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ジャック・ベッケル監督の『最後の切り札』(42年)を国内盤DVDで観た感想。
『フィルム・ノワール ベスト・セレクション フランス映画篇 DVD-BOX1』の中の一篇で、ジャック・ベッケル監督の長編デビュー作。
2008年に開催された映画祭『フランス映画の秘宝』で本邦初公開されたが、私は時間の都合で見逃していた。
それ以来ずっと観たかった作品なので、今回この作品を観ることができたのは良かった。
しかし、いくらなんでもDVDの画質が悪過ぎる!
それは映画に集中して観るのが困難なほどであり、実際、何度も睡魔に襲われた。
なんというか映画の画面を視覚で捉え切れない感じなのである。
撮られた年代の関係もあるだろうが、VHS以下と言ってよいような画質の悪さであり、とてもDVDで観ているという感じがしなかった。
おかげで、作品の面白さを充分に享受できたとはとても言い難い。
理解できた範囲内だけでも、すこぶる面白かった(たぶん)映画だけに大変残念である。(とりわけギャングの親玉を演じたピエール・ルノワールが絶品)
『フィルム・ノワール ベスト・セレクション フランス映画篇 DVD-BOX1』の中の一篇で、ジャック・ベッケル監督の長編デビュー作。
2008年に開催された映画祭『フランス映画の秘宝』で本邦初公開されたが、私は時間の都合で見逃していた。
それ以来ずっと観たかった作品なので、今回この作品を観ることができたのは良かった。
しかし、いくらなんでもDVDの画質が悪過ぎる!
それは映画に集中して観るのが困難なほどであり、実際、何度も睡魔に襲われた。
なんというか映画の画面を視覚で捉え切れない感じなのである。
撮られた年代の関係もあるだろうが、VHS以下と言ってよいような画質の悪さであり、とてもDVDで観ているという感じがしなかった。
おかげで、作品の面白さを充分に享受できたとはとても言い難い。
理解できた範囲内だけでも、すこぶる面白かった(たぶん)映画だけに大変残念である。(とりわけギャングの親玉を演じたピエール・ルノワールが絶品)
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ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『パニック』(46年)を国内盤DVDで観た感想。
『フィルム・ノワール ベスト・セレクション フランス映画篇 DVD-BOX1』の中の一篇。
第二次大戦中にハリウッドで映画を撮らざるを得なかったデュヴィヴィエの、戦後フランス映画復帰第1作。
ジョルジュ・シムノン原作であり(原作は未読)、後にパトリス・ルコント監督に『仕立て屋の恋』(89年)としてリメイクされているという。
『仕立て屋の恋』は当時かなり世評の高かった映画で、私はレンタルで観たが、あまり好きな映画ではなかったような記憶がある。
サンドリーヌ・ボネールはキレイだったが、主人公に共感できなかったし、ノワール的な雰囲気もなかったと思う。
それに比べると、この映画がノワール的な雰囲気が濃いのはヒロインを演じたヴィヴィアーヌ・ロマンスが典型的なファム・ファタールとして描かれているからである。
しかし、どこか憎めないキャラクターなのはこの女優の持ち味のせいか。
主演のミシェル・シモンも必ずしも単純なキャラクターではなく、興味と共感を惹きつける魅力がある。
後半などまるでラングの『M』のようだ。
ラストで真犯人が分かる設定はルイ・マルが『死刑台のエレベーター』(58年)で拝借したのではないだろうか。
『フィルム・ノワール ベスト・セレクション フランス映画篇 DVD-BOX1』の中の一篇。
第二次大戦中にハリウッドで映画を撮らざるを得なかったデュヴィヴィエの、戦後フランス映画復帰第1作。
ジョルジュ・シムノン原作であり(原作は未読)、後にパトリス・ルコント監督に『仕立て屋の恋』(89年)としてリメイクされているという。
『仕立て屋の恋』は当時かなり世評の高かった映画で、私はレンタルで観たが、あまり好きな映画ではなかったような記憶がある。
サンドリーヌ・ボネールはキレイだったが、主人公に共感できなかったし、ノワール的な雰囲気もなかったと思う。
それに比べると、この映画がノワール的な雰囲気が濃いのはヒロインを演じたヴィヴィアーヌ・ロマンスが典型的なファム・ファタールとして描かれているからである。
しかし、どこか憎めないキャラクターなのはこの女優の持ち味のせいか。
主演のミシェル・シモンも必ずしも単純なキャラクターではなく、興味と共感を惹きつける魅力がある。
後半などまるでラングの『M』のようだ。
ラストで真犯人が分かる設定はルイ・マルが『死刑台のエレベーター』(58年)で拝借したのではないだろうか。
ジャン・ルノワール監督の『恋多き女』(56年)を国内盤ブルーレイ(紀伊国屋書店)で観た感想。
原題は『エレナと男たち』(『ELENA ET LES HOMMES』)。
当然のことながら原題の方が映画の内容にニュアンスが合っている。
ジャン・ルノワール監督×イングリッド・バーグマン主演作は後にも先にもこれだけだが、この奇跡的な組み合わせが実現したことを心から感謝したくなる映画である。
なんといってもバーグマンが素晴らしい!
