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パリ旅行8日目。
そういえば書き忘れておりましたが、このブログの画像はクリックすると大きな画像で見られますので、どうぞお楽しみ下さい。
日曜ということもあってか、この日は日程中で唯一の昼公演。(午後2時半から)
この日は正午からオペラ座内で、関係者揃っての写真撮影がありました。
これはその合間に撮影したもので、普段はなかなか見ることのできない、シャガールによるオペラ座の天井画です。
日曜のパリはほとんどのショップがお休みであり、しかも芝居が終わるのは6時ぐらいになるので、この日はどこへも出られない・・・はずだったのですが、それではなんとなく勿体無いので、夜ホテルに戻ってから食事がてらちょっと出歩くことにしてみました。
ちょっとのつもりが結局ノートルダム寺院までズカズカと。
そこから左岸へと渡り、夜のカンチェ・ラタン~サン・ジェルマン・デ・プレ周辺を散策しました。
ビックリしたのは右岸の日曜の夜の静けさに比べ、こちらは大変活気があったこと。
レストラン、カフェなども人でいっぱいです。
また、この周辺にはいくつもの映画館があります。
日曜の夜10時でも、映画館の前はこのような活気です。
この近くに小さなCD、DVDショップがありましたので覗いてみました。
CDはともかく、DVDの品揃えはなかなか充実していました。
しかも安い!
メルヴィル作品も僅かながらあり、『いぬ』『モラン神父』とメルヴィルに関するドキュメンタリーが付いた3枚組のDVDが19・80ユーロでしたので、迷わず購入しました。
Amazonなどでも見かけない、貴重品だと思います。
また、日本映画も僅かながらあり、溝口健二監督の『西鶴一代女』が9・90ユーロだったので購入しました。
もちろんPAL盤ですが、画質はいずれも極めて良好です。
結局、この日は、ホテルに戻ったのが23時。
食事の時間を除けば3時間以上も夜のパリをブラブラしていたことになります。
パリ旅行7日目の続き。
メルヴィルのお墓参りに行ったことは前回書きました。
しかし、この日は仕事が休みということもあり、その後、思い切ってメルヴィルの撮影所のあったジェンネル通りへも再訪したのです。
それといいますのも、(前回も書きましたが)後で地図を見て、ジェンネル通りを北側だけ見て、南側は見ていなかったと考えたからです。
その確認をしなければ、なんとも落ち着きませんでしたので(笑)。
やはり前回同様、地下鉄6号線のナシオナル駅で降り、地図を確認しました。
ところが、駅の南側にジェンネル通りが伸びていると考えていたにもかかわらず、南側の通りは全く別の名称でした。
やはり、前回来た通りこそがジェンネル通りであったのです。
あれからクライテリオン盤『仁義』の特典映像で、何度も確認したのですが、やはり、この画像の右側の白いビルあたりにジェンネルスタジオがあったことは間違いないものと思います。(特典映像に、通りの向こう側に線路の見える、同じような構図の映像があります。また、1本西側にあるジャンヌ・ダルク通りも確認しましたし、ジェンネル通りから東に伸びている通りも確認しました)
一応、私なりの確信が得られたので、今回はこれで納得したいと考えています。
読んで下さった皆様には、私の迷走にお付き合い下さり、相すみませんでした。
さすがにこの日は疲れ果て、ホテルに帰った後、数時間も寝てしまいました。
この日は仕事は休演日。
休みということもあり、以前から計画していたメルヴィルの墓参りに行ってきました。
メルヴィルのお墓のある場所ですが、パリ市外にあるパンタン墓地というところです。
パンタン墓地はパリ近郊でも最大規模の大きさを誇る墓地で、地下鉄7号線でパリの北東にあるオベルヴィリエ・パンタン・キャトル・シュマンという長い名前の駅で降りたところにあります。
パリ中心部から地下鉄で30分弱といったところでしょうか。
駅で降りて、徒歩で墓地まで向かいましたが、なかなかそれらしい場所が見つからないので、ちょっと不安になりました。
ここも、先日行った13区もそうですが、雑多な人種のるつぼといった様相で、正直言って、あまり“ガラ”の良い場所とは言えません。
