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ここにきて、また『仁義』のリメイク話が世間を賑わせているようです。
今度は、ジョニー・トー監督、オーランド・ブルーム主演によるものらしく、ハリウッドの製作によるものになるとのこと。
つい先日、オーランド・ブルームが香港に乗り込んで、ジョニー・トー監督と打ち合わせをした模様です。
こちらやこちらのブログに記事が出ています。
『仁義』のリメイクといえば、数年前にジョン・ウー監督によるリメイク話が出ていましたが、それからトンと話を聞かなくなりました。
どうやら、その話はボツになったようですね。
そして、ジョニー・トー監督といえば、アラン・ドロンと映画を撮るという話でしたが、こちらもどういうわけか、それから続報を聞くことはありませんでした。
それが今回、何がどうなったのか、ジョニー・トー監督が『仁義』をリメイク、主演はオーランド・ブルームという流れです。
オーランド・ブルームは、オリジナルでアラン・ドロンが演じたコーレイを演じることになるのでしょう。
強盗犯に襲われるパリの宝石店も、香港の宝石店へと設定が変わるようです。
正直言いまして、恥ずかしながら、私はジョニー・トー監督作品もオーランド・ブルーム主演作も観ていませんので、今回のリメイクの話についてはなんとも言えませんが、このことで、メルヴィルの作品が再び映画ファンに注目されるのであれば、大いに歓迎したいですね。
また続報が分かりましたら、お知らせします。
クライテリオン盤DVD『サムライ』の特典映像に収録されているジャン=ピエール・メルヴィル監督のインタビューを翻訳して紹介する3回目(最終回)です。
メルヴィル 私が最も難しいと思うことは、性について描写することだな。
私は自分の映画で美徳を描いているんだ。
映画を検閲する立場からいえば、私は潔癖主義(ピューリタン)だよ。
いわば、それが質を持ち得る限りにおいては私は許容することができるんだよ。
問 あまりに多くの映画を観ることはあなたの映画製作の邪魔になりませんか?
メルヴィル いや、それは私の栄養なんだ。
それなしでは生きられないな。
一方で、32、33年前と比べると、最近はほとんど映画を観なくなったよ。
当時は、常に一日に5本は映画を観ていたからね。
5本から数が減ると、禁断症状になったものさ。
私は常に自宅に映写室があったから、夕食の後には、2本のアメリカ映画を観るのが日課だったんだ。
問 映画監督は難しいお仕事ですか?
メルヴィル とても、とてもとても難しい仕事だよ。
君も年齢を追うごとに、苦労するはずだし、キャリアを積んでくると、より大変になるはずさ。
この仕事で重要なことは、極めて健康であることだ。
この作品(『仁義』)や、昨年撮った『影の軍隊』のような作品を撮影することは恐ろしく難しいことだったよ。
誰よりも先にセットにいき、誰よりも後に去る、しかも、セットに居るすべての人を自分の後につき従わせるんだ。
実際に命令を発したり、“開始!”を叫ばなければならないんだからな。
問 やくざはあなたにとって何を象徴しているのですか?
メルヴィル 別に何と言うことはないよ。
彼らは哀れな負け犬さ。
でも、たまたまだが、やくざの物語は、アメリカの探偵小説から生まれた“フィルム・ノワール”という現代悲劇の特殊な表現形式にはとても適しているんだ。
柔軟性のあるジャンルなんだよ。
良きにしろ、悪しきにしろ、映画は表現したいことを何でも描くことができる。
だから、その人にとっての大事な物語・・・例えば、個人の自由、友情、または、人間関係について・・・を描くのはかなり容易い手段さ。
それらはつねに友好的とは限らないからね。
また、裏切りも・・・アメリカの犯罪小説の主要な要素の一つだが・・・そうだがね。
問 あなたは実際のやくざをご存知ですか?
メルヴィル ああ。何人かは知ってるよ。
でも、私の映画には、実際のやくざに似た人はいないよ。
私は長く汚いことに手を染めていない。
これまでの人生で全くないわけじゃないが、その時は恥じたよ。
午前3時に部屋に一人でいると、私は慎み深いだけでなく、謙虚になると君に請け負うよ。
私はリスクを犯すのが好きだ。
私の映画は時代の流行を追ったものでは決してないよ。
商業的であることは映画の本分だ。
何よりまず、映画は商品なんだからね。
観る者を楽しませる・・・それが芸術家としての誠実な視点だよ。
私は、私の映画を観終わったお客が映画館から出てゆくところを見るのが好きなんだ。
彼らが私の映画を理解したか否かは確信がないがね。
私は観た人をあれこれ思い巡らしておきたいんだ。
問 あなたは死について考えますか?
