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『ジャック・ドゥミ初期作品集DVD-BOX』が6月27日に紀伊国屋書店より発売になることはこのブログでも既にお知らせ済みですが、それを記念しまして、来月『ジャック・ドゥミ作品と女優たち』と題したDVD上映会が紀伊國屋サザンシアターにて行われます。
プログラム:ジャック・ドゥミ監督作品
●『ローラ』(84分/1960年/モノクロ) 主演:アヌーク・エーメ
●『シェルブールの雨傘』(91分/1964年/カラー)主演:カトリーヌ・ドヌーヴ
(いずれもDVDでの上映)
日時:7月4日(土) 13:30開演(13:00開場)
会場:紀伊國屋サザンシアター(新宿南口 紀伊國屋書店新宿南店 7階)
料金:1,000円(全席自由、税込)
前売りもあります。
詳しくはこちら
私はこの日東京を離れておりますので残念ながらうかがえませんが、ジャック・ドゥミ作品をスクリーンで、とりわけ“ヌーヴェル・ヴァーグの真珠”(ジャン=ピエール・メルヴィル)と言われる『ローラ』を観られる貴重なチャンスです。
来る11月、大阪にて『第15回 大阪ヨーロッパ映画祭』が開催されます。
公式サイト
内容は、「ヨーロッパ最新映画作品上映」、「伝説の巨匠 デビット・リーンとモーリス・ジャール」、「ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて」、「東欧・ロシア“20世紀・映画の旅”」などですが、とりわけフランス映画ファンにとって興味深いと思われるのが「ヌーヴェルヴァーグから遠く離れて」。
上映作品は以下の通り。
『美しきセルジュ』(シャブロル)、『シュザンヌの生き方』(ロメール)、『モンソーのパン屋の女の子』(ロメール)、『恋人のいる時間』(ゴダール)、『男性・女性』(ゴダール)、『愛の昼下がり』(ロメール)、『クレールの膝』(ロメール)、『いとこ同志』(シャブロル)、『ミュリエル』(レネ)、『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』(レネ)、『彼女について私が知っている二、三の事柄』(ゴダール)、『女は女である』(ゴダール)、『5時から7時までのクレオ』(ヴァルダ)、『幸福』(ヴァルダ)、『パリところどころ』(オムニバス)、『O侯爵夫人』(ロメール)、『ラ・ピラート』(ドワイヨン)
上映スケジュールはこちら。
トリュフォー、リヴェットなどの作品がないのが寂しいといえば寂しいですが、これだけの数のヌーヴェルヴァーグ作品がスクリーンで観られる機会もそう多くはなく、貴重な機会となることでしょう。
前回紹介した『勝手にしやがれ』のクライテリオン(Criterion)盤の特典映像に収録されたジャン=ピエール・メルヴィル監督の1963年のインタビューの日本語訳の続きになります。
Q:現在、ヌーヴェル・ヴァーグに対するあなたのスタンスはいかがでしょうか?
M:私は自分をヌーヴェル・ヴァーグの一部分だと思ったことはありませんね。
ヌーヴェル・ヴァーグが1959年に生まれた時には私はすでに旧世代の人間でしたから。
Q:では、家族の友人とでもいった方が?
M:ええ(笑)。
もちろん、私は彼らのことがとても好きでしたし、今でもそうです。
彼らは多くの試みをし、実際成功したものもあります。
ヌーヴェル・ヴァーグは162人の才能を生み出しましたが、残ったのは数人です。
よく言って、おそらく4~5人でしょう。
抜け目なくも今になってから誇らしげに言う人たちもいます、“おい?ヌーヴェルヴァーグは今やガタガタじゃないか!”とね。
だからといって、私は急に彼らに背を向ける気はありません。
特に私は彼らが活動を始めた頃からの仲間でしたからね。
彼らに対する私の立場は、あなたがさっき言われた“インディアン”というよりも、かろうじて助言してきた兄貴分といったところでしょうか。
その助言はたいてい、まず聞き入れてはもらえませんでしたが。(この辺りの翻訳は自信ありません)
Q:あなたが印象的な役柄を演じた『勝手にしやがれ』でヌーヴェル・ヴァーグは成功を収めました。
一方で、ヌーヴェル・ヴァーグが大きな失敗を仕出かしたのも否定できません。
一例を挙げますと、ゴダールの『カラビニエ』はごくわずかな観客動員に終わりました。
あなたのお考えではいかがでしょう?観客が飽きたのでしょうか?それとも、監督たちが行き詰っているのでしょうか?
