかったが・・・。

さて、ようやく本題に入る(笑)。
今回紹介するCD『トスカ』のタイトルロールを歌っているレナータ・テバルディ(1922~2004)は20年以上前から我が最愛の歌手

好きになったきっかけは、93年頃に『ボエーム』のライヴ盤(65年メト、クレヴァ指揮、コレルリ共演)を聴いてからなので、大学を卒業した後である。
それまでも『ボエーム』(セラフィン指揮)、『オテロ』、『アイーダ』(共にカラヤン指揮)といったスタジオ録音の”名盤”で彼女の声を聴いていたが、特別好きだったわけではない。というか、あまり意識して聴いていなかった。

一方で、メトの『ボエーム』は、客席で隠し録りしたような海賊盤まがいの音質だったが、テバルディの声がそれまで聴いていたスタジオ録音の声とはどこか違って聴こえた(良い意味で)。
今聴けば、絶頂期はとっくに過ぎているだけに、彼女としては本調子の声ではないのだが、ライヴならではの芝居っ気と声の響きの良さのためだろうか、突然彼女の声の魅力に目覚めてしまったのである。
そうこうしているうち、ここに取り上げた『トスカ』のライヴ盤を聴いて、本格的に彼女のファンになったのだ。

テバルディは戦後イタリアを代表するプリマだけに、トスカニーニに天使の声と評された(諸説あり)類稀な美声と、どんな状況でも損なわれることのない気品、そして、テクストに忠実なきめ細やかな表現力等、優れた要素は多々あるが、やはり、その歌声の得も言われぬ生理的快感が理屈を超えた魅力である。

声質としては真正のリリコ・スピントであり、あのデル・モナコやコレルリ、ビョルリンク、ディ・ステファノ、バスティアニーニ、ゴッビ、シエピら、同時代の強力な男性歌手たちに負けないくらい強靭でスケールの大きな声の持ち主だった。
それでいて、その声にはあくまでも女性らしいしなやかさ、暖かさが欠けていなかった。

残された写真や舞台のDVD、インタビュー映像を見る限り、意外にも(?)プリマドンナ然としていない穏やかで愛想の良い人だったようで(数多くの舞台と録音を共演したデル・モナコもそのようなことを言っていたと記憶)、その人間性も魅力の一つである。

彼女は正規レコーディング(デッカ)にも恵まれたが、スタジオ盤とは異なる、ストレートな声の魅力とスリリングな表現力が味わえるライヴ盤はどれもファンには聴き逃せないものばかり。
私も、未だ道半ばだが、ライヴ盤を見つけてはせっせと買い揃えている。
そんな歌手は彼女ぐらいである。

テバルディが歌った『トスカ』は2種のスタジオ録音の他に数種類のライヴ録音が世に出ているが、どれか一つと問われたら、迷うことなくこのミトロプーロス指揮メトロポリタン歌劇場のライヴ盤を選ぶ。(昔からいろいろなレーベルから発売されているようだが、私は伊Cetra盤で聴いている。録音状態は良好)

とにかく、ここでのテバルディは何があったのだろうと思うくらい凄い。
声は絶好調で朗々と響き渡り、ところどころで聞かれる激しい表現には驚くばかり。
スタジオ録音のテバルディしか知らない人には、これがあのテバルディとは思えないのではないか。
これを聴いてしまうと、同じ『トスカ』でも有名なスタジオ盤(59)や日本公演のライヴ(61)がテバルディとしては平凡な出来に聞こえてしまうのは致し方ない。

ギリシャ出身の指揮者ミトロプーロスは意外とイタリア・オペラとの相性が良く、いくつかの名演奏がCDとなって残っているが、特にこの『トスカ』は持ち前のドラマティックな鋭さが、プッチーニのエグい音楽にはまっており素晴らしい。
ドラマティックな迫力という面ではガヴァッツェーニもなかなかだが(58年、59年のテバルディとの『トスカ』がある)、リズムが重いのが難点。