メルヴィル いいや。私は死に対しては全く無関心だ。
それがどんなものかはよく知ってるつもりだが、全く関心がないんだよ。
問 死はあなたの映画ではよく描かれるテーマですよね?
メルヴィル そうだよ。
確かに、死は今すぐにも、1分以内にも、2時間以内にも、6ヶ月以内にも起こり得るものだが、それはちっとも重要じゃないのさ。
クライテリオン盤DVD『サムライ』の特典映像に収録されているジャン=ピエール・メルヴィル監督のインタビューを翻訳して紹介する2回目です。
問 映画の編集は楽しいですか?
メルヴィル とてもね。
映画作りで最も楽しいのは、間違いなくこれと脚本を書くことだね。
書くことと編集だ。
別の言葉で言えば、着想と仕上げということだね。
これは、映画作りの上での二つの主要な段階だよ。
問 映画の撮影はお好きですか?
メルヴィル いや、全然。
撮影は大嫌いなんだ。
私は“退屈な行為”と呼んでいるんだよ。
とにかく嫌だな。
退屈な仕事全体の中での唯一の救いは、俳優を演出する素晴らしい瞬間だけだね。
問 あなたは、一緒に働く俳優たちに対して厳しいですか?
メルヴィル いや。
俳優に対してそんなことはないよ。
それは愚かなことだ。
君は俳優たちに厳しくあたってはいけないよ。
それがどんな人たちでもだ。
それは儚いものさ。
キャメラの前で、今私がしようとしているように自然に振舞うことは大変なことなんだ。
私はキャメラの背後でそのことをより求めているわけなんだけどね。
問 あなたはご自身の映画をどう思われますか?
メルヴィル いや、思わないな。
私はあえてそのことを考えないようにしてるんだ。
自分でそれらを作ったからこそ、客観視するのは不可能さ。
唯一、撮影の時、あるシーンを撮った際に起こった問題のことだけ思い出すんだ。
それに、不幸にも、良い思い出だったりする。
だから、自分の映画を判断するのは不可能さ。
問 あなたはご自身を俳優としてはどうお考えですか?
メルヴィル ひどいもんさ。
およそ似つかわしくない仕事をしようとしている素人のようなものだよ。
問 そのことはあなたの演出をより難しいものにしましたか?
メルヴィル そうだね。
演出の点からというよりも、自分自身の位置付けの問題としてね。
あるシーンで、俳優が私に向かって話しているのを見ながら、私が求めたように彼らが演じているかどうかを観察していることは明らかだよ。
この後、『仁義』での編集担当の女性・マリー=ゾフィー・デュブが、フィルムをカットするなど、編集の仕事をしているシーンが映し出される。
画面に流れる音は、『仁義』のジャンセンとコーレイがジャンセンの家で会話するシーンのものと思われる。
(続く)
1970年9月11日放送のインタビュー。
クライテリオン盤DVD『サムライ』の特典映像に収録されているジャン=ピエール・メルヴィル監督のインタビューを翻訳して3回に分けて紹介します。
これは『サムライ』のDVDに収録された映像ですが、インタビューの時期は『仁義』の撮影から公開までの間に撮られたと思われ、ちょうどルイ・ノゲイラ著『サムライ』のインタビュー時期とも重なります。
内容から判断しますに、インタビュアーがおそらくは映画監督を志している若い女性で、そのせいか、聞いている内容は基本的なことが多いのですが、メルヴィルは、はぐらかさずに真面目に答えている様子が映像からもよく伝わってきます。
インタビューの場所は、メルヴィルのオフィス、スタジオの焼け跡の二つで、番組はそれぞれの場所でのインタビューを編集したものです。
メルヴィルのデスクの電話が鳴る。
ちょっと失礼。(とメルヴィルが受話器を取る)
アロー。はい。失礼ですが、どなたにに電話されているんですか?
あなたはGobelins2162に電話すべきですよ。
失礼します。
問 映画は重要ですか?
メルヴィル ああ。とても重要だよ。
誰にとってもそうだが、特に私にとってはそうだと認めるよ。
私の人生であり、私の職業でもある。
最も重要なことだな。
6歳の誕生日に、クランクを回して撮影するパテベビーのキャメラを買ってもらったんだ。
1923年のことだよ。
それが、いわば映画監督としてのデビューであり、人生を決めたんだと思う。
私の映画への愛はトーキーと共に始まったよ。
1929年か30年ごろのことだ。
初めてスクリーンから言葉を聞いたのは、ヴァン・ダイクとフラハティの『南海の白影』だった。
モンテ・ブルーが言ったんだ。“文明だ!文明だ!”とね。
それが私が映画から言葉を聞いた最初だったよ。
まさにその瞬間、私は映画に猛烈に恋したんだ。
問 あなたはまず何をしましたか?
