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Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの続きです。


ワンテイク

通常、映画監督は自分がどんなカットを撮りたいかを助監督に説明し、それを引継いだ助監督が全ての準備を整えます。
それから助監督は、監督の控え室に行って声をかけるのです。
「監督、撮影の準備が整っています」
監督は現場に現れ、リハーサルをし、撮影をしたりしなかったりするわけです。

メルヴィルの場合、その点は非常に明確に準備されました。
間際になって彼を呼びに行くと、彼は問います。
「準備はできたか?」
「はい、監督。 準備は万端です」
確かに我々は、彼を呼びに行く前に、上手くいかないところを何度もリハーサルして確認し、準備を万端にしていました。

そこにメルヴィルが現れ、リハーサルをし、あるいは、彼の慣習として、通常ワンテイクで撮影をしました。
彼は予備のテイクを見ようとはしませんでした。
というのも、最初のテイクが通常良い出来だったからです。
また、彼はリハーサルが好きではなく、控え室に戻ったものです。

彼は、珍しい方法で撮影をし、毎日が驚きの連続でした。
が、それは道理に適っており、我々が予想したような方向へはいかずとも、失望させられることはありませんでした。

ただ実は、彼は監督するにあたって ― 面白いことに ― 台本を持ってこなかったので、我々は前日やその朝に台本を再読せねばなりませんでした。
我々は彼がどう対応するか、撮影できるのか、不思議に思ったものです。

image101.gif撮影するシーンは特別な何かがあるようには思えません。
一番印象深い例として、ブールヴィルとジャン・マリア・ボロンテの列車のシーンを挙げますが、脚本を読むだけなら、特別変わったものは何もありません。
普通の監督にとっては、特別なシーンとはならず、単に短い場面を撮ることでしょう。
けれどもメルヴィルは常に次のようなセンスを持っていました ― 私はその言い方が好きでした ― 「Kiddo 、広がりをもたせよう」 (訳注:Kiddoとはベルナール・ストラの愛称と思われる)

「広がりをもたせる」とは、ごく些細な部分、脚本の中の3行ほどの部分を、何か重要なものへと膨らませることを意味しました。
事実、映画冒頭の列車のシーンに素晴らしいサスペンスがあり、見事な出来栄えとなっています。
最も単純な状況の中から、彼は物語を展開させるのです。

この項続く。

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for18410-01.jpgCriterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビュー(英語字幕)を翻訳して紹介したいと思います。
このインタビューは2003年に収録されたもので、30分にも及ぶものですが、メルヴィルの人となり、監督としての裏話など、興味深いエピソードが満載です。(インタビュアーの質問に答える形式ではなく、自ら思い出話をするという形式)
このインタビュー映像は、BFI盤DVD『仁義』にも全く同じものが収録されています。

なお、ベルナール・ストラBernard Stora)は1942年マルセイユ生まれの脚本家、監督(監督業はTVがほとんど)。
70年代までは助監督として、『シシリアン』(69)『フレンチ・コネクションⅡ』(75)などに関わっており、2001年には、TV映画『フェルショー家の長男』(ジャン=ポール・ベルモンドサミー・ナセリ出演)を監督しています。
脚本家としては、『なまいきシャルロット』(85。クロード・ミレール監督)の脚本でも知られています。


最初の印象

image98.gif私は初めて彼に会った時のことを覚えています。
彼は『影の軍隊』のダビング中で、ちょうどそれを終えたところでした。
確か69年11月であったと記憶しています。

メルヴィルは、他のフランスの映画監督のように生音を好んで、音のダビングを嫌う監督たちとは異なり、撮影後に音のダビングをすることを好んでいました。
彼は映画のセリフを変えたり、手直しして、物語の筋道を変えることを好み、そういうやり方を得意としていたのです。