齢40歳の頃の映画だが、スタイルは抜群、お肌はツルッツル、容姿に衰えは全く見られず、とにかく美しい。
テクニカラーによって、その美貌が一層光り輝いている印象だ。
バーグマンの主演作を観るのは本当に久しぶりだが、改めてこの大女優の魅力を再確認した。
特に印象的なのが気品ある笑顔で、ここまでバーグマンの笑顔が数多く見られる映画が他にあるだろうか?
それだけでもこの映画は不滅の価値を持つだろう。
その存在感もクールビューティー的な印象とは異なり、意外にも人間的な温かさを感じさせるのはルノワールの演出の賜物か。
しかも、胸の谷間を惜しげもなく(?)露出し、男どもにキスされまくるのである。
これはバーグマンのファンには堪らない映画であろう。
映画の内容としては、『ゲームの規則』(39年)を彷彿とさせるような、いかにもルノワール的なドタバタコメディである。(『ゲームの規則』とはヒロインの魅力が段違いだが)
始終群集がワイワイ騒いでいるような印象で、時代背景的なものがあまり分からないこともあって、観ていて落ち着かない部分もあるが、結局バーグマンの魅力で最後まで魅せてしまう。
バーグマンに惚れる男たちにジャン・マレー、メル・ファーラーとスターを配しており、登場シーンも多いのだが、驚くほど印象に残らない。
女給役のマガリ・ノエルは前半で小悪魔的な魅力を発揮しているが、バーグマンと並ぶと女優としてのオーラの違いが気の毒なほど顕著。
むしろ後半に登場するジプシーの歌手役のジュリエット・グレコがクールな持ち味を出して印象に残る。
全体的に、いかにもルノワールらしい色彩感覚に優れた映画なので、紀伊国屋の高画質のブルーレイで観られて良かった。
原題は『エレナと男たち』(『ELENA ET LES HOMMES』)。
当然のことながら原題の方が映画の内容にニュアンスが合っている。
ジャン・ルノワール監督×イングリッド・バーグマン主演作は後にも先にもこれだけだが、この奇跡的な組み合わせが実現したことを心から感謝したくなる映画である。
なんといってもバーグマンが素晴らしい!
齢40歳の頃の映画だが、スタイルは抜群、お肌はツルッツル、容姿に衰えは全く見られず、とにかく美しい。
テクニカラーによって、その美貌が一層光り輝いている印象だ。
バーグマンの主演作を観るのは本当に久しぶりだが、改めてこの大女優の魅力を再確認した。
特に印象的なのが気品ある笑顔で、ここまでバーグマンの笑顔が数多く見られる映画が他にあるだろうか?
それだけでもこの映画は不滅の価値を持つだろう。
その存在感もクールビューティー的な印象とは異なり、意外にも人間的な温かさを感じさせるのはルノワールの演出の賜物か。
しかも、胸の谷間を惜しげもなく(?)露出し、男どもにキスされまくるのである。
これはバーグマンのファンには堪らない映画であろう。
映画の内容としては、『ゲームの規則』(39年)を彷彿とさせるような、いかにもルノワール的なドタバタコメディである。(『ゲームの規則』とはヒロインの魅力が段違いだが)
始終群集がワイワイ騒いでいるような印象で、時代背景的なものがあまり分からないこともあって、観ていて落ち着かない部分もあるが、結局バーグマンの魅力で最後まで魅せてしまう。
バーグマンに惚れる男たちにジャン・マレー、メル・ファーラーとスターを配しており、登場シーンも多いのだが、驚くほど印象に残らない。
女給役のマガリ・ノエルは前半で小悪魔的な魅力を発揮しているが、バーグマンと並ぶと女優としてのオーラの違いが気の毒なほど顕著。
むしろ後半に登場するジプシーの歌手役のジュリエット・グレコがクールな持ち味を出して印象に残る。
全体的に、いかにもルノワールらしい色彩感覚に優れた映画なので、紀伊国屋の高画質のブルーレイで観られて良かった。
前回に続く
一分の隙もないナイアガラサウンドに満たされ、あまりに高い完成度を誇るA面に比べると、B面の5曲はそこまでの統一感、完成度はない。
しかし、B面の冒頭を飾る『流星ナイト』は、A面の聖子さんの声とは明らかに異なる、初期の声に近い声で歌われる佳曲。
この声を聴く気持ち良さはやはりこたえられない。
続く『黄昏はオレンジ・ライム』(作曲:鈴木茂)は聖子さんの声、アレンジ共に前作『Silhouette 〜シルエット〜』に入っていてもおかしくないような初期テイストの愛すべき作品。(事実、鈴木茂は『Silhouette 〜シルエット〜』のセッションにE・ギター奏者として参加している)
このアルバムでは若干毛色の違う『白いパラソル』(以前書いた記事)を挟んで、続く『雨のリゾート』は聖子さんの歌う喜びが聴き手に直接伝わるような、素晴らしい美声が堪能できる。
そして、深い余韻を残す歌の表現力が素晴らしい王道の聖子バラード『December Morning』でアルバムは幕を閉じる。
お分かりの通り、B面も内容的にはA面に全く引けを取らない。
むしろ息苦しくなるくらい完成度の高いA面よりも、どこか開放感がありバラエティに富んだB面の方が好きだという意見があっても少しもおかしくない。