メルヴィル 『海の沈黙』を製作、監督したよ。
問 どのように?突然にですか?
メルヴィル いや。
何年もそのことを考えていたから、完璧に準備はしてたよ。
35ミリのフィルムのストックを買って、400フィートのDebrieのキャメラに詰込んだ時には私はすでにプロになっていたと思う。
技術的なレベルにおいては、もう学ぶ余地がなかったんだ。
私が学ぶ必要があったのは、映画を製作するという方法だけだった。
それは技術的な見地を知ることとは別物だからね。
問 あなたは自分自身をプロデュースしたのですか?
メルヴィル 大変だったけど、やり遂げたよ。
お金を得ると、フィルムを買いにいき、撮影したもんさ。
思うに、君の監督する最初の映画は、君自身の一命をかけて作られるべきだよ。
問 ここはあなたの撮影所ですか?
メルヴィル 以前はね。(笑)
今はもうほとんど残っていない。スケートリンクみたいなもんだな。
1967年6月29日に焼けたんだ。
それまでは全くもって素晴らしい撮影所だった。
午前3時にベットから起き出して、セットに来て、夜の静けさの中、その日の撮影の準備を一人ですることもできたしね。
仕事をする環境としては最高だったな。
問 “王国”を持つことはあなたにとって重要ですか?
メルヴィル 私は“王国”とは呼びたくないな。
むしろ、職人の仕事場といいたいね。
私は職人だし、他の店よりも自分の店の方がよく働けるのさ。
問 再建したら、あなたは他の場所でなく、ここに住みますか?
メルヴィル きっとね。
実際、長い間そうしてきたしね。
1953年から1967年までだ。
14年間、私はほとんど他には足を伸ばさなかったよ。
ここで撮影が終わったばかりの『仁義』を編集中のメルヴィルの様子が流れる。
編集中の場面は、コーレイが早朝リコのアパートを訪れ、金を脅し取る場面である。(続く)
このところ、クライテリオン盤DVD『仁義』の特典ディスクを久々に観直していました。
いやはや、実に面白いですね。
特に、これまでキチンと観ていたとは言い難かった助監督ベルナール・ストラ、メルヴィル本『サムライ』でおなじみのルイ・ノゲイラのインタビュー(それぞれ30分ほど)を今回気を入れて観直してみたのですが、どちらも大変面白かったです。
今回は、その中からメルヴィルとジャン・マリア・ヴォロンテの関係について書いてみたいと思います。
メルヴィルと俳優の対立はよくあることだったらしく、中でも『影の軍隊』におけるリノ・ヴァンチュラとの対立は有名です。
現に『仁義』のマテイ警視役はヴァンチュラを想定して脚本が書かれていましたが、ヴァンチュラは出演せず、代わりにブールヴィルが出演しました。
また、ヴォージェル役はジャン=ポール・ベルモンドを想定して書かれた役ですが、69年にあの『ボルサリーノ』があり、アラン・ドロンとベルモンドの共演という企画を先に“持っていかれた”形となり、『仁義』ではこのビッグな共演も実現せず、ベルモンドの代わりにジャン・マリア・ヴォロンテが出演しました。
そして、ヴォロンテとメルヴィルはこの映画の撮影時に激しく対立したのです。
この作品で助監督を務めたベルナール・ストラのインタビューによれば、“ムカついた”ヴォロンテがセットから1~2日去って戻ってこないこともあったらしく、ヴォロンテと決して上手くいっていたとは言い難かったドロンがヴォロンテを説得してなんとか撮影が続行されたこともあったとか。
メルヴィルとヴォロンテが反りが合わなかった理由ですが、それぞれの政治信条の相違も大きな原因だったようです。(ヴォロンテは過激な左派で、メルヴィルは右派でした)
しかし、『仁義』にはこれまた有名な左派であったイヴ・モンタンが出演していますが、こちらはメルヴィルと極めて友好な関係であったらしく、ヴォロンテがまだ“若かった”ことも大きかったのでしょう。
撮影場所でノゲイラは、メルヴィルとヴォロンテの間で文字通り右往左往してたとのことです。
ノゲイラがどちらかと仲良くするとどちらかが気を悪くするという状況だったらしく、二人ともほとんど子供の喧嘩状態です・・・(苦笑)。
先ほど、ドロンとヴォロンテの関係もあまり上手くいっていなかったと書きましたが、ノゲイラのインタビューによれば、ヴォロンテがミレーユ・ダルクの元彼だったので、そのせいで当時ダルクと同棲していたドロンのことを嫌っていたのではないかと、当時ノゲイラはメルヴィルから聞いたとのことですが、本当のところは分かりません。
