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Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


ブールヴィルの変貌』(続)

image110.gif最後に- これはメルヴィルの直観力の見事な冴えでしたが- ブールヴィルはノルマンディーなまりの影響で、すべての音節を長引かせる癖がありましたので、メルヴィルは彼に言葉を飲み込むように求めました。
例えば、je vais と言う代わりに、j 'vais と言って、音節を縮小するのです。

これはブールヴィルにとって難事でした。
彼はそのような話し方に全然慣れていなかったのです。
けれども、彼は非常に誠実で、良心的な男でした。
彼はモンタン同様、ミュージック・ホール出身でしたので、演技はもちろん、新しいことを学ぶことには慣れていたのです。
ブールヴィルは自分のすべてのセリフをそうやって覚えました。
彼にとって、大変なことだったと思われます。

演技にあたって、先ほど一例をあげたような音節の縮小のことや、それがセリフに頻発することを考えたら、警視を演じることを考える余裕などないはずです。
俳優は、意識を集中することに慣れたすべての物事を、頭の中から押し出すものです。(訳注:この部分のニュアンスがうまく訳出できません)
メルヴィル的俳優になることは、大きな制約を伴うのです。
ブレッソン的俳優のように、ある信仰上の態度や自らの表現方法、ある機械的な特質とまではいかないまでもね。

ブールヴィルは初めはメルヴィル的俳優ではありませんでしたが、彼はメルヴィル的俳優になりました。
メルヴィルはブールヴィルに対し、大いに尊敬の念を抱きました。
が、ブールヴィルは非常に疲れていました。
というのも、彼は当時、すでに病に犯されていたのです。
彼はセットを去る余裕すらありませんでしたが、常に非常に誠実な態度で撮影に臨みました。
結果、メルヴィルはブールヴィルに対して大変敬意を抱くようになったのです。

image109.gifブールヴィルがただ一度だけふざけたのは彼の出演シーンの最後の撮影日でした。
我々はモンタンとドロンが死ぬシーンを撮っていました。
そして、ブールヴィルが去ってゆく場面 - 次のような監査局長とのラスト・シーンです。
「すべての人間?」
「そう、すべての人間だ、マテイ君。」
移動撮影で、我々は非常にドラマティックなこのシーンを何度か繰り返していました。

ブールヴィルは、3カ月の映画撮影の間、メルヴィルに対して、何か特別なことで話しかけたり、訊ねたりしませんでしたが、その撮影の最後、メルヴィルに近づいて訊ねました。
「ムッシュー・メルヴィル、私のために、もうワンテイクよろしいですか?」(ブールヴィルの口調で)
メルヴィルは非常に驚き、言いました、「もちろんです、ムッシュー・ブールヴィル。 (スタッフに向かい)移動台を押して!」

それは、ブールヴィルが去ってゆく素晴らしいカットのことで、監査局長を演じていた老俳優(訳注:ポール・アミオ)との次のような会話です。
「すべての人間が罪人ですか?」
「そう、すべての人間だ。」

それに対して、ブールヴィルは言いました、
「すべて、ではありません、監査局長。なぜなら、-『La Tactique du Gendarme』」(とブールヴィルの口調で歌を歌いだす)』(訳注:この歌は歌手ブールヴィルの持ち歌で、「憲兵の駆け引き」の意)
もともと笑うことが好きなメルヴィルを含め、その場は笑いに包まれました。
それは ブールヴィルが撮影でただ一度自らに許した悪戯だったのです。


次回は、ヴォージェル役のジャン・マリア・ヴォロンテについてです。

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Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


ブールヴィルの変貌

image108.gifブールヴィルはもともと出演予定ではなく、リノ・ヴァンチュラが演じる予定でした。
しかし、メルヴィルは他人と喧嘩するという素晴らしい才能があったため、ヴァンチュラと仲違いしてしまいました。
メルヴィルに「ブールヴィルを起用すべきだ。」と進言したのはプロデューサーのロベール・ドルフマンです。
メルヴィルがこう話したのを覚えています、
「愚かなアイデアだ、 刑事役のブールヴィルなんて! 彼が口を開ける度に、『La Tactique Du Gendarme』や『Les Crayons』 - ブールヴィルが歌っていた歌謡曲 - を歌い始めるのを期待してしまうぞ。」