特に『流星ナイト』と『雨のリゾート』は今でもファンの間で人気は高い。
実際、聖子さんが伸び伸びと歌っているのはB面の方だろう。
結果的に、聖子さんの声の調子の決して良くなかった時期の録音にもかかわらず、このアルバムは信じられないくらい魅力的な美声で満たされることになった。
聖子マジックとしか言いようがない。
それと、今このアルバムを聴き通してみて驚くのは、A面とB面に思ったほど雰囲気の違いを感じないことだ。
この連載の1回目の記事で私はアルバム全曲を大滝が書いたようなイメージがあったと書いた。
つまりB面にもどことなく大滝の色を感じるのである。
その秘密はB面の『白いパラソル』(編曲:大村雅朗)以外の4曲のアレンジを担当した鈴木茂にあったのではないかと思う。
前述の通り、鈴木茂は大滝、松本隆と同じくはっぴいえんどの元メンバーであり、大滝の『A LONG VACATION』のセッションにも参加している。
いわば大滝の音楽性に精通している盟友だ。
ここからは私の推測になるが、鈴木がA面の大滝の楽曲、アレンジを見越して、B面の楽曲も大滝のそれに近いテイストのアレンジを施したのではないだろうか?(プロデューサーの意向もあったかもしれない)
いわば、鈴木の才能とセンスによって、A面とB面が分断せず、アルバムとしての統一感を辛うじて保ったとも考えられるのである。
このアルバムのクレジットを見ると、鈴木はミュージシャンとしてもこのアルバムのセッションに参加しており、なんと『白いパラソル』以外の全曲でE・ギターを弾いている。
大滝の影に隠れて目立たないが、このアルバムの“影のMVP"は鈴木茂だと言えなくもないのである。
以上、アルバム『風立ちぬ』と周辺事情、当時の昔話についてダラダラと綴ってきた。
たった一枚のアルバムについて書くのにこんなに長くなるとは夢にも思わなかったが、それだけこのアルバムが私個人にとっても、聖子さんにとっても、おそらくは大滝を初めとするアルバムに携わった音楽家たちにとってもエポックメイキング的な存在感を放っているということではないかと思う。
この記事を書いている間、少なくとも10回以上はこのアルバムを聴いたが、まさに至福の時間であった。
このアルバムに携わったすべての人たちに感謝したい。
聖子さんの歴史上におけるアルバム『風立ちぬ』の位置づけとしては、楽曲的にも聖子さんの声質的にも、初期から次の段階に至るまでの過度期の作品と捉えるべきなのかもしれない。
といっても、もちろん中途半端な作品ということではない。
大滝詠一を始めとする当時の日本のポップス界の精鋭たちは、その才能の絶頂期にこのアルバムのために身を削り、最高の楽曲を提供した。
そして、19才の聖子さんは声の不調という悪条件を乗り越えながらも出来うる限りのパフォーマンスでそれに応えた。
最高の音楽がそこにあり、聖子さんがポテンシャルの高さを発揮すれば、結果は自ずと知れる。
だからこそこのアルバムは、今なお日本ポップス史上唯一無二の存在感を誇っているのだと思う。
一分の隙もないナイアガラサウンドに満たされ、あまりに高い完成度を誇るA面に比べると、B面の5曲はそこまでの統一感、完成度はない。
しかし、B面の冒頭を飾る『流星ナイト』は、A面の聖子さんの声とは明らかに異なる、初期の声に近い声で歌われる佳曲。
この声を聴く気持ち良さはやはりこたえられない。
続く『黄昏はオレンジ・ライム』(作曲:鈴木茂)は聖子さんの声、アレンジ共に前作『Silhouette 〜シルエット〜』に入っていてもおかしくないような初期テイストの愛すべき作品。(事実、鈴木茂は『Silhouette 〜シルエット〜』のセッションにE・ギター奏者として参加している)
このアルバムでは若干毛色の違う『白いパラソル』(以前書いた記事)を挟んで、続く『雨のリゾート』は聖子さんの歌う喜びが聴き手に直接伝わるような、素晴らしい美声が堪能できる。
そして、深い余韻を残す歌の表現力が素晴らしい王道の聖子バラード『December Morning』でアルバムは幕を閉じる。
お分かりの通り、B面も内容的にはA面に全く引けを取らない。
むしろ息苦しくなるくらい完成度の高いA面よりも、どこか開放感がありバラエティに富んだB面の方が好きだという意見があっても少しもおかしくない。
特に『流星ナイト』と『雨のリゾート』は今でもファンの間で人気は高い。
実際、聖子さんが伸び伸びと歌っているのはB面の方だろう。
結果的に、聖子さんの声の調子の決して良くなかった時期の録音にもかかわらず、このアルバムは信じられないくらい魅力的な美声で満たされることになった。
聖子マジックとしか言いようがない。
それと、今このアルバムを聴き通してみて驚くのは、A面とB面に思ったほど雰囲気の違いを感じないことだ。
この連載の1回目の記事で私はアルバム全曲を大滝が書いたようなイメージがあったと書いた。
つまりB面にもどことなく大滝の色を感じるのである。