私は彼がダビングをしている現場を見学した時のことを覚えています。
真っ暗の中、灯りがつき、そこでメルヴィルを見たのが最初です。
彼は大変存在感のある人物で、どこかごう慢な雰囲気を人に与えました。
彼は非常に魅力的な人物で、一面優しい人柄ですが、同じくらいごう慢さも持ち合わせていたのです。
その時、ド・ゴールのように胸を張って立った彼の姿は、いかにもごう慢な印象の方でした。

「あなたはジャン=ピエール・メルヴィルの助監督になりたいのですね?ならば、あそこの3番目の人に聞いてごらんなさい。」
私にとって、その時の状況は必ずしも好ましいものではありませんでしたが、滅多にない仕事のチャンスであり、私は本気でその仕事を望んでいました。
私はすでに著名な映画監督との仕事を経験済みでしたが、メルヴィルは当時すでに、伝説的といえる存在になっていたと思います。

この項続く。

Criterion盤DVD『恐るべき子供たち』のブックレットに掲載された『ニコール・ステファーヌの思い出』と題された談話の続きです。


image97.gif私は、詩人(訳注:もちろんコクトーのこと)が撮影所に顔を出すことが特に好きだった。
彼は差し入れを持ってきては皆を狂喜させ、彼の前では上手く演じられるエドゥアール・デルミットを勇気付けていたのだ。
彼は撮影所をまるで猫のように行き来し、スタッフを魅了し、私たちを夕食に誘い、深夜、密かに帰ったものだ。
 
私は、病気になったジャン・ピエールの代役を詩人が瞬時に務めた日のことを覚えている。
それは我々が海辺のシークエンスを撮影していた時だった。
私たちはまるでバカンスの子供たちのようだったし、彼がその代役を喜んでいたのがよく分かった。
彼は私に話したものだ:
「私の可愛い人よ、君はこのように演じるべきではないのかな」
私は“彼の可愛い人”であることに感激した。

ある日の昼食時、印象的な眼を持った控えめな感じの男性が部屋に入ってきた。
彼はウットリするほど冷たく青い眼をしていた。
彼はジャン・コクトーの真向かいに座り、それから熱のこもった論議が始まった。
彼は、サラ・ベルナールと19世紀のコメディ・フランセーズについて話をした。
私の耳にはいまだに彼の騒々しい笑い声が、眼(まなこ)には彼がコクトーの真向かいに座っている光景が残っている。
その人物はジャン・ジュネであった。
 
image96.gif寝台車のシーンで、ギリシャ人風の横顔を造るため、私は鼻の上に洗濯挟みを当てることになっていたのだが、あまりの酷い痛みに耐え切れず、思わず“カット!”と叫んでしまった。
それに対しジャン・ピエールは激怒し、私が彼の権限を奪ったことを決して許さなかった。
すべてのスタッフ、技術者たちは、彼の私に対する激烈さに呆然としていた。
けれども次の2日間、私の鼻がひどく傷付いてしまったため、私は撮影をすることができなかった。
 
『恐るべき子供たち』以後、ジャック・ベルナールと私だけがいまだ近しい関係にある。
エドゥアール・デルミットは、亡くなる数日前、私に次のように言った。
「あの映画で医者が私を診察しながら“33、33”と私に言わせたシーンのことを覚えているかい?幸福だったあの頃が懐かしいよ。」
 
批評家たちは映画に対してさして好意的ではなかったし、また、彼らの任務が再びジャン・コクトーを痛めつけることであったにせよ、確かに私たちは幸福であった。
映画に対する誤解によって傷ついたコクトーは、アンドレ・フレニョーによるインタビューの中で次のように語っている:
「批評家に酷評されたこの映画は、作品に見合った十分な評価が与えられていません。いまや、この映画の見地からの理解なしに、また、ニコール・ステファーヌとエドゥアール・デルミットの主役のイメージなくして、『恐るべき子供たち』の本を再読することは私にとって不可能なのです。何度も言いますが、私はこの映画に惚れ込んでいます。そして、この映画はいつの日か必ず名作と呼ばれることでしょう。」