メルヴィルはブールヴィルをメルヴィル的俳優であるとは捉えていませんでしたが、前にお話したように、メルヴィルは俳優を指導せずとも、俳優を自らの宇宙に引き入れる並外れた才覚を持っていました。
私は彼がどのようにブールヴィルに対処したか覚えています。
メルヴィルはブールヴィルに何か説明したり、議論をしたりしませんでした。
それはメルヴィルのやり方ではないのです。
彼は3つの側面から始めました。

まず、最初にメルヴィルは、有名なパリの仕立屋- どこだったか覚えていませんが -でブールヴィルのためスーツを誂えました。
ブールヴィルは田舎出の素朴な男で、このようなスーツを着ない人でした。
彼はスーツを買う余裕はありながらも、そうしなかったのですが、一方、メルヴィルは非常にお洒落で、生地屋、仕立屋、靴屋、帽子屋などを知っていました。
ブールヴィルは、人生で初めて、自分の体に完璧に合った上等なテーラードスーツを着ました。
彼は鏡を見て言いました、「おい、なんて男前なんだ!」

次に、ブールヴィルは少し禿げかかっていましたので、メルヴィルはブールヴィルのためにかつらを作らせました。
鏡の中の自分の姿を見て、ブールヴィルはそれが自分自身だとほとんど識別できなかったほどです。

それから我々は彼を有名な帽子屋に連れて行き、ソフト帽を試着させました。
ブールヴィルはソフト帽をかぶらない人でした。
ソフト帽は当時すでに流行遅れのスタイルでしたからね。

こうして、ブールヴィルの外見は日毎に変化していき、ブールヴィルは以前の彼ではなくなっていました。
ブールヴィルも、他の人たちと同様、お似合いの服装の着心地が悪いはずもなく、以前とは違う人間、仕事ぶりとなっていったのです。


この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


動物の友

メルヴィルは動物愛好家でした。
彼は動物の友人であり、周囲の人々に対するよりずっと丁重に動物を扱いました。
彼の家は猫だらけでした。
動物を愛していたのです。

image106.gif彼は同じく爬虫類も好きで、舞台監督が埠頭から持ち帰って、ジャンセン(訳注:イヴ・モンタンの役名)の家のクローゼットを満たした小動物も皆好きでした。
あのシーンでは、本物の動物と同様、人形使いによって操られた動物も中に混じっています。

もちろん、人形使いによって操られた動物は、常に本物のように動くわけではありませんが、本物の動物は隠れてしまったり、クローゼットから出てこなかったりしましたので、我々はそれらを押したり、こづいたりしなければなりませんでした。
我々が不幸にも小動物の足をつかんで少々強く引っ張ったりした時など、メルヴィルが声を上げたものです、「君は何ということを! 小さな足を引っ張るとは!」

もちろん、これは単なるエピソードに過ぎませんが、このインタビューで期待されている話はこんなことでしょう。
撮影は大変でした、ばかばかしいほど。
こういったタイプの撮影現場ではよくあることですが。
現場は笑いに包まれまていましたが、狙った効果が得られない時には、逆に緊張感が走りました。
ベッドの上で横になっているモンタンの口元に、よだれをたらしながら小動物が迫っていったりしたからです。

この撮影日がとりわけおかしかったことを覚えていますので、映画を観る度に、間に合わせで撮られたこれらのシーンに対する観客の反応を知って、いつも驚かされます。

巴里の屋根の上に

image107.gif私は、ヴァンドーム広場の建物の屋上に上がったメルヴィルが、そこからの素晴らしい眺めを見るために、椅子を所望したことを忘れることができません。(笑)
それは、屋外にいるにもかかわらず、まるで彼がスタジオ撮影時のようにステットソン帽とレイバンのサングラスを着用し、大変穏やかに撮影をした、ちょっとした見ものでした。
まあ、その時の彼は、撮影時には例のないほど穏やかでした。


このインタビューはまだまだ続きます。
次回からは出演俳優のエピソードとなります。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