その秘密はB面の『白いパラソル』(編曲:大村雅朗)以外の4曲のアレンジを担当した鈴木茂にあったのではないかと思う。
前述の通り、鈴木茂は大滝、松本隆と同じくはっぴいえんどの元メンバーであり、大滝の『A LONG VACATION』のセッションにも参加している。
いわば大滝の音楽性に精通している盟友だ。
ここからは私の推測になるが、鈴木がA面の大滝の楽曲、アレンジを見越して、B面の楽曲も大滝のそれに近いテイストのアレンジを施したのではないだろうか?(プロデューサーの意向もあったかもしれない)
いわば、鈴木の才能とセンスによって、A面とB面が分断せず、アルバムとしての統一感を辛うじて保ったとも考えられるのである。
このアルバムのクレジットを見ると、鈴木はミュージシャンとしてもこのアルバムのセッションに参加しており、なんと『白いパラソル』以外の全曲でE・ギターを弾いている。
大滝の影に隠れて目立たないが、このアルバムの“影のMVP"は鈴木茂だと言えなくもないのである。
以上、アルバム『風立ちぬ』と周辺事情、当時の昔話についてダラダラと綴ってきた。
たった一枚のアルバムについて書くのにこんなに長くなるとは夢にも思わなかったが、それだけこのアルバムが私個人にとっても、聖子さんにとっても、おそらくは大滝を初めとするアルバムに携わった音楽家たちにとってもエポックメイキング的な存在感を放っているということではないかと思う。
この記事を書いている間、少なくとも10回以上はこのアルバムを聴いたが、まさに至福の時間であった。
このアルバムに携わったすべての人たちに感謝したい。
聖子さんの歴史上におけるアルバム『風立ちぬ』の位置づけとしては、楽曲的にも聖子さんの声質的にも、初期から次の段階に至るまでの過度期の作品と捉えるべきなのかもしれない。
といっても、もちろん中途半端な作品ということではない。
大滝詠一を始めとする当時の日本のポップス界の精鋭たちは、その才能の絶頂期にこのアルバムのために身を削り、最高の楽曲を提供した。
そして、19才の聖子さんは声の不調という悪条件を乗り越えながらも出来うる限りのパフォーマンスでそれに応えた。
最高の音楽がそこにあり、聖子さんがポテンシャルの高さを発揮すれば、結果は自ずと知れる。
だからこそこのアルバムは、今なお日本ポップス史上唯一無二の存在感を誇っているのだと思う。
(この項終わり)
前回に続く
(この連載(?)の1回目で全4回予定と書きましたが、全5回に訂正いたします 笑)
アルバム『風立ちぬ』が発売される頃には私の持っていた『A LONG VACATION』のLPは友人たちに借り回されてキズだらけになっていた。
まもなく『風立ちぬ』のLPも同じ運命を辿ることになるのだが・・・。
発売されたアルバム『風立ちぬ』を聴いてまず驚いたことは、やはり聖子さんの声がこれまでよりハスキーに感じられたことだった。
そのことは先行シングル『風立ちぬ』でもすでに表れてはいたが、アルバム(特に大滝が担当したA面)を通して聴くと、以前との声の変化は明らかであった。
このアルバムがレコーディングされた時期は1981年8月、9月だというが、もしかしたらB面よりA面の方が後の時期にレコーディングされたのかもしれない。
どちらにせよ、聖子さんがもっともハードスケジュールだった時期(夏にも全国ツアーを行っている)にアルバムがレコーディングされたことは間違いない。
過酷なスケジュールが祟り、体調を崩して歌番組を時折休むようになったのもこの時期ではなかったか。
睡眠時間が一日平均2~3時間、コンサートは昼夜2回公演、その合間にテレビの歌番組出演、ラジオの収録、雑誌の取材、そしてレコーディングである。
いくら若いといっても無理がある。(もちろん聖子さん本人には責任がない)
声が全然出なくなったこともあったらしい。
それらの悪条件が重なり、81年半ば頃を境に聖子さんの声質は明らかに変化した。
デビュー当時の聖子さんの歌はまさにパワーボーカルとでも言いたくなるよう圧倒的な声量で高音から低音まで声が出切っていた。
とりわけ印象的だったのはどこまでも伸びるハイトーンボイスだが、アルトのような太い声もそれに劣らず魅力的だった。
それが、この『風立ちぬ』のレコーディングの頃から声はハスキーになり、次第に語りかけるような歌い方が多くなっていく。
俗に言うキャンディボイスへの声質の変化である。
今ではこの時期の聖子さんの代名詞ともいえるキャンディボイスだが、ある意味、苦肉の策の結果とも言える。
デビュー時の圧倒的な声は永久に失われてしまった結果、キャンディボイス以後の聖子さんは表現力にますます磨きをかけていくことになる。
そして、その表現力こそが聖子さんの芸術性の特質となっていく。
キャンディボイスの魅力をさっそく発揮したのが、アルバム『風立ちぬ』のA面5曲であり、次のシングル『赤いスイートピー』(82年1月21日発売)であったと思う。
(私の知る限りでは当時キャンディボイスなんて言葉、誰も使ってなかったような気がするが、いつから言われるようになったのだろう?)