コクトーの言葉は全くもって予言的だった。
公開から25年後に、フランソワ・トリュフォーが「ジャン・コクトーの最高の小説が、ジャン=ピエール・メルヴィルの最高の映画になった。」と書いたように、私もコクトーのその言葉を今日さらに強く確信するようになっているのだ。



この項終わり。

for47778-01.jpgCriterion盤DVD『恐るべき子供たち』のブックレットに掲載されている、エリザベート役のニコール・ステファーヌによる「ニコール・ステファーヌの思い出」と題された談話を翻訳して2回に分けて紹介します。

ニコール・ステファーヌは2003年に亡くなりましたが、メルヴィル監督の長編処女作『海の沈黙』でも重要な役柄である姪役を務めるなど、特にメルヴィル監督の初期には因縁浅からぬ関係にありました。


ジャン=ピエール・メルヴィルとジャン・コクトーに対する次の賛辞は、『恐るべき子供たち』の主演女優ニコル・ステファーヌによって、シネマテーク・フランセーズにおける1999年開催の彼女の業績の回顧展に伴う目録のために書かれた。
これは、今回のDVDのリリースのためにアレクサンドル・マビヨンによって翻訳されたものである。
ステファーヌは、2007年3月に亡くなった。

ニコール・ステファーヌの思い出

私は当時24歳で、ちょうど、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の下で『海の沈黙』(1949)を撮り終えたばかりだった。
私は、この口数少ない人物が、私の女優としてのキャリアを変えることになろうとは想像すらできなかった。

『海の沈黙』のプレミアの夜、多くの群衆によって周囲を取り囲まれている私を、ジャン・ピエールは自分が会わせたがっていた人物の前に、何も言わずにいきなり押し出した。
その人物には、そんなことでもなければ自分から話しかけることは決してなかったであろう…なぜなら、私は長い間その人物をずっと尊敬していたのだから。
私を魅惑したその人物が、ジャン・コクトーその人であった。

コクトーは、彼がジャン・ピエールに『恐るべき子供たち』(1950)を監督するように依頼したこと、そして私がエリザベート役を演ずることになるはずだと私に話した。

コクトーが私に、エリザベート役を演じることを、当たり前のように、ごく自然に求めたことに私は大変に感動した。
この冒険は私を夢の国へと駆り立てたのである。

image95.gif『恐るべき子供たち』の撮影は6週間続き、そしてその半分以上が夜に撮影されたために、その夢のような経験はいっそう強烈なものとなった。

それでもなお、決して万事が容易に運んだわけではなかった。
というのも、ジャン・ピエールとコクトーの感性が、芸術的に大変一致点が多いにもかかわらず、他の多くの段階で衝突したからである。

まず第一に、音楽である。
コクトーはジャン・ヴィエネル(訳注:元々クラシック畑の作曲家、演奏家だが、ジャズにも造詣が深い。ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』の音楽でも有名)の起用を望んでいたが、ジャン・ピエールはバッハの4つのピアノのための協奏曲を使用することを希望したのだ。
これに関しては、ジャン・ピエールが勝利を収めた。

次に、エドゥアール・デルミットについてである。
ジャン・コクトーは彼がポール役に完璧だと考えていたが、ジャン・ピエールは彼に、役に必要な人間的なもろさを見い出しかねていた。
この対立でジャン・ピエールは敗れてしまい、そのことで彼はエドゥアールに対しとりわけ厳しく要求するようになった。


 この項、続く。

image93.gifユニバーサル・フランスから発売されている『サムライ』のサントラCDのブックレットには、STEPHANE LEROUGEによるライナー・ノーツが掲載されておりますが、今回は『サムライ』に関する部分のみを翻訳して紹介します。
例によって、訳出に怪しい部分もありますが、ご了承下さい。