メルヴィル・システム』(続)

image105.gifメルヴィルが物事を彼独自の世界へと変えた方法についてですが、彼が俳優を指導したというのは正しい表現ではありません。
むしろ、彼が俳優たちを鼓舞したと言う方がより正確でしょう。

彼が俳優を教えることなどありませんでしたが、俳優がメルヴィル的俳優になるのと同様、彼には方法があったのです。
過去にメルヴィルと仕事をしていたドロンのような俳優たちは、例え、何をしていても、天性のメルヴィル的俳優でした。

メルヴィルが俳優を選択する時、役の軽重にかかわらず、彼には鋭い本能がありました。
彼はまったく俳優たちを演出しませんでしたが、予め、彼のシステムに合う役柄を演じられるような俳優たちを選んでいたことも事実でした。

例えば、彼はエキストラの俳優に突然、重要な役をふるという不思議な才覚がありました。
我々スタッフがエキストラの一人としてしか見ていなかった俳優を、です。
彼はエキストラの俳優に、突然「ムッシュー・ ○○」と声をかけたものです。
彼はすべてのエキストラを知っていました。
当時のエキストラは、プロでしたから、我々も、彼らをファースト・ネームと姓名によって知っていました。
我々はあらゆる映画で彼らを見て、相応のシーンのために彼らを招いていたのです。
メルヴィルは彼らのことを実によく知っていました。
何人かの俳優を好み、彼らを名前で呼んでは、時には役を与えることもあったのです。

自分は大した俳優ではないと思っていたり、また、ミュージック・ホール上がりの落ちぶれた俳優だと諦めていたエキストラの俳優たちが、突然、予想もしていなかった重要な役をふられ、衣装まで用意されたのです。
重要な役柄を演じ、自らの活躍する場を得た彼らは変貌しました。
メルヴィルは、何も言わずに彼らを一変させたのです。

image104.gifそして、やはり彼のアイデアでしたが、『仁義』では、優れたオーケストラ指揮者であったアンドレ・エキヤンがギャング役を演じています。(訳注:リコ役)
彼はいかにもその役らしく見え、自らの俳優としてのぎこちなさを上手く利用していたので、大変印象的です。
これには本当に驚かされました。

監督の偉大さの要因とはなんでしょうか?
説明することは難しいですが、簡単に言って、我々が持ちえないアイデアを持っていることです。
それは、人々を不意打ちのように驚かせるのです。
映画監督の助手を務めたり、いつの日か自ら映画を制作する希望を持っている人たちは、人々の行動を観察するという、ある種の修行段階にいるわけですが、その人たちにとって理想的な状況とは、驚きを与える監督と巡り合うことです。

この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの翻訳の続きです。


メルヴィル・システム

image102.gifメルヴィルにはあるシステムがありました。
それは、とても奇妙なことですが - 彼は何も言う必要がなくとも、俳優がメルヴィル的俳優に、セットがメルヴィル的セットになったのです。
私はこれについてどう説明すべきか分かりません。

彼には独自の世界を再創造できる非常に強いスタイルがあり、周囲の物事が、メルヴィル的見地に従って、再構築されたのです。
少々哲学的、あるいは抽象的で、妙なことを言うように思われるでしょうが、本当にそうであったのです。

彼は監督するにあたって、あらゆる詳細を練り上げていたわけではありません。
例えば、私は見習いとして、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーと仕事をしましたが、彼は『愛の地獄』を完成することができませんでした。
シャブロルが、後にそれを引き継いで撮影しましたが(訳注:94年に完成)、そこには、クルーゾーによってすべてが計画、立面図、スケッチによって、取り決められ、準備、作成されていたのでした。

しかし、メルヴィルの場合、そのようなことはありませんでした。
が、彼には撮るべきシーンのアイデアがありました。
彼はそのアイデアを説明し、我々はそのための準備をしましたが、彼はひと目見て、即座にすべてを変えてしまう、素晴らしい直感を持っていました。
疑いなく、私が出会った映画監督の中でも最も偉大な監督です。
彼は俳優の動く空間の組織化、いわば、その空間の使い方に真の直感力があったのです。
それは実に見事で、彼は自分がしていることを完全に把握していました。