ここに取り上げた56年メトの『トスカ』はタッカーウォーレンという共演陣も魅力的で、特にタッカーが素晴らしい。(ウォーレンはもう少しアクの強い役作りでも良いだろう)
とかく日本では往年のメトの名歌手たちを評価しない傾向がある(あった)が、実にもったいない話である。
前回からの続きです。

●ブラームス『ドイツ・レクイエム』クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、フィッシャー=ディースカウ(br)、シュヴァルツコップ(s)(61年)

いろいろなジャンルのベスト10とか20とかいっても、私にとってクラシック音楽の範疇を超えて永遠のベストワンはこれである。
それはもう30年変わらない。
ブラームスは作曲家としては特に好きではないが、この曲だけは特別。



ブルックナー『交響曲第8番』クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(61年)

大学生の頃、ブルックナーに熱中した。
ただ、時期が80年代後半だったので、朝比奈やチェリビダッケ、ヴァントらの90年代ブルックナー・ブームが本格的に訪れる前だったのは良かったのか悪かったのか・・・。
90年にチェリビダッケがミュンヘン・フィルと来日した際、私は8番をオーチャードホールで聴いた。
本当に楽しみにしていた公演だったのだが、あまりにテンポの遅いアダージョの途中で私はウトウト眠ってしまった。
今思えば、それがブルックナーから離れるきっかけの一つだったような気がしてならない。

それはともかく、ブルックナーでどれか一曲と言ったらやはり8番だが、クナのミュンヘン・フィル盤とベルリン・フィル盤、セル・クリーヴランド盤、マタチッチ・N響盤、ジュリーニ・ウィーン・フィル盤と名盤が揃っているのでどれを選ぶか迷う。

この中で演奏として最も完成度の高いのはおそらくセル盤で、第一楽章から第三楽章まではブルックナーのツボを押さえた完璧な出来栄えだが、なぜか第四楽章だけテンションがガクンと下がるのが本当に残念。
そんなわけで、ここでは一番思い出深いクナのミュンヘン・フィル盤を挙げることにする。
初めて8番を聴いたのがこれのLPだったのだから古い付き合いだ。

ブルックナーの他に好きなCDとして、2番(朝比奈)、5番(シューリヒト、ケンペ)、7番(ベーム)、9番(シューリヒト、クレンペラー)を挙げておく。
ただし、最近はブルックナーを聴く機会は全くと言っていいくらいない。
当時、あまりに聴き過ぎたのだと思う・・・。



●ドビュッシー『弦楽四重奏曲』カペー弦楽四重奏団(28年)

ドビュッシーは大好きな作曲家だが、この曲だけを挙げるのはちょっと変わっているかもしれない。
もちろん、『牧神』、『前奏曲第一巻』、『ヴァイオリン・ソナタ』、『ペレアス』、『歌曲』と好きな曲は他にもあるが、ダントツに好きなのはこの『弦楽四重奏曲』なのである。
本当にいろいろな演奏を聴いたが、やはりカペーの壁は厚い。
第1楽章のコーダの部分など神業だし、第3楽章など、もはや音楽を超えた別の何物かであるかのように響く。



●フォーレ『ピアノ四重奏曲第一番、第二番・ピアノ五重奏曲第一番、第二番』ユボー(ピアノ)、ヴィア・ノヴァ弦楽四重奏団(69,70年)

フォーレも大好きな作曲家。
有名な『レクイエム』も好きだが、本領が聴けるのは室内楽作品歌曲で、渋い作品ばかりだが、いずれも素晴らしい内容。
中でも、この4曲はいずれもどれがどうと言えないくらいの高みに達しており、順位は付けられない。
これも多くの演奏を聴いたが、最初に聴いたユボー盤を超えるものは結局見つけられなかった。
演奏技術的にこの演奏を超えるものはたくさんあるが、この雰囲気、味わいはどこにも出せない。