しばらく歩いて、方向を間違えたかな、引き返そうかなと思ったところで墓地に行き当たりました。
入り口付近に花屋が点在しておりましたので、献花用の花を買い、墓地へと入りましたが、先日のモンマルトル墓地とは異なり、誰の墓がどこにあるかを指し示すような地図は全くありません。
しょうがないので、入り口にいた関係者に「ジャン=ピエール・メルヴィルのお墓を訊ねに来たのですが?」とカタコトの英語で聞くと、電話で場所を聞いてくれました。
広大な墓地ですが、幸いメルヴィルのお墓のあるブロックは入り口に近い場所とのことでした。
それにしてもひっそりとした墓地で、私の他にはほとんど人気がありませんでした。
さっそくそのブロック(8番)に向かい、探しましたが、さすがにすぐには見つかりません。
そのブロックだけでも縦横それぞれ50メートルほどはあり、その中から見つけ出すのは簡単ではありません。
関係者がくれた場所の地図に「Division:8,Ligne:11.Tombe:11」と書いてありましたので、それくらいの場所を探したのですが、見つかりません。
しょうがないので、そのブロックをしらみつぶしに探し出すことにしました。
最初はちょっとワクワクしながら探していたのですが、いくら探しても見つからないので、徐々に不安になってきました。
お墓にもいろいろあり、すぐに名前の判別できるものもあれば、ほとんど判別できないものもあります。
もしかしたら、判別できないお墓になっているのではないか・・・?という不安が徐々に募ってきたのです。
そんな時でした。
JEAN-PIERRE MELVILLEという名前が目に入ったのは。
見ると、GRUMBACHという名前がいくつか目に入ります。
いうまでもなく、GRUMBACHとはメルヴィルの本名であり、ここはメルヴィルの先祖からの家系のお墓だったのです。
私はメルヴィルのお墓がモンマルトルやモンパルナスといったパリ中心部の有名な墓地ではなく、郊外の無名な墓地にあることが正直言いましてちょっと残念だったのですが、これで謎が解けました。
お墓はこの墓地の中ではキレイな方で、安心しました。
黄色の花は私が献花したものですが、他にも近い頃、白い花を置かれた方がいるようです。
面白いことに、よく見ると、生まれた年の1917の7の部分が5に一旦彫った後が見受けられます。
単なる間違いなのか、ホントは1915年生まれだったのか・・・。
それにしても、今回の旅行の最大の目的の一つだった、メルヴィルのお墓参りができて、感無量でした。
日本からのファンが来たことを、あの世のメルヴィルが喜んでくれているものと信じたいです。
パリ旅行6日目。
仕事はこの日が初日でした。
この日は朝から思い立ってルーヴル美術館へと向かいました。
金曜日ということもあり、土日は混雑が予想されましたので、その前に、と思ったわけです。
先日のオルセー美術館よりは並ばずに入れました。
それにしても大きさといい、展示品といい、スゴイとしか言いようのない美術館で、当然のことながら圧倒されまくりでした。
やはり、2階にある「モナ・リザ」と「ミロのヴィーナス」が人気で、黒山の人だかりでしたが、オルセーと違って、絵画はその多くが写真撮影禁止になっているので「モナ・リザ」を撮影することはできません。
一方で、3階の絵画は人も少なく、ゆったり観られて良かったです。
宗教画やルネサンス期、17、18世紀の絵画はこれまでどちらかといえば敬遠気味でしたが、今回たくさんの作品を観ることができて、その良さを多少なりとも実感することができたのは収穫だったかと思います。
ところで、ルーヴルは、メルヴィル作品では『リスボン特急』でシモンら3人の密談シーンに出てまいりますが、撮影したのは実際のルーヴルではなく、セット撮影のフェイクのようです。
近年まで、ルーヴルはロケできないことで有名でした。
例外はゴダールの『はなればなれに』における隠し撮りで、だからというわけではありませんが、ゴダールの作品の中でもとりわけ好きな作品です。
この日は午後、ウチの奥方用のルイ・ヴィトンを下調べするためにシャンゼリゼの本店へと向かい(^^;)、ホテルに一旦帰って休息、夜、仕事場であるオペラ座へと向かいました。
この日撮った写真ではありませんが、これがオペラ座(オペラ・ガルニエ)です。