それにしても、当時リアルタイムで聴いたアルバム『風立ちぬ』の素晴らしさにはやはり驚かされた。
なにしろ個々の楽曲の完成度が凄かった。
それ以前の3枚のアルバムももちろん良かったし好きだったが、それらとは別格の出来栄えだと感じた。
のちに聖子さんのアルバムはこのレベルの出来栄えは当たり前のようになるが、まだ後の傑作『Pineapple』(82年)も『ユートピア』(83年)も世に出ていない頃の話である。
シングル『風立ちぬ』への不満も、このアルバムを耳にした途端、どこかへ消し飛んでしまったように思う。
アルバムは『冬の妖精』から幕を開けるが、俗にナイアガラサウンドと呼ばれる大滝独特の音の壁がビッシリと敷き詰められており、そこに聖子さんのハスキーな声が不思議なくらいピタリとハマっていた。(是非ともヘッドフォンかイヤフォンで聴いてみて欲しい)
間奏のギターソロ(鈴木茂)は、音といい、フレージングといい、まさにナイアガラサウンドの真骨頂。
『一千一秒物語』は2000年代になってもコンサートで歌われることの多い聖子スタンダードの傑作の一つだし、『いちご畑でつかまえて』は超難曲にして、とりわけ大滝カラーの強い楽曲。
およそアイドルの楽曲とは思えないほど遊び心のある作品である。(♪Bidan Bidan Bidubidubidan♪のキャンディボイスが素晴らしい!)
ただ、私はこのところ何度かこのアルバムを聴き返してみて、一番心惹かれたのが『ガラスの入江』であった。
これは凄い。
聖子さんの当時のシンガーとしての実力をフルに発揮した名バラードだ。
このような引きずるようなテンポのバラードは歌いこなすのが相当に難しいはずだが、聖子さんの卓越したリズム感は、見事に歌声をメロディに乗せてみせる。
一般的にはあまり指摘されないことかもしれないが、当時も今も聖子さんという人はリズム感が抜群に優れた人で、だからこそあの声がメロディに乗った時、素晴らしく魅力的に響くのだと思う。
(次回に続く)
(この連載(?)の1回目で全4回予定と書きましたが、全5回に訂正いたします 笑)
アルバム『風立ちぬ』が発売される頃には私の持っていた『A LONG VACATION』のLPは友人たちに借り回されてキズだらけになっていた。
まもなく『風立ちぬ』のLPも同じ運命を辿ることになるのだが・・・。
発売されたアルバム『風立ちぬ』を聴いてまず驚いたことは、やはり聖子さんの声がこれまでよりハスキーに感じられたことだった。
そのことは先行シングル『風立ちぬ』でもすでに表れてはいたが、アルバム(特に大滝が担当したA面)を通して聴くと、以前との声の変化は明らかであった。
このアルバムがレコーディングされた時期は1981年8月、9月だというが、もしかしたらB面よりA面の方が後の時期にレコーディングされたのかもしれない。
どちらにせよ、聖子さんがもっともハードスケジュールだった時期(夏にも全国ツアーを行っている)にアルバムがレコーディングされたことは間違いない。
過酷なスケジュールが祟り、体調を崩して歌番組を時折休むようになったのもこの時期ではなかったか。
睡眠時間が一日平均2~3時間、コンサートは昼夜2回公演、その合間にテレビの歌番組出演、ラジオの収録、雑誌の取材、そしてレコーディングである。
いくら若いといっても無理がある。(もちろん聖子さん本人には責任がない)
声が全然出なくなったこともあったらしい。
それらの悪条件が重なり、81年半ば頃を境に聖子さんの声質は明らかに変化した。
デビュー当時の聖子さんの歌はまさにパワーボーカルとでも言いたくなるよう圧倒的な声量で高音から低音まで声が出切っていた。
とりわけ印象的だったのはどこまでも伸びるハイトーンボイスだが、アルトのような太い声もそれに劣らず魅力的だった。
それが、この『風立ちぬ』のレコーディングの頃から声はハスキーになり、次第に語りかけるような歌い方が多くなっていく。
俗に言うキャンディボイスへの声質の変化である。
今ではこの時期の聖子さんの代名詞ともいえるキャンディボイスだが、ある意味、苦肉の策の結果とも言える。
デビュー時の圧倒的な声は永久に失われてしまった結果、キャンディボイス以後の聖子さんは表現力にますます磨きをかけていくことになる。
そして、その表現力こそが聖子さんの芸術性の特質となっていく。
キャンディボイスの魅力をさっそく発揮したのが、アルバム『風立ちぬ』のA面5曲であり、次のシングル『赤いスイートピー』(82年1月21日発売)であったと思う。
(私の知る限りでは当時キャンディボイスなんて言葉、誰も使ってなかったような気がするが、いつから言われるようになったのだろう?)