続きます。
自己紹介の欄に、趣味としてジャズを挙げているが、実は最近聴く機会がほとんどない。
むしろ、最近はクラシック音楽、ことにイタリア・オペラを聴く機会が圧倒的に多い。
これまでjazzアルバムベスト20私の好きなロックアルバムベスト11枚を選んできたので、ここで一つ私の好きなクラシックベスト20を選んでみようと思う。

ただし、私がクラシック音楽をちゃんと聴いていた時期は主に80年代の半ばから90年代の前半にかけて、時期としては高校から大学、そして就職したあたりまでだから、選ばれるものはほとんどがその時期に聴いていたものになりそうだ。
(基本的に作曲家のアルファベット順で順位はありません)



●バッハ『イギリス組曲全曲』ヴェデルニコフ(ピアノ)
●ベートーヴェン『交響曲全集』トスカニーニ指揮NBC交響楽団
●ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第14番』カペー弦楽四重奏団
●ベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
●ブラームス『ドイツ・レクイエム』クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

●ブルックナー『交響曲第8番』クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル
●ドビュッシー『弦楽四重奏曲』カペー弦楽四重奏団
●フォーレ『ピアノ四重奏曲・ピアノ五重奏曲』ユボー(ピアノ)、ヴィアノヴァ弦楽四重奏団
●モーツァルト『ピアノ協奏曲全曲』シフ(ピアノ)、ヴェーグ指揮モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ
●プッチーニ『トスカ』ミトロプーロス指揮メトロポリタン歌劇場、テバルディ(ソプラノ)

●プッチーニ『ラ・ボエーム』トスカニーニ指揮NBC交響楽団、アルバネーゼ(ソプラノ)
●シューベルト『交響曲第8番 未完成』ワルター指揮ウィーン・フィル
●シューベルト『弦楽四重奏曲第15番』クレーメル、カシュカシアン、ヨーヨーマ他
●シューベルト『ピアノ・ソナタ第21番』アファナシエフ(ピアノ)
●シューベルト『冬の旅』フィッシャー・ディースカウ(バリトン)、ムーア(ピアノ)

●ショスタコーヴィチ『ヴァイオリン協奏曲第1番』オイストラフ(ヴァイオリン)、ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル
●シベリウス『交響曲第7番』ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル
●ヴェルディ『ドン・カルロ』ショルティ指揮コヴェント・ガーデン歌劇場、テバルディ、ベルゴンツィ
●ワーグナー『神々のたそがれ』ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団、ニルソン、ヴィントガッセン
●ヴォルフ『歌曲集』フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、ムーア(ピアノ)



とりあえず、の選択である。
今後紹介していく過程で変わる可能性は十分ある(笑)。
一応、上から順に一枚一枚のCDを簡単に紹介していこうと思う。
今回はとりあえずアタマの4枚のCDをご紹介。

バッハ『イギリス組曲全曲』ヴェデルニコフ(p)(62年)

アナトリー・ヴェデルニコフはロシアのピアニスト。(1920~1993)
長らく幻の存在であったが、没後の1994年にまとまった録音が日本でもデンオンから発売された。
その際に数多く発売されたCDの中にバッハ・アルバムが一枚あったが、その中に『イギリス組曲第6番』が収録されていた。
これが信じられないくらい素晴らしい演奏だったので、その後にここで紹介する『イギリス組曲全曲』が発売された時には飛びついた。

バッハをピアノで弾くと言えば、なんといってもグレン・グールドが有名で、もちろん私も好きだが、このヴェデルニコフの演奏を聴いた瞬間、グールドはどこかに吹っ飛んだ。
バッハにせよ、ピアノにせよ、こんな感動的な演奏はめったに聴けるものではない。
たった一台のピアノが鳴っているだけなのに、どうしてこんなに聴く人の心に響くのだろう。
特に第2番第6番はすごい。
残念ながらこのCDは現在廃盤だが、たまに中古盤屋で見かけるので機会があれば是非。



●ベートーヴェン交響曲全集 トスカニーニ指揮NBC交響楽団(39年)

