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松田聖子がジャズアルバムを発売!
個人的には待望としか言いようがないプロジェクトであり、こうして現実化したことが今でも信じられない。
もっとも、いきなり結果を求めるのは酷かとも思ったが、これはアルバムとして期待以上の出来栄えである。
いや、間違いなく素晴らしい内容であり、あえて言えば、聖子さんが新たな金字塔を打ち立てたと言っても過言ではないと思う。
なにより選曲が良く、歌唱、アレンジ、演奏等、一曲一曲が高水準に仕上がっている。
聖子さんもとても丁寧に歌っているのが印象的。
アルバム全体の曲調も今の聖子さんの声質、音域に合っており、無理がなく安心して音楽に浸れる。
聖子さん自身”エレガントなジャズ”を目指したとかで、全体的にストリングスが目立つのが特徴。
言うまでもなく、ストリングスが入っているからジャズらしくないというわけではない。
『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』を始めとするフランク・シナトラの黄金期のキャピトル時代のバラード・アルバムにストリングスはことごとく入っているし、ジャズ・ヴォーカルの名盤であるナット・キング・コール『恋こそはすべて』、ビリー・ホリデイ『レディ・イン・サテン』、リー・ワイリー『ナイト・イン・マンハッタン』、ジョー・スタッフォード『ニューヨークの秋』といったところもストリングスの印象が強いアルバムである。
一言でジャズといっても、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーン、カーメン・マクレエといった黒人たちの圧倒的なジャズ・テイスト、テクニックは望むべくもないのだから、この路線で正解だろう。
もっとも、これがジャズアルバムなのか?という疑問はないでもない。
選曲もジャズ・スタンダードよりもポピュラーに傾きがちで、歌唱法的にもジャズのセンスはあまり感じられない。
こういう話を始めると、どうしても”ジャズ・ヴォーカルとか何か?”という問題に行きついてしまうのであるが、私自身、答えはこれだという確たるものがあるわけではない。
例えば、ノラ・ジョーンズがジャズ・ヴォーカルか否かというのも人それぞれ考えは異なるだろうし、結局、聴く人それぞれの感性次第ということになってしまう気がするのだが、この『SEIKO JAZZ』はジャズっぽさは今一つながら、ところどころに”らしさ”が感じられることもまた事実である。
もちろん、問題はジャズであるか否かということよりも、音楽として良いか否かである。
例えジャズであってもつまらないものは世の中にいくらでもあるし、ポピュラーであっても素晴らしいものはたくさんある。
”ジャズであるか否か”だけを良し悪しの判断基準にすることは間違っているだろう。
その意味において、これは大変に魅力的なアルバムであることは間違いない。
誰もが一度は耳にしたことのある、もしくは聴きなれた曲が並んでいるが、ジャズ風のアレンジを施されることによって一曲一曲が驚くほど新鮮に響く。
それは当然聖子さんの歌唱についても言える。
実はこのアルバムで印象的なのはいわゆる聖子風でない歌唱ではないかと思う。
とりわけ『イパネマの娘』、『マシュ・ケ・ナダ』は出色で、これまでの聖子さんの歌唱とはだいぶイメージが異なるが、これがなんとも魅力的なのだ。
無謀とも思えた『ドント・ノー・ホワイ』への挑戦も実に魅力的に仕上がっているし、なんといっても感動的な『追憶』・・・。
まったく聖子さんの懐の深さというか、奥深さには本当に驚かされる。
せっかくだからビッグバンドでスイングする聖子さんや、ピアノトリオなど、スモールコンボだけの伴奏でしっとり聴かせる聖子さんも聴きたかったが、最初からそれはさすがに無い物ねだりか。
まぁこのプロジェクトが続いていけば、おいおいそういった要素も加味されてくるであろう。
このアルバムでは使われていないようであるが、ジャズ・ギターやヴィブラフォンなどと聖子さんの声の組み合わせも是非聴いてみたい。
おそらく相性は良いと思う。
とにかく、これは聖子ファン、ジャズ・ファン(?)にとって(アルバム単位としては)久々の話題作であり、一聴の価値のある素晴らしいアルバムであると思う。
個人的には待望としか言いようがないプロジェクトであり、こうして現実化したことが今でも信じられない。
もっとも、いきなり結果を求めるのは酷かとも思ったが、これはアルバムとして期待以上の出来栄えである。
