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世界的なバリトン歌手ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)が先日亡くなった。
享年86歳だからいつ亡くなってもおかしくない年齢だが、およそ“死”というイメージとはかけ離れた健康的なイメージの人だったから、訃報は大変意外に思われた。
大往生というに相応しい、あまりにも偉大なる芸術家の死であるが、大げさでなく、私にとってもある意味人生の師といってもよい存在だった。
確かに人生のある時期、私の生活はほとんどこの人の歌声とともにあったからである。
私もこの人によってドイツ・リートの深遠な世界に引き擦り込まれた。
まだ予備校生だった頃、代々木にジュピターという輸入盤屋があったが、そこでシューベルト『美しき水車小屋の娘』のCD(ドイツ・グラモフォン)を買ったのが最初である。
その繊細でロマンティックな世界にすぐに虜となってしまった。
次に聴いたのが同じくシューベルトの『冬の旅』(ドイツ・グラモフォン)だったが、『水車小屋』とは全く異なる、あまりに暗く厳しい音楽世界に面食らった。
それでも、音楽に限らず“名作”を理解しようと必死だった頃だから、毎日のように聴き続けた。
ある時期は寝る前にDFDの『冬の旅』を聴くのが日課だったほどである。
思えばなんともネクラな青春時代だったわけだが、逆に言えば、DFDの『冬の旅』を毎日聴ける贅沢な生活を送っていたといえるわけで、この上ない幸福な日々だったと言えるだろう。
『冬の旅』こそあらゆる音楽中の最高傑作と信じるようになったのもDFDのお陰である。
もちろん、『白鳥の歌』のハイネ歌曲の恐ろしいほど深遠な世界を教えてくれたのもDFDであった。
たった一度だが、生演奏にも触れた。
89年5月、サントリーホールにおけるオール・シューベルト・プログラムによるリート・リサイタルである。
2部構成のプログラムで、内容的には1部の最後に『魔王』を歌ったことくらいしか覚えていないが(パンフが家のどこかにあるはずだ)、衰えを知らぬ強烈な声の印象は今も脳裏から離れない。
DFDはその後も来日公演を行ったが、92年には引退してしまったから、彼の生演奏に触れる機会はそれが最初で最後になってしまった。
CDにおけるDFDの印象深いリート演奏というと、やはり上に上げたシューベルトの三大歌曲集、ヴォルフのメーリケ歌曲集、シューマン『詩人の恋』、ベートーヴェン『遥かなる恋人に寄す』など枚挙に暇がない。
ただし、シューベルトでもあの歌曲大全集は個人的には買わない。
確かに偉業だが、あまりに満遍なく平均化された演奏の連続で、聴いていて面白みに欠けるからだ。
DFDの声も一番魅力のない頃(60年代後半)だったと個人的には思う。
むしろ、最近もCDで復刻された50年代にEMIに録音したシューベルトの歌曲の数々が素晴らしい。
『無限なる者へ』、『墓堀人の郷愁』、『さすらい人の月に寄せる歌』といった一ひねりある楽曲の素晴らしさはDFDのどこか皮肉な持ち味と相まって比類なかった。
もちろん、オペラも忘れてはならない。
個人的にはやはりワーグナー、それもヴォータン(『ラインの黄金』)やハンス・ザックス(『マイスタージンガー』)のような主役よりも、ヴォルフラム(『タンホイザー』)、クレヴェナール(『トリスタン』)、グンター(『神々のたそがれ』)、軍令師(『ローエングリン』)といった脇役の方が印象深い。
そして、個人的に絶対に落とせないのがクレンペラーの指揮したブラームス『ドイツ・レクイエム』におけるバリトン独唱である。
このCDはあらゆるジャンルのCDの中でも私の最も愛聴しているものだが(いずれまた書く機会があるだろう)、第3曲「主よ、知らしめたまえ」におけるDFDの独唱がなかったら、絶対にここまで好きになっていなかっただろう。
最後に個人的な願望。
87年にDFDがサントリーホールで行った『冬の旅』のリサイタルのDVD化である。
これは当時NHK教育テレビで放送されたのを観て、物凄く感動した憶えがあるのだが、とりわけ21曲目「宿屋」の毅然とした素晴らしい歌唱、そして、それを歌い終えた後の彼の表情がいまだに忘れられないのだ。
録画もしたのだが、親戚の家に保管していたせいか、紛失してしまった。
NHKにはおそらく映像が残っているはずだから是非とも世に出してほしいものである。
とにかく今は残された膨大な録音の数々を耳にしながら、この大芸術家を偲ぼうと思う。合掌。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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