表向き、メルヴィルには若いフランソワ・ド・ルーべをビビらせるに充分な評判があった。
というのも、メルヴィルに関わった作曲家たちにとって、彼はある種、鬼のような存在だったからだ。
ステットソンを被ったこの映画監督は、ポール・ミスラキ(訳注:『いぬ』の作曲者)をほとんどノイローゼ状態にしてしまったし、ジョン・ルイスが『ギャング』のために録音したスコアを、暴力的なまでに拒絶してしまっていた。
メルヴィルという大物に対し、ド・ルーべが小さな子供のような振舞いをしたことは、ド・ルーべとロベール・アンリコ(訳注:『冒険者たち』の監督)の間にあった親しい兄弟のような関係の終わりを意味した。

ド・ルーべ曰く「後に彼も認めていますが、メルヴィルが私に接触してきた時、私はまだまだ無名でした。彼からの仕事の依頼が、私の評価を確立したのです。
ある朝、彼から『サムライ』の音楽の依頼の電話をもらった時、私は“喜んで”と答えました。
彼にとっての自由なコマとなったわけです。
メルヴィルは、誰であっても彼に従う人たちに対しては、とても愉快な人でした。
たとえ彼が私の友人たちと仲が悪くてもね。
彼との仕事はとても上手くいきました。
今日、私は同じことを言える自信はありませんが…。」

サムライ』におけるメルヴィルの仕事の依頼は緊急だった。
ド・ルーべには、スコアを作曲し録音するのに2週間しか時間がなかったのだ。
ベルナール・ジェラール(訳注:『冒険者たち』において、ド・ルーべのオーケストレーションを手伝っていた)は手が塞がっていたが、ミシェル・マーニュの一団からもう1人の裏切り者エリック・ドマルサンを推薦し、彼がオーケストレーションとレコーディング・セッションを引きついだ。

最初から、フランソワ・ド・ルーベは、映画の人工的なまでの美しさに魅了されていた。
その美しさはメルヴィルの明快さの頂点であり、同時にそれは、演じていることをまるで感じさせない、氷のように調和の取れたアラン・ドロンによってもたらされていた。

映画の始めの10分間は全くセリフがなく、それは作曲家にとっての完全なる自由を意味していた。
ド・ルーべ曰く「メルヴィルはごくシンプルな指示しか出しませんでした。音楽は、コステロの心の肖像画のように律動しなければならない。言わば、彼の過去、特に彼の運命によって特徴づけられた人間性のように流れなければならない、とね。
つまり、私は、コステロの運命を表現しなければならなかったのです…。」

よって、この、ミニマリストによる、ごく微細なテーマ音楽は、一つのアルペジオからほとんどが構成され、ジェフ・コステロを追いつめる不可避の出来事の連鎖を表現していたのだ。

image94.gifまた、ハモンドオルガン(エリック・ドマルサンによる提案)によって生み出された音楽が、劇的な効果を挙げていることにも注目しよう。
これは、ヴァレリー(カティ・ロジェ)によって―ローダ・スコットの吹き替え演奏だが―マルテのナイトクラブのオルガンで演奏される。
ヴァレリーは、故意ではないが、コステロの死を促進する破滅的メカニズムの誘因となる。

オープニングタイトルでソロが演奏される(エディ・ルイスによるものだ)オルガンの音色とフレージングは、すでにサムライの死の予兆としても捉えることができよう。
エンド・クレジットにおいて、ド・ルーべは、トランペット―都会の孤独感を表現するのに最も適した楽器だが―で同じテーマを悲痛なまでに繰り返し用いることを避けている。
メルヴィルは後にド・ルーべの音楽に大満足であったと告白した。
しかしながら、それから、メルヴィルはエリック・ドマルサンと共に仕事をしていくことになったのだが。

image92.gifユニバーサル・フランスから発売されている『サムライ』のサウンド・トラックCDを取り上げてみたいと思います。

このCDは、作曲者のフランソワ・ド・ルーベFrancois de Roubaix 1939~1975)が作曲した『冒険者たち』と『サムライ』の音楽を一枚のCDにまとめたものです。
残念ながら、国内盤は発売されておりませんが、輸入盤は比較的容易に入手できます。
フランスAmazonの商品ページへのリンク
日本のAmazonでも購入できます。リンクはこちら。

ロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』(67)は、私も個人的に大好きな映画ですので、その素晴らしい音楽も含め、いずれはこのブログでの取り上げてみたいと思いますが、今回は『サムライ』の音楽、曲にしぼって取り上げます。

このCDは、全部で23トラックが収録されており、前半の11トラックが『冒険者たち』の音楽、後半の12トラックから21トラックまでが『サムライ』の音楽となっています。
そして、22、23トラックが、ニコラス・エレーラによる『サムライ』のリミックス(ピアノ演奏も)となっています。

『サムライ』関連の曲目は次のようになっています。

12 Le samourai
13 Valerie
14 Martey's
15 La blessure
16 Hotel sandwich
17 Costello dans la ville
18 Jeff et valerie
19 Fatalite
20 Jeff et jeanne
21 Le destin de costello(final)

22 Le samourai se remixe(partie 1)
23 Le samourai se remixe(partie 2)
Piano et remix par Nicolas Errera(2005)

まず、これらのトラックが、『サムライ』のどの部分に使用されているかを検証してみましょう。

12 『Le samourai』
ハモンドオルガンを用いた映画のテーマといえる音楽で、映画冒頭でジェフ・コステロがベッドから起き上がる場面、その後、通りに出て車を盗む場面に使われている。
警察の尋問から解放され、タクシーに乗る場面にも。

13 『Valerie』
映画のラスト、ナイトクラブでヴァレリーがオルガンで演奏する音楽。
ヴァレリーが黒人であることが影響しているのか、大変ソウルフルな印象が強い。
確信はないが、映画の演奏ヴァージョンとこのCDのヴァージョンは演奏内容が微妙に異なるように感じられる。

14 『Martey's』
タイトルは本編中何度も出てくるナイトクラブの名前。
フルートを用いた穏やかな曲調の音楽。
映画のラストのナイトクラブの場面で、ヴァレリーが登場する前にバンドが演奏する曲に似ているが、このCDヴァージョンは映画本編では使われていないようだ。

15 『La blessure』
“怪我”という名の通り、ジェフが殺し屋に襲われた後、怪我の手当ての場面に使われている、トランペットが印象的な音楽。
眠りから覚め、再び手当てをする場面でも使われている。

16 『Hotel sandwich』
アコーディオンを用いたパリのムードに溢れた音楽。
映画の前半で、ジェフがアリバイ作りのために場末のホテルにポーカーの様子を見に行く場面で使われているが、映画の後半で、ジェフがヴァレリーに電話するために入るカフェの場面にも使われている。

17 『Costello dans la ville』
曲の前半部分(00:25-01:08あたり)が、映画冒頭でジェフがトレンチ・コートを着て帽子を被ってアパートの部屋を出る場面に使われている。
一番最初にジェフがジャーヌのアパートに行く場面でも、この曲の冒頭部分が使われている。
また、曲の後半部分(01:06-01:30あたり)が、車を盗んだ直後のジェフが、車に乗った女性の視線を無視する場面にも使われている。

18 『Jeff et valerie』
映画中盤、ジェフがヴァレリーの様子を見にナイトクラブへと現れる場面で使われる。
ナイトクラブで、ヴァレリーがピアノトリオでこの曲を演奏しているという設定である。
この曲を演奏中のヴァレリーとジェフは見つめ合う。

19 『Fatalite』
“宿命”という意。
曲の冒頭部分のみ(フルート?が使われている)、ジェフがガレージのオヤジから拳銃を受け取る場面に使われている。(2度とも)
曲の前半部分(00:18-01:03あたり)が、ジェフがヴァレリーの元から自分のアパートに帰り、電話をかけようとする場面に使われている。
そこでジェフは、鳥の様子から盗聴器の存在に気づく。
不安げで暗い曲調から、後半快活な曲調と変わるが、その部分(01:03-最後まで)が、ジェフがオリヴィエ・レイの元へ行くため、アパートから街へと出る場面に使われる。
ここから有名な地下鉄狩りが始まる。