正面の入り口付近が工事中なのはちょっと残念ですが。
パリ旅行5日目。
この日はホテル近くのコンコルド広場からセーヌ川を渡り、アンヴァリッドを通り、シャン・ド・マルス公園を通り、エッフェル塔まで徒歩で行きました。(画像の右手に見える橋はアレクサンドル三世橋です)
とにかく今回の旅は自分でもビックリするくらい歩いています。
エッフェル塔は上までは昇りませんでした。
ここまで来て、さすがに体が冷えていたので、その上行列に並ぼうとは思いませんでした。
そこから地下鉄でモンマルトルへと向かいました。
まずはサクレ・クール聖堂です。
この場所はメルヴィル作品では、『賭博師ボブ』で登場します。
さすがに間近で見ると壮観でしたが、聖堂の中は更に素晴らしかったです。
残念ながら、聖堂の中は写真撮影がダメなので、ここに紹介できないのがとても残念です。
また、ここからのパリの眺めも素晴らしいです。
ここからしばらく聖堂の近辺を散策しましたが、たまたま入ってみたモンマルトル博物館が、小さいながらもとてもノスタルジックな雰囲気があり、良かったです。
そこから更にモンマルトル墓地へと向かいました。
ここには私の敬愛する映画監督フランソワ・トリュフォーの墓があります。
他の墓に比べても、かなり地味といいますか、目立ちません。
他に映画関係ではアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の墓もあります。
女優でもあり、『悪魔のような女』を彷彿とさせるような怪死を遂げた妻ベラ・クルーゾーもここに一緒に眠っていて、なんとなく(?)安心しました。
あと、作曲家ベルリオーズも。
この日は珍しく天気が良く、墓参り日和でしたので、メルヴィルの眠るパンタン墓地へも足を伸ばそうかと考えましたが、さすがに体力が限界で(この日は夜舞台稽古がありましたし)、デジカメの充電も切れかかっていましたので、断念しました。
パリ旅行4日目の続き。
『サムライ』でジェフ・コステロが殺人の代理人と会うために降りた駅が13区のポルト・ディヴリー駅であることは前回書きました。
その代理人と直接会う場所はどこかの鉄橋なので、それを突き止めるのが最大の目的でしたが、その辺りをウロウロしてみても残念ながらそれらしき場所には当たりませんでした。(意外にも近辺に中華街が広がっています)
鉄橋であるわけですから、線路がなくてはならないわけですが、それが見つけられなかったのです。
ただし、帰り際、地図を見ていてそれらしき場所があることに気づきましたが、ポルト・ディヴリー駅からはかなり歩くようです。
この日は同じ13区のジェンネル通りにあったというメルヴィルの個人撮影所「STUDIOS JENNER」跡地を探すことも大きな目的でしたので、時間の関係もあったので鉄橋はとりあえず諦め、ジェンネル通りへと向かいました。
ジェンネル通りと簡単にいいましても、日本で売っているパリ関連のガイドブックにはまず載っていません。
私はあらかじめ下調べもせず、現地の街頭にある地図を見ればなんとかなるのでは?とほとんど行き当たりばったりで出掛けましたが、幸いどの辺りにあるかはそれで知ることができました。
地下鉄6号線のナシオナル駅が一番近いようでしたので、そこで降りることにしました。
ジェンネル通りはすぐ見つかりました。
なだらかな坂道で、約200メートルほどの短い通りです。
しかし、ハッキリ撮影所の跡地と分かるような場所は見つかりません。
それらしいと言えばなくはないのですが、なんとも分かりません。
駅から向かって右側に病院がありますので、おそらく左側にあったと想像はできましたが・・・。
ここで頼りになったのが、クライテリオン盤『仁義』の特典映像に出ている在りし日の撮影所の映像ですが、その記憶を辿っても、スタジオ跡地だとハッキリ分かる場所には残念ながら思い至りませんでした。
ホテルに帰ってから、クライテリオン盤『仁義』の特典映像を再見し、ますます分からなくなりました・・・。
どうやらジェンネル通りと、隣のジャンヌ・ダルク通りにまたがっているようにも見えます・・・。
その後、地図をじっくり見ていて一つ謎が解けました。
私は6号線の北側の通りのみ見ていて、南側は見ていなかったのです!
