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成瀬巳喜男監督の『流れる』を国内盤DVDで観た感想。
『流れる』(56年)
監督:成瀬巳喜男
脚色:田中澄江、井手俊郎
撮影:玉井正夫
音楽:斎藤一郎
出演:田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、中北千枝子、松山なつ子、杉村春子、岡田茉莉子、賀原夏子、宮口精二、仲谷昇、加東大介、栗島すみ子
再見。
幸田文原作小説の映画化。
前回観たのは随分前なので、今回観直してどういう感想を持つか我ながら興味津々だったのだが、やっぱり心の底から魅了された。
この映画が生まれた国が自分の母国であることを心から幸せに思った。
特にドラマティックなストーリー展開が用意されているわけでもないこの映画がどうしてこんなに魅力的なのか。
それは、今観るとただただ美しく、なぜか懐かしい東京の下町の姿、そこに描かれた人々の人情の尊さと美しさ、そして当然のことながら女優陣の顔合わせの豪華さ、演技にあるだろう。
今回観て、特に感心したのは山田五十鈴である。
この人はまたなんという凄い女優だろう。
正直なところ、顔は苦手だし、決して好きな女優ではないのだが、この映画での立ち振る舞いの美しさ、演技の見事さには圧倒された。
清元『神田祭』等の三味線を弾くシーンは、手つきからいって吹き替えではなく紛れもないホンモノ。
杉村春子の演技も凄い。
どこがどうということもなく上手いが、とりわけ映画終盤のケンカのシーンには唸った。
女中役の田中絹代は、この映画のオファーをよく受けたと思う。
ホントにこの映画では女中の仕事を黙々とこなすだけの役で、決して強烈な存在感を放っているわけでもないのだが、彼女の存在がこの映画にえにも言われぬ深みを与えているのだ。
ラストは田中絹代の視線一つでどれだけ映画が感動的になったことだろう。
それに加えて、往年の大女優である栗島すみ子の圧倒的な存在感、そして高峰秀子の、女優・高峰秀子そのものでしかないかのような素晴らしさ、存在感…もうため息しか出ない。
これらの大女優たちを演出してこうして一つの映画作品にまとめ上げた成瀬巳喜男監督の手腕は、やはり凄いとしか言いようがない。
もちろん、斎藤一郎の音楽、玉井正夫の撮影も素晴らしい。
ただ、よく言われていることかもしれないが、この映画の欠点は実際は7歳しか年の違わぬ山田五十鈴と高峰秀子が親子という年齢設定の無理にある。
逆に言えば、それしか欠点がないのだ。
まぁ、いたって些細な欠点だが、それ以外は格調の高さといい、風情といい、完ぺきな映画ではないか。
メルヴィルを始め、往年のフランス映画やアメリカのフィルム・ノワールのほか、JAZZ、松田聖子など好きな音楽についても綴っています。
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