それにしても、当時リアルタイムで聴いたアルバム『風立ちぬ』の素晴らしさにはやはり驚かされた。
なにしろ個々の楽曲の完成度が凄かった。
それ以前の3枚のアルバムももちろん良かったし好きだったが、それらとは別格の出来栄えだと感じた。
のちに聖子さんのアルバムはこのレベルの出来栄えは当たり前のようになるが、まだ後の傑作『Pineapple』(82年)も『ユートピア』(83年)も世に出ていない頃の話である。
シングル『風立ちぬ』への不満も、このアルバムを耳にした途端、どこかへ消し飛んでしまったように思う。
アルバムは『冬の妖精』から幕を開けるが、俗にナイアガラサウンドと呼ばれる大滝独特の音の壁がビッシリと敷き詰められており、そこに聖子さんのハスキーな声が不思議なくらいピタリとハマっていた。(是非ともヘッドフォンかイヤフォンで聴いてみて欲しい)
間奏のギターソロ(鈴木茂)は、音といい、フレージングといい、まさにナイアガラサウンドの真骨頂。
『一千一秒物語』は2000年代になってもコンサートで歌われることの多い聖子スタンダードの傑作の一つだし、『いちご畑でつかまえて』は超難曲にして、とりわけ大滝カラーの強い楽曲。
およそアイドルの楽曲とは思えないほど遊び心のある作品である。(♪Bidan Bidan Bidubidubidan♪のキャンディボイスが素晴らしい!)
ただ、私はこのところ何度かこのアルバムを聴き返してみて、一番心惹かれたのが『ガラスの入江』であった。
これは凄い。
聖子さんの当時のシンガーとしての実力をフルに発揮した名バラードだ。
このような引きずるようなテンポのバラードは歌いこなすのが相当に難しいはずだが、聖子さんの卓越したリズム感は、見事に歌声をメロディに乗せてみせる。
一般的にはあまり指摘されないことかもしれないが、当時も今も聖子さんという人はリズム感が抜群に優れた人で、だからこそあの声がメロディに乗った時、素晴らしく魅力的に響くのだと思う。
(次回に続く)
前回に続く
先行シングルでもありアルバムのタイトルトラックでもあった『風立ちぬ』を当時好きになれなかった理由は一体なんだったのか?
いまだに自分でもハッキリとは分からないのだが、まず、いかにも大滝詠一らしいメロディラインに妙な違和感を感じたのである。
例えば♪今は秋♪の箇所。
また♪すみれひまわりフリージア♪の箇所。
おそらくは大滝自身が歌っていればそれほど違和感は感じなかったのではないかと思う。
いかにも大滝の声のイメージのメロディラインだからだ。
それが聖子さんが歌った途端、当時の聖子さんのイメージや音楽性との乖離が表面化したのではないか。
この曲をさんざん聴いた今ならすっと聴き流してしまうが、当時は聴いていてどうにも落ち着かなかった。
また、アレンジが大仰すぎるように感じられたことも好きになれなかった理由の一つかもしれない。
ストリングスアレンジ(井上鑑)があまりにゴージャス過ぎるというか、派手派手過ぎる印象が拭えなかったのである。
派手派手といえば、『夏の扉』も充分派手なアレンジだったが、あれは当時の聖子さんの明るく快活なイメージにほぼ同化していたから違和感はなかった。
しかし、『風立ちぬ』のゴージャスなアレンジは当時のまだ10代だった聖子さんのイメージとはどうも合わない気がしてならなかったのだ。
私は歌詞にも座り心地の悪さを感じていた。
何よりタイトルからして文語体の、およそ聖子さんらしからぬ言葉であり、特にサビの♪今日から私は心の旅人♪という言葉は当時の聖子さんにはあまりにも大人びて響いた気がした。
そう、ぶっちゃけて言ってしまえば、私にとって『風立ちぬ』は当時の聖子さんにはやけに“オバさんっぽい曲"のように感じられたのだ。
最近になって分かったことだが、聖子さん自身、曲に違和感を感じ、『良い曲ですが私には合わないのでは?』と最初は歌うことに抵抗感を示したらしい。
おそらくは聖子さんも分かっていたのだ。
ところが、いざ歌ってみると、聖子さんの天才的表現力が光る曲に仕上がったのは流石である。
世間的によく指摘されるところは♪SAYONARA SAYONARA SAYONARA♪の部分がそれぞれ一言一言歌い方が異なるということだろう。
♪忘れたい 忘れない♪のところの表現力も凄い。
実際のところ、大滝の歌唱指導は聖子さんがレコーディングに通うのがイヤになるくらい厳しかったようで、ここでの表現力はその指導の賜物かもしれないが、実際に出来てしまう聖子さんが凄い。
それにこの曲のスケール感は只事ではない。
しかも、聖子さんの歌はとても10代の少女の歌とは思えないくらい実に堂々としている。
なんというか歌の佇まいが立派なのである。
これはもしかしたらとんでもなく凄い曲なのではないか?と気づき始めたのは、初めてこの曲を聴いてから30年経ってからだった。
まだ子供だった当時の私にはとてもそこまで考えが及ばなかった。
そして、つい数年前までその頃の感性をずっと引きずってしまっていた。
当時はともかく、30年後まで感性の変わらなかった私は大バカ者である。
シングル発売からちょうど2週間後の1981年10月21日、アルバム『風立ちぬ』は発売される。
(次回に続く)
先行シングルでもありアルバムのタイトルトラックでもあった『風立ちぬ』を当時好きになれなかった理由は一体なんだったのか?