なんたる失策!
それでも『仁義』の特典映像を観る限り、北側にあるような感じもあり、なんとも言えません。
とにかく、このままでは終われませんので、今回の旅行中に再びこの地を訪ねたいと思っています。
パリ旅行3日目。
仕事が夕方からなので、朝からオルセー美術館に並ぶ。
開門の9時半には既に長蛇の列。
朝方強烈に冷えるので、その中並ぶのはちょっと堪えました。
この日はルーヴルが休みだったので、なおさら混んでいたのかも。
ところで、個人的に今回の旅ではルーヴルよりもむしろオルセーの方が楽しみでした。
オルセーができた頃、NHKから出た4~5冊の画集のような本も持っていたし、やはりなんといっても印象派の絵画が一番好きだから。
オルセーに行くのは長年の夢の一つであったわけで、それが今回実現したのは本当に嬉しい。
実際、見た感想だが、とにかく傑作が多すぎる!
まともに見ていたら数日かかりそうだし、体力的にもキツイので(概して絵画展を集中して見られる時間は1時間半ぐらいが限度)、今回は2時間程度で切り上げました。
それに、フラッシュさえ焚かなければ写真撮影自由というのも驚きました。
お蔭でバンバン撮ってしまった。
滞在中にあと一度は必ず行くつもり。
オルセーを見た後に、サン・ジェルマン・デ・プレに足を伸ばしてみた。
サン・シュルピス通り、グルネル通りなどショッピング通りを眺めつつ、サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ。
すぐそばの有名カフェ、レ・ドゥー・マゴで昼食。
サン・ジェルマン・デ・プレ界隈の活気のある雰囲気はとても気に入ったので、できたらまた行きたい。
そこからシテ島を通って、右岸に入り、シャトレ駅から地下鉄に乗り、ホテルのあるチュイルリー駅まで。
シテ島にはメルヴィル関連の場所がありました。
シテ島にある司法警察局です。
メルヴィル作品に関心のある方には見覚えのある光景ではないでしょうか。
『サムライ』でアラン・ドロン演じるジェフが警察から釈放され、外に出てタクシーを拾うのがこの場所です。
この後、ホテルで一息ついた後、夕方からの仕事のため、オペラ座へ。
この日仕事が終わったのは0時にならんとする時間だった。
パリ旅行4日目。
天気がすぐれず、みぞれ交じりの雨が降っていました。
仕事は夜から。
↑で『サムライ』の一場面を紹介しましたが、この日も『サムライ』にゆかりのある地を訪ねてみました。
警察から釈放されたジェフはタクシーでバイロン街へと向かうわけですが、それからの足取りを追ってみたのです。
バイロン街とは、シャンゼリゼ大通りにあるノルマンディー劇場のちょうど裏手の通りですが、ジェフが訪れたとおぼしき建物は残念ながら工事中でした。
写真を撮ると、作業員らしき二人の黒人が「撮らないで!」とばかりに合図をしましたので、ちょっとコワかったです(笑)。
そして、ジェフはノルマンディー劇場の脇からシャンゼリゼ大通りに出て、ジョルジュ・サンク駅で地下鉄1号線へと乗ります。
地下鉄の入り口は、嬉しいことにまだ当時のままのようです。
そして、パレ・ロワイヤル・ミュゼー・デュ・ルーヴル駅で地下鉄7号線に乗り換え、13区郊外にあるポルト・ディヴリー駅へと向かうわけです。
ちょっと大変でしたが、ここまで足を伸ばしてみました。
ここからジェフは“仕事”の代理人と会うためにある鉄橋へと向かうわけですが、今回は残念ながらそれがどこかを探り当てることはできませんでした。
その代わりといってはなんですが、現地で13区の詳しい地域図を見ることができましたので、その13区に存在したというメルヴィルのスタジオ兼映画製作会社であったジェンネル・スタジオ跡地を訪ねることができました。
これにつきましては次回紹介したいと思います。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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