いや、間違いなく素晴らしい内容であり、あえて言えば、聖子さんが新たな金字塔を打ち立てたと言っても過言ではないと思う。
なにより選曲が良く、歌唱、アレンジ、演奏等、一曲一曲が高水準に仕上がっている。
聖子さんもとても丁寧に歌っているのが印象的。
アルバム全体の曲調も今の聖子さんの声質、音域に合っており、無理がなく安心して音楽に浸れる。
聖子さん自身”エレガントなジャズ”を目指したとかで、全体的にストリングスが目立つのが特徴。
言うまでもなく、ストリングスが入っているからジャズらしくないというわけではない。
『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』を始めとするフランク・シナトラの黄金期のキャピトル時代のバラード・アルバムにストリングスはことごとく入っているし、ジャズ・ヴォーカルの名盤であるナット・キング・コール『恋こそはすべて』、ビリー・ホリデイ『レディ・イン・サテン』、リー・ワイリー『ナイト・イン・マンハッタン』、ジョー・スタッフォード『ニューヨークの秋』といったところもストリングスの印象が強いアルバムである。
一言でジャズといっても、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーン、カーメン・マクレエといった黒人たちの圧倒的なジャズ・テイスト、テクニックは望むべくもないのだから、この路線で正解だろう。
もっとも、これがジャズアルバムなのか?という疑問はないでもない。
選曲もジャズ・スタンダードよりもポピュラーに傾きがちで、歌唱法的にもジャズのセンスはあまり感じられない。
こういう話を始めると、どうしても”ジャズ・ヴォーカルとか何か?”という問題に行きついてしまうのであるが、私自身、答えはこれだという確たるものがあるわけではない。
例えば、ノラ・ジョーンズがジャズ・ヴォーカルか否かというのも人それぞれ考えは異なるだろうし、結局、聴く人それぞれの感性次第ということになってしまう気がするのだが、この『SEIKO JAZZ』はジャズっぽさは今一つながら、ところどころに”らしさ”が感じられることもまた事実である。
もちろん、問題はジャズであるか否かということよりも、音楽として良いか否かである。
例えジャズであってもつまらないものは世の中にいくらでもあるし、ポピュラーであっても素晴らしいものはたくさんある。
”ジャズであるか否か”だけを良し悪しの判断基準にすることは間違っているだろう。
その意味において、これは大変に魅力的なアルバムであることは間違いない。
誰もが一度は耳にしたことのある、もしくは聴きなれた曲が並んでいるが、ジャズ風のアレンジを施されることによって一曲一曲が驚くほど新鮮に響く。
それは当然聖子さんの歌唱についても言える。
実はこのアルバムで印象的なのはいわゆる聖子風でない歌唱ではないかと思う。
とりわけ『イパネマの娘』、『マシュ・ケ・ナダ』は出色で、これまでの聖子さんの歌唱とはだいぶイメージが異なるが、これがなんとも魅力的なのだ。
無謀とも思えた『ドント・ノー・ホワイ』への挑戦も実に魅力的に仕上がっているし、なんといっても感動的な『追憶』・・・。
まったく聖子さんの懐の深さというか、奥深さには本当に驚かされる。
せっかくだからビッグバンドでスイングする聖子さんや、ピアノトリオなど、スモールコンボだけの伴奏でしっとり聴かせる聖子さんも聴きたかったが、最初からそれはさすがに無い物ねだりか。
まぁこのプロジェクトが続いていけば、おいおいそういった要素も加味されてくるであろう。
このアルバムでは使われていないようであるが、ジャズ・ギターやヴィブラフォンなどと聖子さんの声の組み合わせも是非聴いてみたい。
おそらく相性は良いと思う。
とにかく、これは聖子ファン、ジャズ・ファン(?)にとって(アルバム単位としては)久々の話題作であり、一聴の価値のある素晴らしいアルバムであると思う。
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プロフィール
HN:
マサヤ
性別:
男性
趣味:
フランス映画、ジャズ
自己紹介:
フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のファンサイト附属のブログです。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
リンク、コメント、TB等はご自由にどうぞ。
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