いまだに自分でもハッキリとは分からないのだが、まず、いかにも大滝詠一らしいメロディラインに妙な違和感を感じたのである。
例えば♪今は秋♪の箇所。
また♪すみれひまわりフリージア♪の箇所。
おそらくは大滝自身が歌っていればそれほど違和感は感じなかったのではないかと思う。
いかにも大滝の声のイメージのメロディラインだからだ。
それが聖子さんが歌った途端、当時の聖子さんのイメージや音楽性との乖離が表面化したのではないか。
この曲をさんざん聴いた今ならすっと聴き流してしまうが、当時は聴いていてどうにも落ち着かなかった。
また、アレンジが大仰すぎるように感じられたことも好きになれなかった理由の一つかもしれない。
ストリングスアレンジ(井上鑑)があまりにゴージャス過ぎるというか、派手派手過ぎる印象が拭えなかったのである。
派手派手といえば、『夏の扉』も充分派手なアレンジだったが、あれは当時の聖子さんの明るく快活なイメージにほぼ同化していたから違和感はなかった。
しかし、『風立ちぬ』のゴージャスなアレンジは当時のまだ10代だった聖子さんのイメージとはどうも合わない気がしてならなかったのだ。
私は歌詞にも座り心地の悪さを感じていた。
何よりタイトルからして文語体の、およそ聖子さんらしからぬ言葉であり、特にサビの♪今日から私は心の旅人♪という言葉は当時の聖子さんにはあまりにも大人びて響いた気がした。
そう、ぶっちゃけて言ってしまえば、私にとって『風立ちぬ』は当時の聖子さんにはやけに“オバさんっぽい曲"のように感じられたのだ。
最近になって分かったことだが、聖子さん自身、曲に違和感を感じ、『良い曲ですが私には合わないのでは?』と最初は歌うことに抵抗感を示したらしい。
おそらくは聖子さんも分かっていたのだ。
ところが、いざ歌ってみると、聖子さんの天才的表現力が光る曲に仕上がったのは流石である。
世間的によく指摘されるところは♪SAYONARA SAYONARA SAYONARA♪の部分がそれぞれ一言一言歌い方が異なるということだろう。
♪忘れたい 忘れない♪のところの表現力も凄い。
実際のところ、大滝の歌唱指導は聖子さんがレコーディングに通うのがイヤになるくらい厳しかったようで、ここでの表現力はその指導の賜物かもしれないが、実際に出来てしまう聖子さんが凄い。
それにこの曲のスケール感は只事ではない。
しかも、聖子さんの歌はとても10代の少女の歌とは思えないくらい実に堂々としている。
なんというか歌の佇まいが立派なのである。
これはもしかしたらとんでもなく凄い曲なのではないか?と気づき始めたのは、初めてこの曲を聴いてから30年経ってからだった。
まだ子供だった当時の私にはとてもそこまで考えが及ばなかった。
そして、つい数年前までその頃の感性をずっと引きずってしまっていた。
当時はともかく、30年後まで感性の変わらなかった私は大バカ者である。
シングル発売からちょうど2週間後の1981年10月21日、アルバム『風立ちぬ』は発売される。
(次回に続く)
前回に続く
よく知られていることだが、聖子さんのデビューの年(80年)、その楽曲はシングル、アルバム共にほとんどが作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎というコンビで作られていた。
しかし、翌年の4枚目のシングル『チェリーブラッサム』(81年1月21日発売)から作曲に財津和夫が参入し、81年5月21日発売の3枚目のアルバム『Silhouette 〜シルエット〜』では収録曲の半数ずつを小田と財津が分け合うことになる。
また、『Silhouette 〜シルエット〜』収録曲の『白い貝のブローチ』の作詞を松本隆が担当したことがきっかけとなり、6枚目のシングル『白いパラソル』(81年7月21日発売)からは松本隆がほとんどの作詞を担当するようになる。
つまり、作家陣の大幅な入替えという意味でも、聖子さんにとってアルバム『風立ちぬ』は大きな転機となったのである。
大滝詠一の起用は松本隆人脈であることは間違いない。
二人は言うまでもなく伝説的バンドはっぴいえんどの元メンバーであり、大滝の『A LONG VACATION』の作詞もほとんどが松本隆によるものだった。
それだけでなく、このアルバムB面の『黄昏はオレンジ・ライム』の作曲と4曲の編曲を担当したのは同じくはっぴいえんどの元メンバーである鈴木茂、『雨のリゾート』の作曲には翌年『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』で大滝と組むことになる杉真理、先行シングル『白いパラソル』を初め3曲の作曲を提供したチューリップの財津和夫と、一アイドルのアルバムとは思えないほど日本ポップス界の精鋭陣(今となっては重鎮だ)が揃ったのである。
もちろん、作家陣にビッグネームを揃えたから素晴らしい作品が出来上がるとは限らない。
特にアルバムの半数を占める大滝の楽曲が聖子さんに合わない可能性もあるし、聖子さんが歌いこなせず、失敗に終わる可能性もある。
すでに定評あった三浦=小田作品でこれまで通りのアルバムを作っていた方が、制作する側からしたら安全だったはずだ。
当時、聖子さんの人気が落ちていたわけでもなく、特に方向転換が必要な時期だったわけでもない。