20 『Jeff et jeanne』
サムライのテーマのピアノ変奏曲風で、ピアノの響きが印象的。
ジェフとジャーヌが最後に部屋で別れる場面で使われているが、タイトルに反して、ジェフとヴァレリーが一緒に車に乗る場面にも使われている。

21 『Le destin de costello(final)』
エンドクレジットで流れる。
15トラック『La blessure』の双子のような曲だが、こちらは映画のラストに相応しい終わり方をしている。
哀愁に満ちたトランペットがコステロの死を悼んでいるかのよう。

22 Le samourai se remixe(partie 1)
ニコラス・エレーラ
によるリミックス、ピアノ演奏で 『Le samourai』を叙情的にピアノで演奏したようなヴァージョン。

23 Le samourai se remixe(partie 2)
22トラック同様、ニコラス・エレーラによるリミックスで、いくつかのトラックがつなぎ合わされている。
ビートの効いた現代的な印象のリミックス・ヴァージョン。

ちなみに、先日ユニバーサル・フランスから発売された『Jean-Pierre Melville Le Cercle Noir』には『サムライ』から2トラック収録されております。
Le samourai』と『Fatalite/La blessure』ですが、『Fatalite/La blessure』は二つの曲がつなげられたトラックですので、実質3トラック収録されていると考えてよいかと思われます。

image91.gifThe Killers』(46年)
監督:ロバート・シオドマク
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
脚本:アンソニー・ヴェイラー、ジョン・ヒューストン
撮影:ウディ・ブレデル
音楽:ミクロス・ローザ
出演:バート・ランカスター、エヴァ・ガードナー、エドモンド・オブライエン、アルバート・デッカー

ヘミングウェイの同名短編小説の映画化で、かの大作家も激賞したとか。
実は、ほとんどの部分が映画用の創作らしいです。
ノンクレジットですが、ジョン・ヒューストンが脚本に参加しており、後にドン・シーゲル監督がリー・マーヴィンらを起用してリメイクしていることでも有名です。(『殺人者たち』)

私自身は2度目の鑑賞。
image90.gif初めて観た時も思いましたが、全くもって素晴らしいフィルム・ノワールの傑作です。
大きな謎が一つ一つ解き明かされてゆく展開に釘付けとなり、全くもって目が離せません。
中でも、観ていて驚かされたのが、長廻しワンカットでとらえた帽子会社の給金強奪シーンで、全く無駄のない、流れるような動き(4台の車がそれぞれ違った方向へと動き出すシーンの凄さ!)、そしてそれを的確に捉えたキャメラが実に見事。
何回リハーサルしたら、あんな凄いカットが撮れるのでしょうか。
ミクロス・ローザの音楽も、映画を盛り上げて素晴らしい出来ですし、裏切りが裏切りを生む後半の展開も、ノワール的としかいいようのない見事な作品です。

私はジュネス企画から出ているDVDを所有しており、画質は“例によってアレ”ですが、VHSよりは若干ながらもマシなので、これは手放せません。

d76c5a73.gifこの作品は、バート・ランカスターのデビュー作とのことですが、もともと老け顔のせいでしょうか(失礼!)、それを感じさせません。
エヴァ・ガードナーとのシーンが特にいいですね。
保険調査員のエドモンド・オブライエンが実質的に主役で、ほとんど私立探偵のような活躍ぶり。
エヴァ・ガードナーのいかにも男を狂わせそうな美女ぶり、ファム・ファタールぶりも印象的で、この役は彼女くらい美しくなければ話にならないでしょう。

先日記事を書いた『キッスで殺せ』にも出演していたアルバート・デッカーが、コルファクス役を演じ、この作品では存在感を発揮しています。
他にも、刑事ルビンスキーを演じたサム・レヴィーン、ランカスターの獄中の友人である老人チャールストンを演じたヴィンス・バーネット、強盗仲間のチンピラギャングのダムダムを演じたジャック・ランバートなどなど、味のある個性を発揮しており、キャストが大変充実した作品です。

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マサヤ
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趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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