正直なところ、私には、どちらかと言うと陳腐で、さして良くないと思えた脚本が、彼によって、素晴らしいシーンへと変わってゆく手法に最も感心させられました。
私にとって、『仁義』は監督の完全な演出力によって支えられた、真の映画です。

『仁義』は、ストーリーそのもの以外にもしっかり観るならば、カメラ・アングル、照明、セット、俳優の動きなど、ひたすら監督の演出力によってのみ成り立っている映画なのです。
ただストーリーを追うだけなら、私も脚本を読んだ時に少し感じたように、「ここからどんな映画ができるでしょうか?」
けれども私は、脚本の単純な、また、ありきたりとも思える部分が、メルヴィル的宇宙に属する何か特別なものへと見事なまでに変化してゆく手腕に、毎日驚かされました。


この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの続きです。


宵っぱり

そうです、メルヴィルは撮影が嫌いでした。
メルヴィルは夜型人間、宵っぱりだったので、撮影は、彼にとって悪夢でした。

彼が映画を撮影していなかった時は、自宅のすべての窓とシャッターを閉じて、周りに新聞がばらまかれている状態で、パジャマ姿でベッドの上でゴロゴロして過ごしていました。
夜が訪れるや否や、彼は着飾って、外出したものです。
彼は宵っぱりでしたから、ただ撮影のために起床しなければならなかったり、日中に外出しなければならないことは耐え難いことだったのです。

スタジオ撮影では、まだ耐えられましたが、屋外撮影であったり、あるいは午前9時からの撮影であったりした場合には、本当につらかったのです。
彼はそれをとにかく嫌がりました。

image103.gifそのうえ、映画撮影のロジスティクスに メルヴィルは興味を持ちませんでした。
欲していたのは撮影後の作業、特に編集が好きでした。
撮影後、何ヶ月にも渡って、編集作業に没頭していたのです。
彼は自宅に編集室を持ち、昼夜問わず一日中、編集室に入り浸っていました。
彼にとって、そここそが自身の映像を、落ち着いた環境の中、制作できる場所だったのです。
けれども実際の映画撮影をすることにはまったく興味を持ちせませんでした。
それは苦痛以外の何物でもなかったのです。
彼は人間的に魅力的な人物でしたが、撮影のせいで、よく彼は不機嫌になっていました。

彼は、撮りたいイメージの明確な目標を持った監督でしたが、物事が彼の望んだような形で完全に現実化されることはありませんでした。
それらは、決して彼が想像したような形で実現されることはなかったのです。
彼は、周囲のスタッフの反応の悪さから、自己の意図を十分に理解されていないと常に感じていました。
私が本当にかかわったと言えるのは、彼への反応の悪さだけでした。

この項続く。

Criterion盤DVD『仁義』の特典映像に収録された、助監督ベルナール・ストラのインタビューの続きです。


アメリカの友人

image100.gifメルヴィルはアメリカ人になりたがっていました。
彼はアメリカに対して大きな憧れを抱いていたのです。
それは奇妙なほどです。

メルヴィルのポリス・スリラーは非常にフランス的ですが、それは、フランス的ではない、ある神話の枠内のものでもありました。
それはアメリカ映画の、とりわけアメリカのフィルム・ノワールの神話によって、大きな影響を受けたものでした。
彼はアメリカに対し大いなる愛情を抱き、それが彼を駆り立てていたのです。

彼は巨大なアメリカ車に乗っていました。
そして、彼の大好きなものの1つであったパリ環状道路が当時建設中でした。
彼が好きであったものの1つが、深夜に、私を環状道路のドライブに連れ出すことだったのです。
彼は1人でいることを好まず、私を乗せて、大音量で音楽を流しながら、巨大なアメリカ車でドライブしたのです。
ステレオはその当時の最新型のもので、8トラックのテープ、と呼ばれていたと思います。
突然、彼はどこか他の場所にいるような気持ちになって言うのです、
「kiddo 、キレイだろ? 美しいと思わないか?」
その広い高速道路は、彼にとって、まるでアメリカの、ロサンゼルスの高速道路のように感じられたのでしょう。
彼はそのことに感動していました。

私は彼がナイーブな人間だったとまでは言いませんが、彼のアメリカに対する愛には、良い意味で、どこか純真なものがありました。

この項続く。

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マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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