にもかかわらず、このようなリスキーなアルバムをあえて作ったというのは、聖子さんの能力、可能性に心から惚れこみ、その可能性を最大限に発揮したアルバムを作ろうというスタッフの気概以外の何ものでもなかったろう。
失敗のリスクを恐れず、この路線に舵を切った若松宗雄プロデューサーを始めとするスタッフの英断に心から拍手を送りたい気分である。(一方で三浦=小田作品を歌う聖子さんをもう少し聴いていたかったというファン心理も少なからずある。見果てぬ夢だが・・・。)
1981年10月7日、まずアルバムの発売前にタイトル曲『風立ちぬ』が先行シングルとして発売された。
私は発売前からラジオで聴いていたのだが、正直言って、それまでの聖子さんの楽曲とは全く違う、異様な曲に感じられた。
前述のように、すでに『A LONG VACATION』を聴き、大滝の楽曲に免疫の出来ていた私ですらそう感じたのだから、世の聖子ファンにはかなりの困惑があったのではないかと想像する。
実のところ、私自身この曲を本当に好きになったのはここ数年である。
それまで30年に渡ってずっと好きになれなかった、いや、なりきれなかった・・・。
(以後続く)
よく知られていることだが、聖子さんのデビューの年(80年)、その楽曲はシングル、アルバム共にほとんどが作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎というコンビで作られていた。
しかし、翌年の4枚目のシングル『チェリーブラッサム』(81年1月21日発売)から作曲に財津和夫が参入し、81年5月21日発売の3枚目のアルバム『Silhouette 〜シルエット〜』では収録曲の半数ずつを小田と財津が分け合うことになる。
また、『Silhouette 〜シルエット〜』収録曲の『白い貝のブローチ』の作詞を松本隆が担当したことがきっかけとなり、6枚目のシングル『白いパラソル』(81年7月21日発売)からは松本隆がほとんどの作詞を担当するようになる。
つまり、作家陣の大幅な入替えという意味でも、聖子さんにとってアルバム『風立ちぬ』は大きな転機となったのである。
大滝詠一の起用は松本隆人脈であることは間違いない。
二人は言うまでもなく伝説的バンドはっぴいえんどの元メンバーであり、大滝の『A LONG VACATION』の作詞もほとんどが松本隆によるものだった。
それだけでなく、このアルバムB面の『黄昏はオレンジ・ライム』の作曲と4曲の編曲を担当したのは同じくはっぴいえんどの元メンバーである鈴木茂、『雨のリゾート』の作曲には翌年『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』で大滝と組むことになる杉真理、先行シングル『白いパラソル』を初め3曲の作曲を提供したチューリップの財津和夫と、一アイドルのアルバムとは思えないほど日本ポップス界の精鋭陣(今となっては重鎮だ)が揃ったのである。
もちろん、作家陣にビッグネームを揃えたから素晴らしい作品が出来上がるとは限らない。
特にアルバムの半数を占める大滝の楽曲が聖子さんに合わない可能性もあるし、聖子さんが歌いこなせず、失敗に終わる可能性もある。
すでに定評あった三浦=小田作品でこれまで通りのアルバムを作っていた方が、制作する側からしたら安全だったはずだ。
当時、聖子さんの人気が落ちていたわけでもなく、特に方向転換が必要な時期だったわけでもない。
にもかかわらず、このようなリスキーなアルバムをあえて作ったというのは、聖子さんの能力、可能性に心から惚れこみ、その可能性を最大限に発揮したアルバムを作ろうというスタッフの気概以外の何ものでもなかったろう。
失敗のリスクを恐れず、この路線に舵を切った若松宗雄プロデューサーを始めとするスタッフの英断に心から拍手を送りたい気分である。(一方で三浦=小田作品を歌う聖子さんをもう少し聴いていたかったというファン心理も少なからずある。見果てぬ夢だが・・・。)
1981年10月7日、まずアルバムの発売前にタイトル曲『風立ちぬ』が先行シングルとして発売された。
私は発売前からラジオで聴いていたのだが、正直言って、それまでの聖子さんの楽曲とは全く違う、異様な曲に感じられた。
前述のように、すでに『A LONG VACATION』を聴き、大滝の楽曲に免疫の出来ていた私ですらそう感じたのだから、世の聖子ファンにはかなりの困惑があったのではないかと想像する。
実のところ、私自身この曲を本当に好きになったのはここ数年である。
それまで30年に渡ってずっと好きになれなかった、いや、なりきれなかった・・・。
(以後続く)
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プロフィール
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マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
リンク、コメント、TB等はご自由にどうぞ。
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