M:私はゴダールを個人的に知っていますが、彼は特殊なケースですね。
なにより、彼は極めて聡明な人間ですよ。
事実、彼らの内の何人かは実に知性に恵まれた人たちです。
トリュフォー、シャブロル、マルは特にそうですね。
Q:知性は映画監督にとって、不可欠の条件なのでしょうか?
M:いや、決して重要ではありません。
それなしでも映画は撮れますよ。
実際、優れた映画監督の中には頭が良いとは言えない人もいますし。
Q:私は彼らに知性が欠けていると言うつもりはありませんが…。
M:頭が悪くとも優秀な監督がいたのは事実ですよ。
ええ、知性は監督の必要条件ではありません。
Q:では、彼らの知的な一面を話していただけますか?
M:知性に恵まれた監督たちの中でも、ゴダールは特別な、とりわけユニークなアーティストですが、私は彼が映画作家であるとは完全には確信していません。
もともと『勝手にしやがれ』はあと一歩で失敗作になりかねない作品でした。
とにかく長過ぎたんです。
ゴダールは多くのカットを削除しなくてはならなくなったのですが、突然彼は同じカット内で削除をしたり、シークエンスをまるごと削除するなどの素晴らしいアイデアを見つけたのです。
我々なら決して成し得ないような大胆さでね。
あるカットの冒頭や途中や最後を削除して短くするなんて我々はまず考えませんからね。
ゴダールはそれをやったし、彼の大胆さが素晴らしい結果を生んだんですね。
結果、今日に至り、映画は特別な魅力と洗練さを得たのです。
この項終わり
『勝手にしやがれ』のクライテリオン(Criterion)盤の特典映像に収録されたジャン=ピエール・メルヴィルの1963年のインタビュー(時間にして5分半ほど)を翻訳して2回に分けて紹介します。
いうまでもなく、メルヴィルは『勝手にしやがれ』に作家パルヴュレスコ役で俳優としても出演していますし、当時は監督のジャン=リュック・ゴダールの兄貴分のような存在でもありました。
このインタビューは自身の映画よりもヌーヴェル・ヴァーグに対してメルヴィルが語っている貴重なインタビュー映像です。
翻訳に当たっては、ほとんど英語字幕を参照していますが、例によって、かなり訳出の怪しい部分もありますので、誤りなどありましたらご教示いただければと思います。
Q:ジャン=ピエール・メルヴィルさん、処女作『海の沈黙』以来ずっとあなたは主流の映画業界から離れたところで仕事をされてきましたね。
それは、あなたが映画を撮るためには唯一の方法だったのでしょうか?
M:もちろんです。新参者は常に同じ問題を抱えています。
つい3、4年前までは、新人監督が映画スターと一緒に仕事をすることなんて考えられないことでした。
スターの出演なくしては資金が集まらないし、スターの出ない新人監督の映画に興味を示すプロデューサーなんていませんからね。
ですから、私は独立プロという道を採らざるをえなかったのです。
私がロケ撮影をしたのは予算を低く抑えるためでした…事実そう思っていたのです。
それは私がもっと考慮すべきだった間違いの一つでしたが。
私は『海の沈黙』が低予算でロケ撮影された最初の劇映画だったと思いますね。
1946-47年頃は、それが考えられる唯一の方法だったのです。
他の方法で映画を撮るのは不可能でした。
Q:あなたは優れた映画を撮っただけでなく、それが可能であることを証明しましたね。
当時まだ若すぎて映画を撮ろうとは思っていなかった多くの若者たちにも、あなたはヒントを与えたのです。
あなたの自立した活動が、ヌーヴェル・ヴァーグの若者たちにとって、ある種の“保険”となりました。
彼らは何もないところから突然出現したように見えますが、アメリカ人のように、自分たちの先駆者を見つける必要がありました。
あなたは、革ジャケットにスクーターという彼らの西部における草分け的な先駆者、いわば“インディアン”だったのです。
いかがでしょうか?
M:そうですね。
彼らにとって、私はある種のアリバイでした。
“メルヴィルにできたんだから、俺たちにだってできる”となったのです。
面白いのは、そうやって撮り始められた映画すべてが優れていたわけではなかったということですね。
シャブロル、トリュフォー、ゴダールや他の連中が“おい、身に付けた技術を駆使したり、ジャーナリストや批評家になれば、優れた低予算の映画だって作れるんじゃないか?だって、俺たちはあらゆる新作映画を観ているし、何より映画を知っているからな”と考えるようになったのは『賭博師ボブ』以降のことなのです。
次回に続きます。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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