ヴォロンテはドロンやモンタンらと自分の扱いの違いを不満に思っていたらしく、いわゆる“スター”に対する嫉妬もあったのかもしれません。
ところで、『仁義』撮影から約20年後、ジュネーヴでヴォロンテと再会したノゲイラはヴォロンテの口から意外な言葉を耳にします。
「メルヴィルは偉大な映画監督だった。当時私には理解できなかったが、彼は正しかった。撮影の時は彼の権威を受け入れがたかったんだ。」
お知らせし損ねていましたが、クライテリオン盤DVD『影の軍隊』が一週間ほど前に届きました。
このところ仕事が忙しいのと、ちょっと体調を崩していたので、本編をゆっくり観る時間がないのですが、今のところ特典映像をちょこちょこと観ています。
内容については、またおいおい紹介していく予定です。
今回は、以前紹介した『サムライ』『影の軍隊』に続いて、『仁義』の海外盤DVDの比較サイト(DVDBeaver)を紹介します。
http://www.dvdbeaver.com/film/DVDCompare2/cerclerouge/cerclerouge3.html
仏盤(Studio Canal)、米クライテリオン盤、英BFI盤の3つが画像付きで比較されています。
ちなみに、私はこの中ではクライテリオン盤しか所有しておりません。
このサイトのコメントにも書かれていますが、画像を一見して分かるのがクライテリオン盤の色の濃さです。
クライテリオン盤だけ観ていますと分からないことですので、これはちょっとショックでした。
コメントでもBFI盤の評価が高いようです。
それにしても、日本盤など比較対象にすらならないのでしょうね・・・。
今回のパリ旅行にて撮影した画像を紹介します。
いずれも『仁義』の宝石強盗の舞台となったヴァンドーム広場近辺で撮影したものです。
左の画像は、ヴァンドーム広場より1本北東のダニエル・カサノヴァ通りです。
『仁義』ではアラン・ドロンとジャン・マリア・ヴォロンテがモーブッサン宝石店に乗り込む前に(私の推測では)この辺りに車を停めます。
折を見て車から降りた二人は、この通りに面した入り口から入り、迷路のような道を辿りながら、モーブッサン宝石店の屋上へと出るわけです。
宝石強盗後、イヴ・モンタンはその車に乗り込んで、二人の待つヴァンドーム広場へと車を走らせることになります。
次にヴァンドーム広場の北側に位置するボシェロン宝石店です。
モーブッサン同様、ここもやはり現存するショップで、『仁義』ではイヴ・モンタンが午前3時の待ち合わせ時間前にこの店の前を通り過ぎるシーンがあります。
その“トボトボ”とした歩き方がなんともいえない味があって印象的であり、個人的にもとても好きなシーンです。
そして、舞台となったモーブッサン宝石店ですが、現在ではどうもショップの規模が映画当時よりも小さくなっているようで、撮影当時モーブッサンだったところが現在では一部ヴァン・クリーフ&アーぺルになっているようです。
ちょうどヴァンドーム広場の北東の角より若干北寄りに当たる部分です。
そして、たまたま見つけることができたのですが、その部分に『仁義』でイヴ・モンタンが宝石店の下見、そして犯行のために入ったと思われる入り口が今でも残っていました。
画像の右側に見える部分が映画と同様、管理人室です。
この入り口は、ヴァンドーム広場に直接面しているわけではなく、広場側の入り口から入って、さらにその奥にこの入り口があります。
よって、非常に見つけにくいところにここはありました。
残念ながら中に入ることは叶いませんでしたが、この入り口が映画の舞台となったことはほぼ間違いないと思います。
最後に、昼間に写したヴァンドーム広場の画像です。
ちょうどモーブッサン宝石店方面から撮りました。
頂上に立つナポレオン像の、右手後方側からになります。
ちょうど画像の右側に有名なホテル・リッツがあり、老舗宝石店が軒を連ねる、パリでも有数の美しさと豪華さを誇る広場です。
夜の美しさも格別ですが、昼のそれもまた見事なものです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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