私の最も敬愛する指揮者はトスカニーニである。
トスカニーニのベートーヴェン・チクルスとしては晩年にRCAに残した正規録音が有名だが、ここに挙げたのは39年に行われた伝説的なベートーヴェン・チクルスのもの。
当然音質は古いが、音楽の推進力といい、リズムの切れといい、旋律の歌わせ方といい、聴き手をガッチリ捉えて離さないのは明らかにこちらの方。
昔からいろいろなレーベルで復刻されているが、近年ミュージック&アーツから復刻されたBOXが音が良くておすすめ。
ちなみに、トスカニーニ晩年の『英雄』では53年のものばかり再発されているが、49年の演奏の方がずっと良い演奏なのにが再発されないのは不思議でしょうがない。



●ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番 カペー弦楽四重奏団(28年)

名曲揃いのベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中でも14番はやはり特別。
数多いベートーヴェンの傑作中でもとりわけ優れた出来栄えの作品なのではないかと思う。
とにかく、この音楽はフツーの音楽ではない。
戦前ならブッシュ、戦後でもブタペスト、ジュリアード、バリリ、スメタナ、ヴェーグ等、素晴らしい演奏が揃っているが、なんといってもカペーに止めを刺す。
恐ろしいほどの名演奏なので、おいそれとは聴けないのが欠点と言えば欠点。




●ベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送響、シュターダー、ヘフリガー(57年)

その昔Archiphonというレーベルからブラームスの1番とカップリングで出たCD。
このレーベルはカール・シューリヒトのCDを数多く出していたが、音質も良く、解説等もしっかりしていた。

大学時代に音楽鑑賞のサークルに所属していたが、そこで人に聴かされて感動したのがこの演奏。
ミサ・ソレムニス』という曲は冗長で重ったるい印象が強く、さほど好きな曲ではないが、これは実に素晴らしい。
この曲はシューリヒトの18番だったようで、彼らしく速めのテンポでスッキリと仕上げた演奏ながら、内に秘めた感動は並々ならぬものがある。
マリア・シュターダー(ソプラノ)の歌声がまた素晴らしく、録音もモノラルながら極上。
これもCDはすでに廃盤だが、中古屋ではよく見かけるし、価格もそれほど高くない。



続きます。
以前お知らせ致しました『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX』に続いて『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX 2』が9月2日に発売されます。

収録作品
●『あなたの目になりたい』(43)監督、出演:サッシャ・ギトリ
●『ショタール商会』(32)監督:ジャン・ルノワール
●『幻の馬車』(39)監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
●『高原の情熱』(43)監督:ジャン・グレミヨン
●『失楽園』(40)監督:アベル・ガンス

これは第一弾に劣らぬ物凄いラインナップ!!
幻の作品ばかりと言っても過言ではないでしょう。

ゴダールの『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』がデジタル・リマスター­尾次郎氏の新訳決定版で7月23日(土)より順次全国劇場公開されます。
公式サイト



ジーン・ネグレスコ監督の『仮面の男』を国内盤DVD(ジュネス企画)で観た感想。

The Mask of Dimitrios』(44年)
脚本:フランク・グルーバー
撮影:アーサー・エディスン
出演:シドニー・グリーンストリート、ピーター・ローレ、ザカリー・スコット、フェイ・エマーソン

欧州が舞台のスパイ・スリラーで、デミトリオスという国際的な犯罪者の死をきっかけに、犯罪者に興味を持った探偵作家(ピーター・ローレ)が周囲の連中に振り回されながらヨーロッパ中を駆けずり回るという内容。

映画の後半になるまで物語がどう展開するのか予想もつかない。
敵か味方かも分からぬ怪しげな人物が跋扈する、謎が謎を呼ぶストーリー展開がなんとも魅力的である。
それに、なんといってもシドニー・グリーンストリートピーター・ローレが一緒の画面に出てくるだけでたまらない。
そのやり取りにそこはかとなくユーモアもあり、二人が並ぶ場面では思わず顔がニヤニヤしてしまう。
本当に観ていて涙が出そうになるくらい素晴らしい。
ラストも最高だ。

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HN:
マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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